小1の頃、「あのね帳」と呼ばれる日記帳の宿題がありました。
あのね帳は、学習ノートの一種。
「ひらがなを書き慣れるため」「文章を書く練習」として、1クラスを3グループに分け、最低週に1回、日記を書いてくるというものでした。
「あのね帳」という名前は、書きだしの「せんせい、あのね」からきています。
その日あったできごとなどを先生に伝えるように書き、読んだ先生は朱字でコメントを返してくれるものでした。
多くの子が週に1度書いてくるのに対し、わたしは毎日書いてどんどんあのね帳の冊数を更新していきました。
書くことが好きで楽しかったのです。
"ほめて伸ばす"のお手本!小1担任のすばらしい取り組み「あのね帳」
41,074 View今、書くことを仕事にしているわたし。昔からずっと書くことが好きでした。その「好き」を伸ばしてくれたかもしれないのは、小1のときの「あのね帳」でした。
小1の宿題だった「あのね帳」
学級通信で褒められたことが誇らしかった
当時の担任は、日刊に近い頻度で学級通信を書いていました。
そこで、クラスの子どもたちのささやかな出来事を「こんなことをしていたよ」「すごかったよ」「えらかったよ」と報告していたのです。
あのね帳も、冊数を更新するたびに「〇〇さんが〇冊目になりました」と報告。
ただ、わたしが嬉しかったのはクラス1、速いスピードで冊数記録を伸ばしていることではなく、書き方について褒められたことでした。
あのね帳の書き出しの基本の「せんせい、あのね」は、書きやすくするための工夫だったのでしょう。
ただ、まわりよりもたくさん書いていたわたしは、「きょうはとてもびっくりしたことがあった」と一文目を変えたり、会話文から始めてみたりと工夫をし始めたのです。
そのことを、先生は大いに褒めてくれました。
朱字で「いいね!」と褒めてくれ、学級通信にも書き出し部分を縮小コピーして載せてくれたことを憶えています。
「書き始めの工夫がいいね!」という先生の言葉が、とにかく嬉しく、少しこそばゆいような誇らしい気持ちになりました。
日記から物語へ移っていった「あのね帳」
わたしのあのね帳は、2学期の終わりごろから日記ではなく物語のような創作へと移っていきました。
それも、毎日続きものを書くのです。連載ですね。
もしかしたら、別の先生だったなら「あのね帳には日記を書くんだよ」と言われたかもしれません。
しかし、当時の担任の先生は楽しく読んでくれ、コメントも書いてくれました。
大人の視点から否定されなかったこと、これが書くことを楽しむ土台を作ってくれたのだと思っています。
数十冊の「あのね帳」は、今につながる原点
結果、書き上げた「あのね帳」は数十冊。
今も実家の押し入れに保管されています。
この後、わたしはずっと書くことを楽しみつづけ、今、仕事としても書くようになったのです。
もともと書くことが好きなタイプではありましたが、あのね帳のおかげで楽しみながら文章を書く力を身に着けられ、誰かに読んでもらう嬉しさを体験できたのだと思っています。
今度帰省したときには、わたしの原点を読み返してみようかな。
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