こんにちは。今日は、『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の立石美津子です。
行事だけでなく言葉も、時代とともに変わってきています。“父兄会”は“保護者会”や“父母会”に、“保母さん”は“保育士”などなど。ひとり親家庭の子どもに配慮して“父の日、母の日を廃止する園もあります。
でも、言葉や行事を変えるだけ何かが大きく変わるのでしょうか?
黒板は1872年にブラックボードという名前でアメリカから入ってきました。実際に黒い板でした。そのため日本語では“黒板”という名前で定着しました。しかし、黒字に白いチョークで書いてある文字は目がチカチカするということで、緑色に変わってきました。
でも、この時点で“緑板(りょくばん)”という名称には変わりませんでした。チョークの粉が舞うので最近はホワイトボードもどんどん普及しています。
私はかつて子どもたちに授業をしていましたが、ホワイトボードを指さして生徒達に「黒板を見ましょう」と言っても特に大きなどよめきはありませんでした。先生が白い板を指して「黒」という言葉を使っても変だとは思わないようです。「先生が勉強を教えてくれる板」であることだけを理解していれば名称なんてあまり気にしない様子でした。
言葉って中身を正しく理解していればそれでいいこと。そんなものだと私は思います。
黒板のように無機質な物体についてはその名称について、世間はそんなに神経質にはならないのですが、人物を表す場合、そういう訳にはいかないようです。男性保育士も男性看護師もいるのでどちらかの性を強調するような言い方もなくなりました。
例えば
・看護婦→看護師
・保母→保育士
・父兄会→父母会・保護者会
・精神分裂病→統合失調症
・精神薄弱児→知的障がい児
・躁うつ病→双極性障害
・落ちこぼれ→授業についていけない子、授業につまずいてしまう子
などです。
“障害者の“害”という字が“障害者が社会の害になっているような印象を与える”という理由から、“障碍者”と別の漢字にしたり、“障がい者”とひらがな表記するように変わってきています。“チャレンジド=挑戦する人“と全く違う言い方で呼んでいる団体もあります。たしかに“害”はよくない印象の言葉ですが、言葉だけを変えても、正しい理解をしていなければ結果は変わらないと思います。
例えば、小学校では普通学級と特別支援学級の言葉で区別されています。この言葉を耳にして「僕は普通ではないの?」と質問をしてきた知的障害児がいました。そうなるとこの言い方も変えなくてはならず、きりがありません。
又、運動会で特別支援級の子どもが普通学級の生徒に交じって競技をしたとき「あいつが入ると負けるから嫌だ」と言ってきた普通学級の生徒たちもいました。言葉を変えることだけではなく、“世の中はいろんな人で構成されている”“普通とはどういう意味か”を教育することが大事なのではないでしょうか。
“自閉症”という言葉は、現在もこのまま使われています。”自閉→自分の心を閉ざしている→鬱みたいなもの”と誤解をされることもあります。精神疾患の代表格である“精神分裂病”が“統合失調症”と名前が変わったように、呼び方を変えてほしいという運動を起こしている人もいます。
実際に殻に閉じこもっているわけではないのですが、コミュニケーションをうまくとることが出来ない、相手の気持ちを読み取ることが苦手である特徴があります。“自分の世界にいる=自閉症”の名称は当たらずとも遠からずの名前だと思います。