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公開 2015年05月15日  

こどもへの暴力を見かけたら?虐待を発見する「優しい目」

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連日のようにある虐待報道。「これって虐待?」という状況を見かけたとき、私たちはどのように関わることができるのでしょうか。暴力をふるうほど追い込まれている、その親自身を守るためにも、必要な視点について考えてみました。

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28144079694

虐待という悲しいニュース

「虐待」という言葉をニュースで聞かない日はないくらい、悲しい事件が報道されています。



「24時間以内に死ね」と14歳の息子に言って自殺させた父親、兄弟げんかで父親の威厳を見せるために9歳児の指を切断した父親、3歳児を突き飛ばして外傷性ショックで死なせた母親、母親の交際相手に暴力を振るわれ首を絞められて殺された6歳の女の子…。



我が子が生まれたとき、「一生守りぬこう」「一生大切に育てよう」と誓ったはずなのに。「大きくなったら自殺を強要しよう」とか「いつか殴り殺してやろう」と思って産み育てた親は絶対にいないのに…。



あまりに悲しすぎる現実。育児の孤立化、個室化。そして、出産するまで「子ども」という存在との接点がなかった親がほとんどという時代の背景があります。

もし虐待を目にしたら?

もしも「こどもへの暴力」「虐待」を目にしたとき、どのように関わったらよいのでしょうか。



実際にこんなことがありました。人通りの多い駅で泣き叫ぶ幼児をヒステリックに蹴りつけ怒鳴りつけている母親の様子を、通行人が動画撮影しSNSに公開したのです。この動画には「おい!!虐待だろ!」「証拠動画撮ったからな!」という声も入っていました。無関心な通行人が多い中、問題提起するためにとった行動でした。



確かに子どもへの暴力は許されることではないし、この母親の行動は虐待と呼ばれる行為でしょう。問題行動であり許されることではありません。しかし、人通りの多い駅で人目もはばからず怒鳴り声をあげ暴力をふるっているのは冷静さを欠いた行動です。精神的に追い込まれている状況です。



このような状況の母親が、通行人の言葉をどのように感じていたか…想像するだけで苦しくてたまらなくなるのです。

余裕のない母親の状況

育児中に、周りに助けてくれる家族がいるときや、世話をする時間が制限されているときは気持ちの余裕があるでしょう。しかし「長時間たった一人きりで」子どもの世話をするのは「母親ならできて当たり前」なのでしょうか。



外出時に荷物(それも入っているのは子どものおもちゃや洋服)を抱え、かんしゃくを起こして泣いてのけぞる子どもを抱いていたなら…。そしてこの状況の前に、心理的に大きなストレスを抱える出来事が起きていたとしたら。もし日々安らげない生活をしていたとしたら…。泣き叫びかんしゃくをおこす子どもに対して、冷静ではいられない大人がほとんどなのではないでしょうか。



さらに、そんな心理的に追い込まれている状況で攻撃的な言葉を投げつけられたら…。ますます激昂してしまうことを心配します。逃げるようにその場を去った後「この子が泣き叫んだせいで恥をかいた」と、子どもにきつく当たっていないだろうか心配です。



目立つところだと問題になるからと密室での虐待に発展しないか、それも心配です。そして、この母親自身をいたわりケアする人がいるのかどうか…そのことも心配でたまりません。

虐待をする親は特殊な親なのか?

虐待がクローズアップされて久しいけれど、「鬼母」「狂気」「奇行」とセンセーショナルな文字を目にする機会が多いのが気になります。虐待は一部の特殊な親の問題であって、まるで自分たちとは住む世界が違う人の話のような報道には違和感を覚えるのです。



丁寧なルポライターとして知られている杉山春さん(代表著書「虐待」「ネグレクト」)は著作の中でこう書いていらっしゃいます。「虐待しているのは、残虐非道な親ではなく『ごく普通の人たち』で、虐待してはいけないことを十分に知っているのだ」と。

感情からふと我にかえれる関わりを

泣き叫んでいる子どもを見かけたら、私たちに何ができるでのしょうか。子どもに暴力をふるっている親に出会ったら何ができるのでしょうか…。もちろん、命にかかわるような状況なら通報も必要かもしれません。でも、命にかかわる状況ではないときは、感情的になっている親が「ふと」我にかえれるような関わりが必要なのではないかと私は思うのです。



「あらあらどうしたの?」と子どもに声をかける。飴玉を差し出し、笑いかける。「ママも大変よねえ」とママをねぎらう。「大丈夫ですか?手伝えることはありますか?」と話しかける…。ただニコッと笑いかけて通り過ぎるだけるだけでもいい。



たったそれだけで、沸騰し激昂している親の気持ちがほんの少しでも静まることを…願いたい。



育児中は、精神的に安定しているときばかりではありません。体調の悪い時や、夫婦げんか、身内の不幸、経済的な問題…。シングルマザーなど周りのサポートがない親も大勢いる。



私自身も、親のサポートは得られず、夫は長期出張、転勤したばかりで地域に知り合いがいない…そんな育児を経験しています。余裕があるときは冷静に対処できることでも、気持ちが不安定なら冷静ではいられなかった。

虐待発見に必要な優しい目

私は、虐待の発見に必要な「地域の目」とは、「虐待を発見する目」ではなく「やさしく見守る目」であり「頑張っている母親を認める目」であってほしいと願います。頑張っていることを認めてもらい冷静になったら、虐待しそうな自分を止めることができるかもしれない。



もしも虐待している母親をみつけたら、責めるのではなく、そこまで追いつめられるほど頑張った努力も認めてあげてほしい。そうしたら、本来の優しい気持ちを取り戻すこともあるのではないでしょうか。



もちろん子どもに暴力をふるったり罵声を浴びせることを擁護するつもりはないし、虐待は許されることではありません。子供の安全を守ることが最優先の状況もあるでしょう。



しかし、私自身も孤独な育児を経験し、自分を見失いそうな瞬間が何度もありました。泣き叫び続けるわが子に冷静さを失いそうになった時は、通りすがりの人に舌打ちをされた時や「しつけがなっていない」と責められた…そんな時でした。



今、この瞬間にも、育児で悩み、子どもを怒鳴り暴力をふるいそうに追い詰められている親が一線を超えないためには、私たちに何ができるのでしょうか…。



まずは関心を持つこと。そして、ちょっとだけお節介になること。心こもった人としての関わりを願ってやみません。社会全体が子どもたち、そして育児中の親を温かく見守れる社会になることを願っています。

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