先日、こんな光景を見かけました。
母親が1人で3人の子どもを連れ、国道沿いの歩道を歩いていました。お子さんのうち、1人はベビーカーに乗った1歳くらいの子、1人はベビーカーの後ろにつかまって飛び跳ねてふざけている2~3歳の子、もう1人は少し大きくて4~5歳でしょうか。元気よくはしゃぐ男の子でした。その親子はスーパーの買い物帰りらしく、トイレットペーパーなどの荷物もありました。
そんなときに、4~5歳の男の子が突然交差点を走り出したのです。そして、目の前には左折しようとしているトラック。ママはベビーカーを押して走り出そうとしながら大声でこう叫んだのです。「オイ、コラ~ッ。○○○(名前)走るな~!止まれ~っ!」と。
傍で見ていた私でも、「危ない!」とドキッとするような出来事。男の子は、ママの大声に驚いてその場に止まり、トラックの存在に気付いてからママのほうへ振り返りました。母親は駆け寄り子どもの肩をつかんで「あぶないだろ!トラックに轢かれたらどうなると思ってるんだ!」と、もう一度大声で怒鳴りました。
確かに、ママの言葉は上品な表現ではありませんでした。でも、あの状況では「怒鳴る」ことが、子どもの安全のためにはやむを得ない状況のように私は思いました。そして、事故にならなかったことに安堵していました。しかしその時、通りすがりの中年女性が、そのママにこう言ってきたのです。
「子どもをちゃんと見ていないあなたが悪いんでしょう!大声で怒鳴りつけてたから、虐待通報しようと思ったわ!」
「子育てはこうするべき論」を主張する人が見ているのは、日々の育児のほんの一部だけ
「電車の中でスマホをいじってばかりで子どもを見ていない」「公園でママばかりおしゃべりして、子どものことはほったらかし」「まったく今の母親は」「昔の育児はもっと大変だった」…。育児をしていると耳に入る、いろんな声・声・声。確かに、非常識でモラルがない親は存在します。しかし、そういう人は全体のほんの一部。「育児こうするべき論」について、私の思いを書いてみました。
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