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公開 2018年08月10日  

親より友達。もう、そういう年頃なんだね。/娘のトースト 1話

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小学生最後の春休み。友達と遊びに出かけた唯を見送り、部屋の片付けをはじめた母の庸子は、一枚の紙くずを拾う…。


私たち、ふたりのルール


出産は、わりと難産だった。ほとんど丸一日かかって、やっと産まれた娘のフニャフニャの体を抱いて、「絶対、幸せにしようね」と言ったら、夫は涙ぐみながらウンウンと頷き、「孫の顔を見るまで、がんばるよ」と言った。

それなのに、孫の顔を見るどころか、娘が3歳になる前に、夫は死んでしまった。悲しくて、それ以上に腹立たしかった。あなた、孫の顔とか言ってたくせに、早すぎるでしょう、いくら何でも。

不慮の事故から8年がたち、今はただ、夫の分も娘の幸せを見届けなくては、とそれだけを思う。

その願いのおかげかどうか、娘の唯は、とてもいい子に育っている。

素直で明るくて、優しい子だ。算数が苦手だったり、ちょっと調子のいいところはあるけれど、そんなのはどうでもいい。唯がどんな子だって、私はただ、ありのままを受け入れるだけ。娘らしく、幸せになってくれればいい。

ずっと、そう思いながら育ててきた。

唯は、店の手伝いもよくしてくれる。夫の死後、私は夫婦で経営していた花屋をそのまま引き継ぎ、近くに住む実母の手も借りながら、どうにか育児と仕事をこなしてきた。

小さな頃は、バックヤードで遊んでいた唯も、今ではいっちょまえの顔をして店先に立つ。ブーケを作る手際なんて、バイトの子よりもいいくらいだ。

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「本当に、唯ちゃんはいい子だねえ。父親がいないのに、たいしたもんだ」

常連の山口さんがいつもと同じことを言う。ほめてくれるのは嬉しいけど、「父親がいないのに」は余計だ。いい子かどうかに、それは全然関係ない。

「でもさ、庸子さんもそろそろ再婚してもいいんじゃない?」と、山口さんが声をひそめる。

「唯ちゃんも大きくなったんだしさ、ほら、あの、会計士さん?とか、いい男じゃない。あっちも独身なんでしょ?」という言葉に、さすがの私も笑いが引きつる。ちょっとくらい言い返してやるか、と思ったところで、ちょうど唯がやって来た。

「山口さーん!はい、これ、陽当たりのいいところに置いてあげてくださいね」

唯が鉢植えの入った袋を手渡すと、「もうすぐ中学でしょ?早いわねえ、この間までこーんなにちっちゃかったのに」と笑って、山口さんは店の外へと向かう。その後ろを「卒業式、晴れるといいなあ」とつぶやいて、唯が歩いていく。

ほんとうに、子どもの成長はなんて早いんだろう。店中走りまわって、花の入ったバケツをひっくり返した姿や、バックヤードで、プリンセス映画のDVDを夢中で見ていた姿を思い出す。

思い出し笑いをしていると、山口さんを見送った唯が戻ってきた。口のあたりをモゴモゴさせている。あやしい。そっぽを向いてバックヤードへ行こうとする背中に、声をかける。

「ゆーい!また山口さんから何かもらったんでしょ?」

「え?もらってないよ」。そう話す声がくぐもっている。口いっぱいになにかを頬張ってるにちがいない。

「ちょっと、唯! ”正直に”でしょ!」

ちょっと強い口調で言うと、唯は「はーい」と返事をして、振り返った。そして「チョコ、もらっちゃった」と言って笑う。その顔を見て、私も一緒に笑う。ちゃんとお礼言ったよね、と確認しながら。


正直に話をする。


これは、我が家のルール。唯がおしゃべりできるかできないかの頃から、ずっと、大切にしてきた2人のルールだ。

親が1人しかいない分、普通の母親の2倍、私が唯のことを理解しないといけない。だから、いいことも悪いことも、正直に話してもらいたい。私の方も、相手への愛情や感謝、不満や心配も、なるべく正直に唯に伝えるようにしている。

「はあ、卒業式、なんか緊張してきた」

唯が壁にかけたカレンダーを見ている。式はもう来週だ。花屋にとってはかきいれどきだけれど、今年はもちろん臨時休業。唯の晴れ姿、泣いちゃうかな。泣いちゃうだろうな。

孫の顔を見るまで先は長いけど、なんとかここまで大きくなったよ。娘の横顔を見ながら、心の中の夫にそう話しかけてみる。

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網焼きトースト

案の定、卒業式は大泣きだった。ハンカチがびしょびしょになるくらい涙が出て、唯にあきれられた。

本人は「別に、仲いい子はだいたい同じ中学だしねー」と、泣く様子はなかった。そうは言ってもさみしさはあるのだろう。卒業式が終わり家に帰った後、何度か深いため息をついていた。

春休みに入り、唯は毎日のように友達と遊びに出かける。中学に入ったらしばらく落ち着かなくなるだろうから、店の手伝いはほどほどにして、今はうんと遊びなさいと言ってある。

「友達と約束あるから行けなーい」

「今日はママもお休みだし、一緒に買い物でも行く?」と声をかけたら、あっさり断られた。

私は「えー、残念」と言いながらも、すぐに「了解」と、引き下がる。親より友達。もう、そういう年頃だ。ちょっとさみしいけど。

「友達って?」

「んーとね、ありさとマドカちゃんとミキ」

ガスコンロでトーストを焼く唯が言う。

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火加減を見る真剣な目つきにこっそりと微笑んでから、私は「いつものメンバーだね」と答える。

私が卵料理とスープをつくり、その間に、唯がパンを焼いてバターを塗る。

私が早朝から市場に行く日以外は、そうやって一緒に食事の準備をするのが決まりだった。

半年くらい前にトースターが壊れて以来、唯は、ガスコンロに網でパンを焼くようになった。テレビかなにかで見たらしい。毎朝試行錯誤を繰り返した結果、今では見事なトーストを焼くようになった。

いろいろとコツがあるらしく、「ただ焼けばいいってわけじゃないんだよ。それじゃ、ただの焦げた生の食パンにしかならないんだから」なんて、もっともらしいことを言っている。

※ この記事は2024年03月09日に再公開された記事です。

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