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公開 2016年07月12日  

結婚して“妻”、出産して“母親”。だけど、本当の「私」はどこにいる?

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結婚して妻になり、出産して母になる私たち女性。「妻」も「母」もいいけど、それだけじゃないってまっかちんは思います。皆さんはどうですか?


目次 “母”である自分と “妻”である自分から逃げたくなった
「私」にもいろいろあると気づいた
本当の「私」って誰でしょう?

“母”である自分と “妻”である自分から逃げたくなった

こんにちは、働く女性ときに母のまっかちんです。

子どもを産んで育てることになった四年前、私は初めて“母”としての自分と出会いました。

母である自分は、子どもの体調に一喜一憂し、子どもの機嫌に左右される毎日。

そんな中、「家族のための自分」から脱出できなくなっている…と、いつしか感じるようになりました。

子どものための私=母。
それ以外の時間も夫といる私=妻。
母か妻でしかない自分。


…私は本当は誰なのか?
そんな状況に違和感を抱いて、夫と子どもを家に残し積極的に外に出るようになりました。

「私」にもいろいろあると気づいた

外に積極的に出るようになって気付いたことがあります。

まず、そもそも私にとって、家族といるときの自分が「一番好きな自分」なのかどうかと問われると…実はそうでもないということ。

もちろん家族といるときの自分が好きじゃないわけではありません。

ただ、家族といるときの自分と同じくらい、職場にいる自分も好きですし、学生時代の友人と話している自分も好きだったということを思い出したのです。

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Photo via VisualHunt

また、“私”と呼べる存在が一種類ではないということにも気がつきました。

みなさんも、
・「妻(夫)」である自分
・「母(父)」である自分
・「誰かの友人」である自分
同じ自分でも、外へ向ける顔や態度が異なっていると感じることはないでしょうか?


私の場合、例えば息子といるときは基本的に寛容です。

息子はまだ人生を数年も生きていませんし、生活上の活動を器用にはこなせない。

おもらしをして戸惑った顔をしていれば、私は、「大丈夫?自分で着替えられる?何か手伝うことはある?」と気遣うし、出来上がったブロックの作品を見て欲しいということがあれば、家事の手を止めて見に行きます。

けれども職場に行けば、私は組織の利益を軸に据え判断し、タイミングを見て上司に報告し、締切に間に合うよう書類を作成する。
息子といるときのようなのんびりした気持ちではいません。

言葉は悪いですが周囲になめられないように、わざと毅然とした態度をとることもあります。
曖昧な態度をとらないことを心がけているので、周囲からは少しきつい人間に見えているかなというのが自己分析です。

ではなぜ、このような違いが起きるのか。

私は、作家の平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」という考え方を知り、その理由が腑に落ちました。

平野さんは本の中で、私たちは唯一の「本当の自分」は持っておらず、一緒にいる相手によって、振る舞いを使い分けていて、そのそれぞれのキャラクターを「分人」と呼んでいます。

あなたは誰に対しても首尾一貫した態度を取る必要はないし、そもそも取れない。
なぜならあなたがこだわっている「自分」(人格)というものは、他者と向き合ったときに、その相手との関係性によって、その都度、起動し、喚起されるものだから――。

つまり、母親として上手く振るまえなくても、職場での自分は好きに感じる日もあるし、逆に仕事はぼろぼろだけど、息子といる自分の振る舞いが自己肯定感を高めてくれる日もある。
プライベートがうまくいかなくても、夫との関係が良好な時期も、その反対もある。

「分人主義」は、そのどのシーンの自分(分人)も確かに自分であって、特定の分人がうまくいっていない時も、自分の全てを否定しなくていいんだよと、私に教えてくれたのです。

本当の「私」って誰でしょう?

結論、「本当の私」は、実は一人じゃないと思うんです。

昨日の職場での態度と、今日子どもに対してとった態度は矛盾しているかもしれない。
夫に話した気持ちと友人に話した気持ちはそれぞれ少し違っていて、子どもといるときの自分からは考えられないようなことかもしれない。

でもどの自分も「本当の私」だから、それぞれの「本当の私」(分人)を、好きな割合で楽しめればそれでいいのではないでしょうか。


家族といるときの自分が、自分の中で「一番」大切でなくてもいいとも思います。

私は、それぞれの自分(分人)を家族といる時の自分(分人)と同じくらい、大切にしたい。
(もしもそれがダメなら、家族とうまくいっていない人や両親がいないような人間は、この世で「一番」大切な自分が欠落している、ということになってしまうと思うのです。)


そして忘れたくないのは、私にも複数の本当の自分(分人)がいるように、息子や夫にも複数の本当の自分がいるということ。

きっとそこを忘れずにいられれば、いい家族関係も自然と築いていける気がするのです。


もっとたくさんの「妻」や「母」である女性が、いろんな自分を好きになって幸せな家族が増えますように! 
まっかちんは応援しています。

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