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公開 2016年04月11日  

なんで1人でがんばっちゃったんだろう。私が産後うつとパニック障害を発症するまで

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赤ちゃんが誕生すると大変喜ばしいと同時に、授乳やおむつ替えなどお世話に追われ、睡眠不足になってしまうなど妊娠中とは違った大変さがありますね。実家から遠い土地で、慣れない育児を1人で頑張りすぎた私は、産後1年で「うつ病」と診断されました。そんな私の新米ママ1年目の体験談をご紹介します。


初めての母乳育児。なかなか上手くいかない…

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by仲 恵麻

授乳が頻回で辛かった!でも一向に赤ちゃんの体重は増えず…

娘は低出生体重児だったので、乳首を吸う力も口も小さく、浅飲みで上手く飲めず、授乳回数が頻回。1日中授乳しているような感じでした。

体重の増えがよくなかったので混合をすすめられたのですが、娘は「哺乳瓶に慣れたら乳首で飲めなくなる(いわゆる乳頭混乱)」というタイプの赤ちゃんだったので、どちらかにするしかありませんでした。

出産前から「母乳育児でなければ!」と思っていたわけではないのですが、いざ出産して娘を抱くと「赤ちゃんにとって最も良いと言われる母乳で育てたい!」と強く思うようになり、完全母乳になれるよう必死で頑張りました。
授乳が頻回だったので、涙が出るほど乳頭が痛かったです…。

しかし、そんなにがんばって授乳しても娘の体重の増えはあまりよくなく…発育成長曲線を下回っていました。
同じ月齢の赤ちゃんと並ぶと大きさの違いは明らかで、個人差はあると言えど心配でした。

夜も頻回授乳で眠れず…疲れがとれない。

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by仲 恵麻

出産後は、寝ていても赤ちゃんが少しでも泣くとパッと反応して起きれるようになりました。
娘はちょこちょこ飲みタイプの赤ちゃんでしたので、生後6か月頃まで私は2時間寝られたらラッキーという状態。
夜間授乳は添い乳で乗り切りました。

離乳食をしっかり食べれるようになった1歳頃からは、回数は減ったものの何度か泣いて起きることがありました。

産後の母親は、短時間の睡眠でも回復出来るようになっていると聞きますが、私はそれでも眠かったし、疲れもなかなかとれませんでした。
睡眠不足だと、自律神経が乱れやすくなります。これも、私がうつ病になる原因の一つだったと思います。

ちなみに…娘が朝まで1回も泣かずに寝るようになったのは3歳になる直前でした。長かった。
そんな娘とは対照的に、第2子である息子は生後3ヶ月には朝までぐっすり寝るようになりました。

3ヶ月健診で先天性心室中隔欠損が発覚。通院で多忙な日々…

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by仲 恵麻

3~4ヶ月健診で心雑音を指摘され、紹介先の総合病院で「心室中隔欠損」と診断されました。

今までどんなに頑張って授乳しても体重の増えがよくなかったのは、この疾患が原因だったのです。
よく「生後0~1ヶ月のお世話は大変だ」と聞くけれど、娘はこの疾患が原因で生後3~4ヶ月で体重4500gしかなく、まるで新生児期の乳児のお世話を4ケ月も続けているような大変さがありました。

その上、予防接種に加えて小児循環器科への受診もあり、重たい荷物を抱えながら通院するのはなかなか体力のいることでした。
誰かに付き添いを頼めば良かったのかもしれませんが…。実家は遠いし、主人は仕事だし、お義母さんは甥っ子を預かっているので頼むことが出来ませんでした。

いつも「孤育て」状態だった。

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by仲 恵麻

いつも帰りの遅い主人を待つ日々…。自宅で娘と2人きり。

自営業を営む主人は月4日休みがあればいい方で、休みの日も友達や取引先との付き合いで自宅を離れることが多く、里帰りから戻ってからはほとんど娘と2人きりで過ごしていました。

通院の付き添いを頼んでみたこともあるのですが、やはり都合がつかず頼れませんでした。

私自身も、もっと強くお願いしたり、主人以外にも頼ればよかったのですが…
「人に迷惑をかけてしまうくらいなら自分が頑張ればいい」という性格なために、それが出来ませんでした。

生後8か月の娘と追突事故に巻き込まれ骨折。

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追突事故に巻き込まれ右手を骨折

娘が生後8ヶ月頃、渋滞の列の最後尾で停車していたところをタクシーから追突されました。
凄い衝撃でエアバッグも開き、私が乗っていた車は前方の車と追突してきたタクシーに板挟みされ、廃車になりました。

幸い娘にケガはなく、私の全身打撲と右手の骨折だけで済みましたが、まともに右手が使えず、オムツ替えも自分の着替えすらも難しい状態になりました。
そんな中でも、ちょうど義実家でRSウイルスが流行っていたこともあり、誰にも頼ることができませんでした。

ただでさえ多かった娘の通院に自分のリハビリ通院も加わり、骨折した手では車を運転することも出来ず、外出も普段の何倍も大変になりました。
その大変さを分かってもらいたくて主人に吐露したのですが、あまり共感してもらえず、ストレスを上手く消化出来ませんでした。
徐々に右手は回復していったものの、握力が戻ったのは事故から半年以上先のことでした。

産後1年、突然動悸がして眠れなくなる。うつ病とパニック障害発症。

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by仲 恵麻

そんな日々を送ってきて、あと10日で娘の1歳の誕生日という頃。
ある日突然、就寝時間に動悸がし始め、眠れなくなりました。

呼吸が段々速くなり、過呼吸になりました。
娘と主人が眠っている2階の寝室から離れて落ち着こうとしましたが、一向に治まらず…。

そんな中、娘の泣き声が聞こえてきました。でも、駆けつけようと思っても足が動きません。
そうこうしている内に、主人が泣いている娘を私の元に連れてきてくれました。

しかし、娘を目の前にしても、「オムツを替えなきゃ」と思っているのになぜか動くことが出来ず…。
過呼吸な中、主人にオムツ替えをお願いするのがやっとでした。

しばらくしても過呼吸が治まらなかったので、主人の運転で救急対応をしてくれる精神病院に行きました。
そこで診察を受けたところ、パニック症状を伴う「うつ病」と診断されました。

出産後、誰にも頼らずやってきて、自分では「なんとかやれている」と思っていましたが、不運も重なり自分の許容範囲を大きくオーバーしてしまっていたようでした。

うつ病(パニック障害)になりやすい性格とは。

私が診断を受けたうつ病には、「なりやすい性格、考え方の傾向」というものがあります。
それらは下記のようなものです。

①几帳面、真面目である。
②利他主義である。
③言いたいことを言えずに我慢してしまう傾向にある。
④凝り性、完璧主義。
⑤仕事熱心。


自分では分からないのですが当てはまる部分が多いらしく、主治医には「100%じゃなくても良い。力を抜いて下さい。」と言われました。

頑張り過ぎていた心と体を休める必要があった。

うつ病発症してからすぐ投薬治療を始め、疲れ切っていた心身を休めるため、無理を言って義実家に娘を預かってもらいました。私は実家に戻り、「何もしない・何も考えなくていい時間」を作ってもらいました。

義両親や主人に迷惑をかけてしまい、とても申し訳ない気持ちでした。
しかし「人に甘えることは時に必要なんだ」と自分に言い聞かせ、自分の心身の健康を取り戻す為にゆっくり休ませてもらいました。
そして「娘に会いたい」と心から思えるようになった10日後、義実家に娘を迎えに行きました。

投薬治療も大事だが、最も大切なのは「考え方を変えること」。

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by仲 恵麻

それまでの私は「人様に迷惑をかけるくらいなら自分だけが大変な方が良い!」とか「家事をしっかりとやりたい!」「母乳育児で頑張りたい!」「主人にとって良い妻でありたい!」と思っていました。

「部屋が散らかっててもまぁいっかぁ~」「お風呂は明日で良いや~」「晩御飯のメニューは適当で良いかぁ~」と思うことが全く出来ませんでした。

今振り返ると、もっと力を抜けば良かったのに…と思えます。
性格を変えるのはなかなか難しいですが、考え方を変えてみることで、パニック症状(動悸)も軽くなっていきました。

完璧な育児を求めない!「楽」な育児を…!

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ママの笑顔、心の健康が大切です。

誰しも初めての育児は不安でいっぱいだし、必要以上に神経をすり減らしてしまうもの。
決して1人で出来るものではありません。

これから出産を控えてるプレママの皆さん、そして0歳児を抱える新米ママさん達には、1人で抱え込まずに周囲の助けをぜひ借りて欲しいと思います。

ママが笑顔で過ごせることが一番大切です。心の健康を損なうと、私の様に子どもと離れなければいけなくなることもあります。
自分のためにも赤ちゃんのためにも、大変な時には周囲にたくさん甘えて欲しいと思います。

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