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母が子どもを思う気持ちに時差はない。野口英世の母親の「子育て論」から学べること

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千円札の肖像として日々目にすることの多い野口英世。日本のみならず、世界を舞台に細菌学者として医学の発展に貢献した人物です。貧しい家庭環境や左手の火傷といった逆境をはねのける生き方には、母シカの存在が大きく影響しています。そこから学べる子育て論とは?野口英世の母をご紹介します。

目次 貧しい家庭から世界の医学界に送り出した母
子どもがハンディキャップを背負ったとき、母は
母シカが働く背中で教えた「努力する姿勢」
長所を伸ばす、母の励まし
母が子を思う愛は、時代を経ても変わることはない

貧しい家庭から世界の医学界に送り出した母

伝記ものや教科書に掲載されることもある野口英世の人生は、断片的なエピソードとして記憶に残っている人も多いでしょう。

幼いころ母が目を離したすきに、囲炉裏で火傷を負った左手、
貧しい生活を支え身を粉にして働いた母、
後年外国に送った母からの手紙…。

その多くは、母シカとの関わり抜きには語れません。

野口英世の母とは、どのような人だったのでしょうか。

子どもがハンディキャップを背負ったとき、母は

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野口英世は1歳半のときに、火が残っていた囲炉裏に手を入れてしまい、大火傷を負います。
自分が目を離したために起こった事故で、子どもがハンディキャップを背負うことになってしまったら、母親は誰しも強い自責の念を抱くでしょう。母シカもこれを境に、人が変わったようだと評されています。

元来働き者であったシカは、昼間の農作業の上に、猪苗代湖でエビをとったり、荷物を背負って20キロの距離の運搬作業をしたり、寝る間も惜しんで働きます。酒と博打に溺れ、不在がちであった野口英世の父佐代助。

父親に代わって生活を支える必要に加え、シカの頭にあったのは、英世の将来のことです。

英世が大人となって生計をたてるときに、火傷によって指が癒着してしまった左手では百姓は難しい、とシカは考えます。
そして、学問を身につけさせたいと英世を励まし続けます。

ところが明治の中頃は、高等小学校でさえ、裕福な子でなければ進めない時代だったのです。

シカにすれば、清作のやけどは自分の不注意のせいだ、清作の手では畑仕事は無理だ、ちゃんと学校に行かせて自分の道を見つけさせねば申し訳ない、しかし学校に行かせるにはお金がいる、とそのような思いが強かったのです。

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英世がハンディキャップを背負ったときに、もし母親自身が子どもの運命を呪い、
もうこれでこの子の道は限られてしまった、と思ったとしたら、のちの英世の活躍はなかったかもしれません。

そのくらい母シカは、ただただ、英世の将来について「どうしたらいいか?」を考えていたのです。

また英世の事故について、母シカは悔やむ一方で、「ありがたい」と感じていたようです。

それは怪我はしたけれども、命があって「ありがたい」という考え方です。

祖母に育てられて影響を受けたシカは観音様を信仰し、「ありがたい」という言葉が口癖でした。

たとえ困難な事態に直面したとしても、感謝の気持ちを忘れずにいると、
道を拓く視点や前向きな心が支えられるのではないでしょうか。

母シカが働く背中で教えた「努力する姿勢」

後年アメリカに渡った後は、周囲の人に「一体いつ眠るのか」と言われるほど、英世は研究に打ち込んでいたといいます。
最終的には黄熱病で自らも命を落とすこととなってしまいますが、
努力や忍耐を尊び、研究実験や語学習得には並外れた集中力で臨んでいました。

母シカは、7歳で奉公に出て働き、読み書きを正式に習っていません。農作業をしながら、のちに産婆の仕事もするようになりますが、時代の移り変わりとともに、免許取得が必要となってきます。
そのときに一生懸命覚えた字で書いたのが、世に広く知れ渡っている英世への手紙です。

英世の勉学のためならと男性でも厭うような仕事をし、そのときそのときで全力の努力を続けて働いたシカ。
英世の努力を続ける姿勢は、母の背中から学んだものに違いありません。

1912年(明治45)母シカは幼いころ覚えた字を思い出しながら、アメリカにいる英世に帰国を切望する手紙を書きました。この手紙を手にした英世は親不孝をしている思いがして涙が止まりませんでした。

長所を伸ばす、母の励まし

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細菌学の研究に身を投じ、現在でも業績や名が称えられる野口英世ですが、完全無欠の人物であったわけではありません。女性や金銭関係には、きっちりしていない面も持っていたようです。

どんな人間も両親からの遺伝子を持つ以上、長所を持っていれば短所も持っています。
英世も成長過程で行く道を間違えれば、短所だけが目立つ人物となっていたかもしれません。

母シカは、どんなときも「お前ならできる」と声をかけ続けました。
小学校で左手のことをからかわれたときも、住み込みで医者の勉強を始め、嫌がらせに耐えかねて帰ってきたときも。

シカの「お前ならできる」という言葉は、英世がたやすい方向に流されず、難しい道のりを歩む原動力となったことでしょう。

母が子を思う愛は、時代を経ても変わることはない

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母シカが生まれたのは幕末。現在とは時代が違いすぎると思われるかもしれません。

しかし、信仰が身近になくても、誰もが読み書きできる時代であっても、母が子どもを思う気持ちに100年の時差はありません。
常に忍耐と感謝の心を持ち、野口英世を育てた母シカの生き方に、現代にも通じる子育ての姿勢が学べます。

現在にあってさえ、家庭環境や子どもの性質はそれぞれに異なります。

この世にわが子が存在してくれることに感謝し、ないものではなくあるものに目を向ければ、
子どもにかける言葉も変わってくるのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

yumiK

2人の男の子の母。おむつはずしの日々もおねしょに悩んだことも、笑って話せる思い出になってきました!...

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