講談社『FRAU』7月号に掲載された広末涼子さんのインタビューが話題と聞き、私も読んでみました。
読んでみて、ふう、とお茶を一口すする。うん、なんて素直でハツラツとした魅力に溢れる女性なんだろう、と爽やかな後味です。
無邪気な笑顔を見せたかと思えば、大人の女性の魅力もある。ファンに夢を見せてくれるタイプの女優さんです。なのに、一体どんなわけで話題になったわけ?と蓋を開けてみたら、こういうわけだったのでした。
広末さんは過去に、「育児放棄」と読めるような記事を週刊誌に書かれ、出版社を訴え勝訴しています。「育児放棄」と言われにことにおいて、後ろ暗いところは何も無い。だからこそ、言葉による弁明はしてこなかったー「言い訳してるみたいで嫌」だから。
数年たった今、それについて語った今回のインタビューが「大反論」として話題になっているのです。
実際にインタビュー読んでみると、話題になっているほど「反論」というほどの気負いも思いもなく、さらりと語られたものという印象を抱きましたが。
我が家のリビングには実はテレビがありません。ですので芸能界については全くといっていいほどの門外漢ですが、こんな私でも、子どもを持つ女性芸能人に対するバッシングと、それが発端でSNSに巻き起こる波紋はたまに目にします。
一番最近で私が憶えているこの手のバッシングが、道端アンジェリカさんに対するものです。
彼女は「週に一度は子どもをベビーシッターに預けて、夫と男女の関係に戻りたい」というような発言をしました。それに対して巻き起こった“炎上”の周辺には、こんな言葉が飛び交っていました。しかも、女性から。
「もうお母さんにならなきゃいいじゃん」
「子どもよりデート優先なんて、大丈夫?」
「子どもを預けて遊ぶ母親・・・ひいた。」
などなどの、“母性神話”・・・母親は子どもに対して絶大な影響力を持つ存在だからこそ、完璧であるべきという考えに基づいていると言えるような、母親に対する厳しい言葉でした。
実際、飲み歩く父親芸能人なんて、話題にもなりませんしね。標的になるのは女性だけなのです。
多くの人が、表向きには目の前にいるお母さんを非難したりしません。
特にママ友同士の会話なら、基本的には「デート?素敵じゃない、行った方がいいよ」と、ニコニコして理解ある言葉をかけてあげられると思います。
心ない非難の刃は「匿名」という鎧に隠れたものがほとんど。表立っては姿を見せないものです。遠い存在である芸能人に対して、ネットというツールを介することで、より鋭い矛先が向かってしまうのだと思います。
ですがここで、もう一つ考えたいことが。
他人のデートを勧められる人は、ご自分に対しても同じように「子どもをおいて好きなところで遊んできていいよ!」と、言えますか?
テキパキと託児の段取りをしてばっちりお洒落とメイクを自分に施し「よっしゃ!行ってくるーーー!」って飛び出せる人は、実はそうはいないのではないかと思います。
苦しい事をガマンしてやり遂げることを美徳とするこの国では、例えば一昔前の、"何もかもガマンして苦労して子どもを育て上げた”ような母親像こそを、“尊い存在”と見なしてしまいがちです。
実際私の母は、長い間自分のために雑誌や書籍一つ買わない女性でした。彼女が初めて純粋に自分のために『家庭画報』を買ってきた日を今でも憶えています。当時私は大学生、なんとそんな母をみて、嬉しくて涙をこっそり流したのを覚えています。
「子どもに対して、いい母でありたい」「いい妻でありたい」「いい嫁でありたい」これらはほとんど呪いのように、実は私たちをがんじがらめにしています。SNSに吹き荒れるバッシングや、それらを煽る週刊誌の記事の大元にあるのは「本当はそうしたいのに、できない自分」に対するフラストレーション。私たちの無意識の声なのかもしれません。だからこそ、こうした話題に強く反応してしまうのです。
まずは、ご自分に問いかけてみるところから始めたいものです。「自分は今、ガマンし過ぎていない?幸せ?」と。