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自分が倒れるまで気付かなかった。「できる」ことと同じくらい「できない」ことを、認める大切さに。

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ぶっ倒れてからというもの、ちゃんとすることと、同じ重さでちゃんとしないことも大事にしてる。


「ちゃんとしたお母さん」を手放すのに、うんと時間がかかってしまった。


長女が産まれたとき、私は「ちゃんとしたお母さん」になりたかった。

ちゃんと授乳をして、ちゃんと寝かしつけをして、ちゃんと離乳食を作って、ちゃんと遊ばせて、ちゃんとおむつを外せるお母さんになるのだと、思っていた。

いったいなんの呪いなのか、当時の私はそうするのが、当たり前のことだと思い込んでいた。

背伸びだとか、虚栄とかそんなたいそうなものでもなく、学校の宿題は提出するのが当たり前なのと同じくらいに、子が生まれたら出生届を出すのが当たり前なのと同じくらいに、そうするべきだし、そうするものだと思っていたのだ。


出産を終えれば助産師さんが、検診や予防接種に通う頃になれば小児科の先生が、支援センターに行くようになれば、支援センターの先生が、みんながその時々で、「こうするといい」何かを差し出してくれる。

私は、そのすべてをご丁寧にきちんと受け取って、それを子どもに反映させようと一生懸命だった。

産院や、支援センターでもらう冊子、なんならいっそ母子手帳まで、全部を舐めるように読んで、参考にした。

だって、初めての子育ては、塩梅もさじ加減も、なにもかもがさっぱりわからないことだらけだ。

答を探すより、やり方がなにひとつわからない。

ショッピングモールの、助産師相談というものに足を運んだこともあるし、フリーダイヤルで助産師さんに質問ができる、というものを利用したこともある。

今思うと、あらゆる場所で教えを乞うていた。

そして、なにかしらの返答をもらえると安心して、またそれを頼りに子育てをする、そんな調子だった。



間違っていないはず、そのことが孤独な育児を支えていたから、それもあながち悪いことだった、とは思っていない。

あの時は、そうすることで不安を抱えずに、健やかでいられると思ったのだし、実際その通りだった。

根が心配性だから、ひとつの不安が。100の心配を呼んでくる。

不安は、小さいうちに摘み取るしかなかった。


長女を産んだあの当時、子育てに関する発信って今に比べると、とても少なくて、そして同時に、子どもを産んだ芸能人やモデルさんが「キラキラママ」と呼ばれて、ちらほらとSNSに登場し始めた頃だった。

そして、彼らが、なにかちょっとした不備をブログに書けば、あっという間に炎上する、そんな時代でもあった。

今思うと信じられないのだけど、たった1歳か2歳の子が、机の下でイチゴを食べている写真をアップするだけで、「お行儀が悪いと思います」とか、「今はよくてもそのうち…云々」とか、簡単に炎上していたのだ。

そして、後日、謝罪するという面倒な構図が、そこかしこで起こっていた。


そんな様子を見ていると、インフルエンサーでも、有名人でもないのに、いつどこで誰が見ていて、矢を放ってくるかわからない、そんな気持ちにさせられたりもした。



そのうち2人目が産まれると、生活の難易度はぐんと上がった。

赤ちゃんが泣けば、上の子の遊びに付き合ってあげられない。

食事の時間がずれ込むことだって、寝る時間が遅くなることだってあった。

食事が簡素になったり、寝る前の絵本を読んであげられなかったり、私が「ちゃんとしたお母さん」になるために、こなさなければいけないあらゆるタスクが、ぐずぐずに崩れていく。

ちゃんと子どもを育てられていないような気がして、自己嫌悪が自分の中に溢れかえっていた。

「できない」気持ちを受け止めきれずに、しぶとく「できる」自分にしがみついていた。

長女はイヤイヤ期、息子は離乳食、今思うと、この時期が一番むずかしくて、記憶がほとんどない。

「だいじょうぶ、できてる」と何度も自分を励まして慰めて、必死に生きているうちに、長女は幼稚園に入園して、じきに3人目を妊娠した。



3人目を、無事出産して、1歳を過ぎた夏だった。

はっきりと、倒れてしまったのだ。

布団から起き上がることができなくなって、食事の支度も洗濯も、なんにもできなくなった。

そのうち食べることもできなくなって、どうにかして病院へ行ったら、受付で診察券を出すと同時に、過呼吸で倒れてしまった。

ベッドに寝かされて天井を見ながら、どこがいったい悪いんだろう、と不安に駆られた。

こんなに体調が悪いなんて、とんでもない病気なのかもしれない、と思った。

けれど、医者から告げられたのは、思いもよらない言葉だった。


「お母さん、休もう」


そう言って、メモの切れ端に電話番号を書いて、私の手に握らせた。

託児所の電話番号だった。

先生は、体と心が密接に関係していること、今の体の不調は断定できないけれど、おそらく心の問題が関係していること、このままでは悪くなることはあっても、よくはならないないこと、を丁寧に説明してくれた。

大きな病院を紹介されて、あちこち検査をするんだろう、その間子どもたちはどうしよう、思考がぐるぐる巡っていた私は、あっけにとられた。

けれど、もしそうなったら少し休める、思わずそう思ったのもまた事実だった。

紹介された託児所を利用し始めて数日たったころ、自分でも驚くほど体が軽くなっていた。

少しずつ食事がとれるようになって、力が湧いてくるのがわかった。

なんだか、目の前がさあっと開ける心地だった。

その日一日、子どもたちの責任を手放せることが、こんなに自分を解放するとは思わなかった。

今思うと、私は長女を妊娠してからというもの、お腹にも、目の前にも、子どもがいない生活を、もうずっとしていなかったのだ。

託児所にお世話になって、およそ6年ぶりくらいに「自分ひとり」を経験した、ということになる。

そこを境に、自分ができないことから目を背けることを、やめることにした。

だって、できないんだから。



長女を産んでから、あっという間に8年が経って、子育てを取り巻く環境は大きく変わってきているな、と感じている。

Twitterで「お弁当は、心を込めて唐揚げをチンします」と書いて、何万イイネがつく時代だ。最高すぎる。

私の目には、彼らがほとんどジャンヌダルクのようにすら、映っている。

私だって、よくよく考えたら、子どもを産む前の20数年の人生を振り返って、ちゃんとしていた時期なんて、全然なかったのだ。

朝は弱くて遅刻ばかりしていたし、宿題を忘れたことなんて、数えきれない。

OLをしていたころなんて、何度プリンターを詰まらせたっけ。

なにをいきなり母親になったからって、ちゃんとしようとしていたんだろう、と正気に戻るまでに、長い時間がかかってしまった。

できないことは「できない」と受け止めることが、びっくりするほど難しかったらしい。


もちろん、必死に足掻いて「ちゃんとしたお母さん」になろうとした自分も、とびきり愛おしいし、真正面から褒めてあげたいけれど、今となっては「できない」も、同じ重さで肯定していく所存。


できないもできるも、用法容量をまちがえずに適切に使いたいな、という教訓のようなそうでないような。


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この記事を書いた人
ハネ サエ.の画像
ハネ サエ.

成分のほとんどは3児のおかあさん。
おかあさん以外のときは取材をしたりエッセイを書いたりしています。

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