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公開 2016年04月21日  

学校には居場所がなかった。でも、そこにいる時だけ、ぼくは自分らしくいられた

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新年度のはじまりは希望に満ちて、とてもウキウキするものだと思います。
だけど、小学生だった頃のぼくにとっては、それは憂鬱な毎日のはじまりでもありました。


こんにちは。NPO法人tadaima!の三木です。

新年度のはじまりは希望に満ちて、とてもウキウキするものだと思います。
だけど、小学生だった頃のぼくにとっては、それは憂鬱な毎日のはじまりでもありました。

ぼくは、学校に居場所がなかった

小学生のころ。ぼくはイジメられていました。
学校に行けば、机がない、グループになって何かをするような授業ではいつも1人、呼び出されれば殴られる。
ぼくにとって学校とは、ただただ辛い場所だったのです。

随分と太っていて、どんくさかったからでしょうか。
先生にもよく「シャキッとしなさい!」と怒られていました。

当時は自分が友達と仲良くやれていないことを、先生にはもちろん親にも誰にも知られたくなかったぼくは、いつもヘラヘラと人の顔色ばかりを伺うようになっていたと思います。
その態度が、周りの嫌悪感をより増大させてしまっていたのか、時が過ぎるほど学校とは馴染めなくなっていきました。

そしていつの間にか、学校にはぼくの居場所はどこを見回してもなくなっていました。

休み時間になれば、屋上へ続く踊り場でぼーっと時間を過ごし。
給食の時間は、「太ってるからいっぱい食べるんだ!」と思われるのが嫌で、食べたいのに少し残したり。
昼休みは校舎の裏で座っているか、誰とも話なんてしないのに、遊んでいるみんなのそばで一緒に遊んでいるフリをしていました。

ぼくにとっての「家」という場所

学校が終わると、逃げるように家に帰りました。

いろんな苦痛から開放されて、ワガママを言ったり、笑ったりできる場所。
戻ってこられる場所であり、存在することを許される場所。
笑い合える家族が待っていてくれる場所。
ぼくにとっては、唯一自分らしくいられる場所。

それが家でした。

温かいごはんがあって、ちょっと口うるさくて心配性の母がいる。
弟と一緒にTVのチャンネルを取り合ったり、遅く帰ってきた父を迎える。

ダイニングテーブルには、ぼくの椅子がちゃんとあって
その椅子の前には、ぼくのためのご飯が並べられていました。

自分のために用意された物がある。
学校に居場所がなかったぼくには、それが本当に嬉しいことだったのです。

当時は特に意識していたわけではありませんが、学校や社会に馴染めなかったり拒絶をされてしまっても、家にはぼくを受け入れてくれる場所がある。
それが何よりの救いだったのです。

母からの「ありがとう!」という言葉

当時は、家に帰ってきてもグズグズしたり、ひとりで本を読んでいたり、決して家のお手伝いをよくしたり、宿題に精を出す子どもではありませんでした。

それでも太っていたからか、お腹はいつも空いていて、母が帰ってくるまで我慢ができない時は自分で簡単なご飯を作って食べていました。
「せっかく作るんだから」と、母も食べられるように多めにご飯作ったら、仕事から帰ってきた母が、まっさきに食べて「ありがとう!」とすごく喜んでくれたのです。

たぶん、その「ありがとう!」が嬉しくて、ぼくは料理が好きになったんだと思います。

ぼくは「もう、何もかも嫌だ」と思うたびに、ご飯を作ってみたり、家を簡単に片付けてみるようになりました。
ぼくが作ったご飯を毎回まっさきに食べて大喜びしてくれる母の姿を見ると、「作ってよかった」と思えました。
そして「また作ろう」とも思いました。

自分が家族のためにやったことに感謝してもらえることが、生きることへの大きな励みになったのです。

「ただいま!」は元気のバロメーター

家に帰ってきて最初に家族に向かってなげかける「ただいま」という言葉は、元気のバロメーター。

楽しく、幸せな時は元気いっぱいな「ただいま!」には、同じように元気な「おかえり!」
疲れていたり、悲しい時は落ち込んだ「ただいま」の後には、家族を気遣う「おかえり」

いろんな「ただいま」があると思いますが、「ただいま!」という言葉は、「待っていたんだよ」と言う気持ちをこめて「おかえり!」と伝えたいです。

そして、娘が大きくなった時、「ただいま!」と「おかえり!」が元気よくキャッチボールされる家族でいたいなぁと思います。

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