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公開 2016年04月26日  

「よい母親」の理想に苦しんだ私が気づいた、大切にしたいこと

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子どもを育てるにあたって、自分はよい母親でありたい、優しい母親でありたい、などと理想を持つものですが、現実はそう簡単にはいかないですよね~。
継母も然り…。


理想の母親像を追い求めすぎると、ストレスになる。

子持ちのシングルファザーと結婚し、
突然、小学生と園児の子どもを育てることになった私は、母親とはどういうものなのか想像しました。

通常なら我が子を妊娠し、出産を経て、我が子を愛おしいと思う気持ちから自然と母親になっていくものなのかもしれませんが、それらを何一つ経ていない私は、子どもにかけるべき愛情も含め、全てが手探りの状態でした。

まずは、躾の面。
子どもの手本となるべき親は、子どもの前で汚い言葉遣いをしてはいけない。
行儀の悪いことをしてはいけない。
悪いことは叱らないといけない。
子どもの前では正しくあるべき。

そして、愛情面。
子どもと目があったら優しい笑顔を向けないといけない。
手つなぎは母と子の大事なコミュニケーションの一つであるから無下にしてはいけない。
子どもと外を歩くときは危険の少ない歩道側を歩かせる、などなど。。

これらのことを常に頭の中で考えながら、自分の理想とする母親を演じる、そんな日々でした。
しかし自分の気持ちを無視した、頭の中で考える行動を続けていると、やはり無理が出てストレスが蓄積されていき、それは体や心に表れます。

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母親は家庭の中心となる存在。ストレスを溜めて暗い顔をするより、楽に考えて笑顔でいるべし。

特に継母にとって、最も難しいのが、愛情面。

我が子の元気な姿や笑顔を見ているだけで幸せになれる。
そんな我が子なら自然と湧き出る愛おしさというものが、悲しくも継母には備わっていないのです…。

例えば、よその見ず知らずの子に我が子と同等の愛情をかけて育てられるかと聞かれれば、それは難しい話だと思いますから…。

かと言って、難しいから出来ない・しない、では何の罪もない子どもが不憫だし自分も成長しない。
子どもにとっては、自分の家に知らない大人が突然住むことになったわけですから、それだけでストレスですもんね…。

だから、自分も周りも楽しく生活する為に、努力は必要だと思うのです。
しかし努力をしすぎると、最初に書いたようにストレスとなって自分を苦しめてしまい、結果的に悪循環になってしまう。
難しいところです。

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そのため、私の場合は「この子達が立派な一人前になれるよう育てなければ」と真面目に考えるのはやめて、単純に「自分自身が楽しく暮らしたい」と考えることにしました。

そうやって考えを変えるだけで、心が軽くなり気分も明るくなりました。

自分が楽しく暮らすための努力なら、惜しくないですから。
それに私が明るくなると、子ども達も明るくなるのが分かります。

逆に自分が落ち込んだり暗くなったりすると、家族も暗くなります。
改めて継母然り、母親というものは家族の中心的な存在なんだなぁと何度も感じ、自分の在り方を反省したりしました。

そして子ども達や生活にも慣れ自分に余裕が出てきた頃、「自分が関わった以上、自分も周りも幸せにしたい」という考えに変わり、今もそれは変わりません。

まずは自分を楽にすることから。
それがよい結果へと結びつきました。

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