江戸名物の佃煮を生み出したのは江戸っ子ではない!ではどこの人でしょう?のタイトル画像
公開 2023年02月19日  

江戸名物の佃煮を生み出したのは江戸っ子ではない!ではどこの人でしょう?(2ページ目)

10,192 View

江戸発祥ではありますが…?



なんと、つくったのは大阪人!

徳川家康が、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区)の漁師を江戸に呼び寄せたのがきっかけなのだそうです。

詳しい経緯は、以下をどうぞ。


江戸名物「佃煮」をつくり出したのは意外にも大阪人だった!


「東京名物」といわれるものは数々あるが、江戸時代から続く伝統的な名物といえば、まず佃煮が挙げられるだろう。

江戸名物の佃煮は、隅田川に浮かぶ佃島でつくり始められた。

ただし、佃煮を生み出したのは江戸っ子ではない。

佃煮をつくった佃島の漁師たちは、現在の大阪市西淀川区に位置する摂津国佃村出身だった。

いや、そもそも佃島自体すら、彼らが整備し、つくり上げたものなのである。

佃村の漁師がわざわざ江戸にやってきたのは、徳川家康が呼びよせたからである。

その理由は、一説には佃村の漁師が関東にない四手網という道具を使い、高い漁獲量を誇っていたためだといわれている。

また、関西に遠征をした家康が川渡りで困っているところを彼らに助けられたので、その恩返しとして取り立てたともいわれている。

江戸にやってきたのは、佃村の明主だった孫右衛門をはじめとする三十数名の漁師たち。家康から東京湾に面した干潟のような場所を拝領した佃村の漁師らは、その地を埋め立てて小さな島をつくり上げ、故郷の村にちなんで佃島と命名した。

優れた漁の手腕を持っていた佃島の漁師たちは、大きくて生きのいい魚を将軍家や諸大名の屋敷に納め、余った分は魚市場で売って生活を営んだ。

そして、売れ残りの魚や、小さくて売り物にならない魚・貝類は、醤油やみりんで煮て自家用として食べていた。

これが佃煮である。

ある日、魚を天秤棒でかついで売買していた棒手振の青柳才助という男が、佃煮に目をとめた。

彼は「保存のきく佃煮は、地方に持ち帰る土産として売れるのではないか」と考えつき、大々的に売り出した。

その予想は大当たりし、地方から出てきた人々がお土産にと持ち帰ったため、佃煮は江戸の名物として全国に広まることになった。

江戸グルメの発展には、江戸っ子はもちろん大坂人も一役買っていたわけである。


出典:『関東と関西 ここまで違う! おもしろ雑学』(三笠書房/2019年刊行)

Share!

関連情報