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上の子優先でやっていたのに。やきもちを焼いたり、そうじゃなかったり。子育てって、面白い。

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第2子が生まれたとき、長女にはそれはそれは遠慮していたのだけど、長女のやきもちは、とどまることを知らなかった。
かと思えば、かわいいのダムが大決壊してしまった第3子の産後、誰もやきもちを焼かなかったことの不思議。


長女が2歳2か月のときに、長男が生まれた。

ひとりがふたりになるって、どんな感じになるのか、想像もつかなかった。

やきもちって焼くんだろうか、赤ちゃん返りってするんだろうか、赤ちゃんにおっぱいをあげているときに、長女が抱っこしてとか、甘えてきたら、さて、どうするのかしら。

あれこれ想像してはみたけれど、案じたところで、生まれてみないと分からないものでもあるし、そこまで深く考えていなかった。

そして、生まれてみないと分からないし、と言いながら、過信していた部分もあった。

こんなに愛情いっぱいで育てているんだし、きっと大丈夫。かしこいかしこい長女ちゃんだから、きっときっと大丈夫。そんな気持ちもどこかにあった。確かにあった。

長女は次第に膨らむお腹に、ほほを寄せてくれたりもしたし、産院でもらった小さなキューピー人形を「(あ)かちゃん」と言って、大事に持ち歩いていた。

私からすると、完全に弟をかわいがるフラグが立っている、と思い込んでしまう。



ところが、私と長男が退院してきたその日から、長女は弟にうっすら反発をしていた。

産院で私がつけていた、名前や血液型が書かれたリストバンドのようなものを、長女が欲しがったのであげると、それを弟の顔に無言でぎゅうと押し付けていた。

「あれ、なんか怒ってる??」

と思わないでもなかった。

けれど、その時の私は、そこそこの産後ハイでもあったし、都合よくそれを、ほほえましいファーストコンタクトとして、嬉々として動画に収めていた。

今、その動画をみると、長女の横顔の険しさが、すべてを物語っているよね、とはっきり思うのだけど。


弟が着ている肌着は自分も着たいし、弟が入っているクーハンにだって、入りたい。

そのくらいかまわないよ、と寛容に受け止めて、小さすぎる肌着を着せて、クーハンにも入れた。

けれど、そのうちおっぱいも飲みたいし、抱っこ紐にも入りたい、長女の要求はどんどん膨らんで、どれだけそれを満たしてあげようとも、彼女が満たされることはなく、弟が生後半年を迎えるころには、目を離したすきに弟の髪の毛を引っ張るやら、上に乗るやら、耳元で叫ぶやら、暴挙で溢れるようになった。

あああ、あの、愛くるしい、子うさぎみたいだった長女は、いったいどこへ行ってしまったんだろう、といくらでも気が遠くなった。

長女の前で、長男を愛でるなんて、想像するだけでおそろしくて、できなかった。


里帰り出産中、実家の母や、その友人たちが口をそろえて、「とにかく上の子優先で」と言っていた。

なので、当然そうするものだと思っていた私は、ひたすら長女を優先して、赤ちゃんの存在は、授乳とおむつ替えくらいと割り切って、なるべく今まで通り、長女に接していた。

だのに、結果はこう。あれ。思ってたんと違う。だいぶ違う。



長女の弟嫌いはその後、数年に渡ってゆるゆると、横ばいをたどり続け、長女には長く手を焼いた。

そして、あれよあれよという間に、第3子(次女)が誕生する。

この時の私の心配を、ご想像いただけるだろうか。

もし、長男が次女にやきもちを焼いたら、どうしたら。

さらに、長女が次女にまで、やきもちをやいたら、どうしたら。

今度こそ抜かりなく、彼らを最優先に、君らこそ我らが光、私の宝、と思わせねばなるまいな、と意気込んでいた。

のだけど、産まれてみたら、次女のかわいさがとんでもない。

誤解のないように書いておくと、もちろん、長女も長男も最高にかわいい。

それまでも夫と「かわいいという言葉の中には収まりきらない。新しい単語が必要なレベル」と言い合っていたほど、ふたりとも愛らしくてたまらなかった。

というのに、さらなる新境地の扉を開いてしまったかのようなかわいさを、次女ははらんでいた。

かわいいのだ。めためたにかわいい。常軌を逸しているレベルでかわいい。

「3人目は孫よ」なんて妊娠中によく言われたけれど、孫を育てたこともないのに何を言うのか、と思われそうなのだけど、やはり第3子は限りなく孫だった。



長女と長男の前では、決して公にするまいと思っていたのだけれど、こらえることができないのだ。なにを?かわいいと叫ぶのを。

なるべく、落ち着いた声音で、「かわいいね」と言うように努めてはいたのだけれど、喉の奥からせりあがってくる叫びを、抑えることができない。

抑えようとすると、呼吸も忘れてしまったのかと思うほど苦しくて、思わず叫んでしまう。

「かわいい」と叫び、手を鳴らし、次女に捧げる歌(自作)を大声(かなりの)で歌ってしまう。

長女と長男がやきもちを焼いたらどうしよう、と不安になる理性を、吹き飛ばすほどのかわいさ。


これはきっと彼らにとってよくないよなぁ、はっきりとは言わないけどやきもちを焼いているのでは、そのうち誰かしらが暴挙に出るのでは、と勝手な板挟みに苦しんでいたある日、いつものように辛抱が限界に達してまた、次女に捧げるいつもの歌(自作)を歌ってしまった。


ただ、いつもと何かが違う。

長女と長男が、満面の笑みで一緒に歌っていた。

正直言って、単純なのに珍妙な歌だ。

お外で絶対に、誰にも聞かれたくないと思うくらい、理性のかけらもない。

その、ずいぶんとアレな歌を、長女と長男が、それはそれは楽しそうに歌っていたのだった。

次女は「みんなのかわいい次女」だったらしい。



きっと各々の性格とか、その時のタイミングとか、いろんなことが関係しているんだと思う。

これは、なにがよくてなにが悪かったかという、ためになるお話じゃぜんぜんない。

あえて言うなら、なにがどう作用するかなんて、結果をみるまでわかんないよね、ということなのかもしれない。

もちろん、毎日みたいにつまらない喧嘩をしたり、末っ子が誰かの心ないひと言に泣くこともあるし、それを見て「いい加減にしなさい!!」と言うのも日常だ。

だけれど、三人が睦まじい時間が、やっぱり確かにあって、次女は今日も、長女に「かわいいいっ」と叫びながら抱きつかれて、長男に「じゃあ、にーにと一緒にこれであそぼ?」と甘い声で誘われている。

三人一緒に、おうちごっこをしている姿なんて、眼福以外のなんでもない。

好きで、きょうだいに産まれたわけでもないのに、仲良くしなさいなんて、よくよく考えたら押し付けがましいことなのかもしれない。

だけど、長女が、爪切りを振りかざして、長男に馬乗りになっていたあの日の残像がよぎると、やっぱり今が尊くて、つい連写してしまうのは、ほとんど反射または、必然だったりもして。


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ハネ サエ.

成分のほとんどは3児のおかあさん。
おかあさん以外のときは取材をしたりエッセイを書いたりしています。

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