インフルエンザの流行が、やっと落ち着いてきました。
今シーズン、熱を出してインフルエンザの検査をしたお子さんも、多かったのではないでしょうか。
今回のお話に出てくる5歳のIちゃんも、そんなお子さんのひとり。
熱が出た直後に近くのお医者さんでインフルエンザの検査をして陰性だったけれど、熱が続くのでもう一度検査してほしいというご家族の希望で、夜の救急外来にやってきました。
相談の結果、インフルエンザの検査をすることになりました。
でもあの検査って、すごく過酷な検査ですよね。
鼻のおくーのほうまで細い棒をつっこまれ、オエってなって涙がでる…大人でもつらい、やりたくないと思う人もいるほどです。
Iちゃんの場合、ご家族があらかじめIちゃんに「インフルエンザの検査されるかもしれない」と伝えてくださっていたので(事前に子どもがこれから何が起こるか知っているということはとても大切なことです)、半泣きになりながらも、診察と説明には耐えてくれました。
でも、いざお鼻の棒がでてくると…
ふんばっていた気持ちがぷつっと切れたかのように、
自分の鼻を死守すべく、これでもかと殴るわ蹴るわの大暴れ。
格闘の末、やっと検査が終わってから思わず、
「がんばったね」
「がんばった、うん」
「えらかったね」
と、汗だくのお母さんも私も看護師さんも口々にIちゃんの言葉をかけました。
すると、Iちゃんが叫んだんです。
「がんばってない!!がんばってなーーい!!!」
はっとして、おとな一同沈黙。
そうか、彼女はべつに自分のやりたいことを懸命になってやっていたわけではなくて、
ただ強制的にせまり来る力に耐えただけなんだ、と。
「がんばった」って言いたかったのは、言われたかったのは、がんばってIちゃんを押さえつけた私たちだったのかもしれません。
がんばる、ってなんだろう?
やりたいことに懸命になること?
つらいのに無理して耐えること?
そもそも「がんばったね」というのは、
本人ではなくて、大人の満足感を表している場合もあるかもしれません。
子ども自身の立場でとらえ直してみると、
違った表現になるのかもしれないですよね。
同じように考えると、
「いい子にしていたね」「困った子で…」といった子どもに対してよく使う表現も、
「誰にとっていい子」で、「誰にとって困っている」のか…
子どもの視点でもういちど振り返ってみると、その中心は大人だった、ということもありそうです。