障害のある子どもの就学に関しては、現在ではどこの自治体であっても本人や保護者が希望すれば、重度といわれる障害のあっても常時、普通教室で学ぶことが可能になりました。
しかし、現実的に考えると、なかなか普通教室で学ばせるという希望を出せない保護者の方が多いのではないでしょうか?
大阪府では『共に学び、共に生きる教育』が基本となっています。
学校間で取り組みに大きく差があるものの、基本的な教育方針としては、障害の有無に限らず家庭環境や国籍の違いも関係なく、どんな子どもも共に学ぶ、を掲げています。
大阪には、話題になった映画『みんなの学校』の大空小学校以外にも、ずっと昔から支援学級(又は養護学級)を作っていない学校がいくつもあります。支援学級がないので、当然のことながらどの子どもも同じ教室で一緒に学びます。
今でいう「インクルーシブ教育」といわれる実践が、大阪では40年以上も前から行われているのです。
私は、重度の障害があるお子さんこそ、地域の学校で皆と一緒に学ぶのがいいと考えています。
では、なぜ地域の学校へ行くといいのか?
それは、障害が見ためにすぐ分かりやすいからです。
見た目に分かりやすいということは、一緒に過ごすほかの子どもたち自身が、その子に対してどんなことに手を貸せばいいのか?が分かりやすいということ。
逆に、見た目に障害があるのか分かりにくいお子さんの場合、周りの友達はその子の障害や個性をなかなか理解しにくいようです。子ども同士の関係がスムーズにいかない場合もあり、保護者の会でもお母さん達が悩まれていることは多いです。
そんな場合、大人が子ども達に通訳する必要が出てきます。互いの違いを認め合い、相手の気持ちを考えることを大人が教え続けなければならないと思います。
私の娘には最重度の知的障害があります。
しかしながら、娘と周りの子ども達の様子を見てきて感じたことや、親の会で他のお子さんの様子を聞かせてもらうと、子ども達はできない事の多い友達のために何をしてあげればいいか?喋れない友達の気持ちをなんとか分かってあげたい、などと大人が教えなくても自分達で考えるようになってきています。
それが結果的に、障害のある子に限らず「誰に対しても相手の気持ちを考える」ことに繋がっていくのだと気がつきました。
また、障害のある友達の個性を認めることで、『出来ることがよいことで、出来ないことはよくないこと』という価値観をも覆していくように思いました。そして子どもたちは、『失敗してもいいんだ』と安心して自分の個性をそのまま出せるようです。
多くの大人たちはこれまでの常識や固定観念に囚われがちで、『あなたの為に…』と言いながら、子どもを自分たちの定型にはめ込もうとしてしまいます。障害のある子には、学校生活に支障をきたすからと薬の服用を始めることにもなりかねない。
そんなことでは、いつまでたっても障害のある子どもたちの生きづらさは改善されないと思うのです。
重度や最重度の判定を受けている子どもは、どんなに周りが必死で定形の枠にはめ込もうとしても、はまらないことが多いです。
娘の場合は、授業中に静かに座っていることはできませんでした。時には立ち歩いていることもありました。
席に座るように促されたり、静かにするように注意はされていたはずですが、先生方も周りの子ども達も、娘がわざと皆を困らせようしているわけではない、と分かってくれていました。うるさいと思われることはあったでしょうが、それでも娘の行動を咎めることはありませんでしたし、娘の好きなようにさせてくださっていたことも多くて有り難かったです。
プールの時間は、娘の浮き輪やライフジャケットも持って行きました。中学校では、先生方がプールサイドにビニールプールを設置してくれました。夜間の高校へ通っていた時は、高校のプールの授業でビニールプールを持参しました。
既存の常識や固定観念がガタガタと崩れ落ちていくさまを感じる時には、誰でも大きなショックを受けます。ですが、一旦崩してしまえば逆に面白くて、そして型にはまらない生き方は、とても楽なんだと私は気づきました。
本来は、障害のある子に限らず全てのお子さんが、大人の型にはまるわけがありませんね。
子どもが皆、いきいきとその子らしい生き方ができるようになれば、きっとどの子どもにとっても生きやすい世の中になるのではないでしょうか?
私は今までずっと、大人は子どもに「教える」立場だと思っていました。しかし子ども達は豊かな発想をもっていて、障害のある友達にとって、周りはどうしたらよいか?を考えさせてくれます。大人が子どもに「教えられる」のです。
実際に教育の場でも、障害のある友達のことを理解しつつ、どこまでが配慮でどこまでが特別扱いになるのか?をよく分かっているのは子ども達の方で、大人の方が教えられることも多々ありました。
このような経験は本当に目からウロコで、大人も一緒に子どもたちから教わりながら、互いに成長し合うのだと思います。そうしていつの間にか、障害のある友達だけではなく、どの子にとっても(もしかすると先生方にとっても?)居心地のいい学校になっていくのではないかな、と感じました。大阪府の『共に学び、共に生きる教育』の実践を記した書籍を読んでみても、そのことを実感できることでしょう。
もしも今、学校生活で「しんどいな」と感じることがあり、それを解決する手段として「学ぶ場を分ける」ことを考えているとしたら、重度の障害といわれるお子さんこそ普通教室で!という逆転の発想をしてみませんか?
一緒に育ち、一緒に居心地のいい学校を作っていく子どもたちが大人になった時、どんな社会になっているかと考えると私はワクワクしてしまいます。
次の記事では具体例として、障害がありながらもずっと普通教室で過ごしてこられた、大阪市に住む健太さんをご紹介します。