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公開 2015年08月01日  

虫とりはおもしろい!2歳息子の「なんでなんで?」と昆虫あそび、ときどき頬ずり。

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4歳の息子との虫とりを通じて見える、溢れだすその好奇心、または残酷な行為。見て、触って、捕まえて、そして育ててみて、何かを掴んでほしい。そんな親としての思いと、息子の隣であの頃の続きを楽しむ私が感じた「虫とり」の素晴らしさ。


3年前、まだ息子が2歳だったころ、私と息子は「虫とり」を始めました。



きっかけはよく覚えていませんが、保育園の帰り道で見かけた虫をツンツン触ってみたり、じっと眺めてみたり、それが慣れてくると手づかみのまま家まで持って帰って虫カゴで飼ってみたり。そんなところだったと思います。



それから言葉や体の発達と共に、たくさんの疑問を抱くようにもなり、それをひとつひとつ何度も繰り返し親である私へ投げかけてくるようになります。自分よりもはるかに小さく、丸まったり伸びたり、垂直に伸びる壁を平然と登る虫たちへの「なんで?なんで?」に、大した知識を持ち合わせぬ私の頭は苦戦しました。

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その後も、息子の好奇心は尽きることはなく、変わらず続く息子の「なんで?なんで?」に感化され、十数年ぶりに昆虫図鑑を手に取った私は、記憶の隅に点々と散らばった塵のような知識と、図鑑の恩恵を合わせながら、息子のなんで?を解きほぐしていきます。



外へ出れば、建物と歩道との境に生える雑草の前でしゃがみこみ、何かと思えば「アリだ。」「ダンゴムシだ。」と、なにも珍しくもない虫をつまみ上げては初めて見つけたような顔で知らせてきたりして、徒歩5分のスーパーへ行くにも一苦労。



けれど、ときにはその1メートルにも満たない視線が葉の裏にぶら下がり翅を休めるオオミズアオや、花壇の枯れたパンジーをむしゃむしゃと食べ歩く、ツマグロヒョウモンの幼虫を見つけてくることもあるのであなどれません。

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現在、家には12種類の虫かごがあります。市販されている虫カゴから、タッパーに穴を開けて拵えたものまで。バッタ、カミキリムシ、ダンゴムシ、コガネムシ、カブトムシ、クワガタムシ、蛾の幼虫などが入っています。



息子のお気に入りは、カブトムシとニジイロクワガタ、そして蛾(セスジスズメ)の幼虫です。



お気に入りになると、もれなく名前が与えられるのですが、カブトムシは「1号」「2号」「3号」、ニジイロクワガタのオスには「にじやん」メスには「にじ子」、セスジスズメの幼虫には「すじやん」と名付け、朝晩は大抵、息子の手に乗せられ、危なっかしい戯れの時間が訪れます。



子どもと虫との関係を話す時、「子どもの残虐性」の話題になることがよくあります。少し目を離している隙に、脚を引っ張っていたり、あるいはその小さな手の中で握り潰していたりと、その無邪気さと好奇心からくる行動に虫とりを始めた頃は度々、ドキリとさせられていました。



やがて昆虫を飼うようになると、所有することで得られる愛着も生まれ、そしてただの好奇心でしかなかった昆虫たちの命の在り方が、実は自らの生活によく似ていることを知るようにもなっていきます。人も昆虫もお腹が空くし、ご飯(餌)がなくては、やがては死んでしまう。



では、そのご飯(餌)はどうするのか。買うのか、もしくはどこかで見つけてくるのか。たくさん遊ぶと疲れる、疲れたら眠たくなる。ではどこで寝るのか。昆虫もお布団(土や草)がいるのかいらないのか。何気ないそんな話が4歳にはおもしろく感じるようです。



それでもまだおもちゃに夢中になって餌やりを忘れることもありますし、乱暴に扱うこともあります。けれど、近頃はそれらを見ても咎めたり、多くを説明することは極力避け、息子なりの視点と解釈に、まずは耳を傾け、任せてみるようにしています。理由としては幼虫に頬ずりをしていたから...とでも言っておきましょうか。



息子なりに思うところはあるのかなと、その姿を見てなんとなくそうすることにしました。

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5月から6月にかけて、我が家のカブトムシたちも幼虫から蛹へと変わり、7月の上旬になるとその殻を破り、一頭また一頭と、立派な成虫へと変身を遂げていきます。



深い黒や赤茶けたもの、胸角が左に曲がったもの、少し細身のもの、これぞカブトと言わんばかりの大型まで、ひとつとして同じでない、姿も違えば気性もそれぞれです。中には蛹化不全になり、死んでいくものもあります。水分を失い、縮こまり、浅黒く変わり果てた幼虫の姿に4歳の息子は何を思ったのでしょうか。



捕まえることが楽しい。持って帰って育ててみたい。乱暴もののくせに繊細で、泣き虫のくせに虫とりの時だけは転んでも我慢。泣きたくない、かっこわるいから。手伝わなくていい、ひとりで捕まえる。うまく捕まえられた時には「ゲットー!!」と叫び、家では猫なで声で「すじやん」と幼虫を愛でる息子。



虫を捕まえて、育てて、そしてそこから産まれる新しい命、または隣合わせにある死に直面すると観察にも奥行きが生じ、あるいは標本作業へ移行することで記録へと変わり、生態の感心へと発展していきます。



二十数年前、好奇心だけで、昆虫を追いかけ、捕まえ、そこからの発展が乏しかったあの頃の私は、今では息子を通じて改めて夢中になれる週末の「虫とり」が、何よりの楽しみ。



私はあの頃の続きを。息子には今を、この瞬間を目いっぱいに楽しみ、考え、名を付け、時には頬ずりで、大きく育てていってもらいたい、ああ、虫とりはおもしろい。いくつになっても楽しめる昆虫の偉大さに、そう思わずにはいられません。

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