あなたは、どんな「理想の親」像をお持ちですか。
意識したことはなくとも、心のどこかにたくさんの「理想の親」像というものを持っているのではないでしょうか。
「心の豊かな人に育つよう、寝る前に絵本を読んであげよう」
例えば、これも「理想の親」像だと思います。
「たくさんの愛情を与えてあげたい」
「子どもの前では、夫婦喧嘩をしない」
これらも、そうですよね。
子育てが楽しくないと感じたり、我が子がかわいいと思えなかったりする根っこの部分にもまた、「理想の親」像があるのだと思います。
「楽しく子育てする」という理想があるから、それが実現できないことに悩む。
「親の愛は果てしない」という理想を持っているからこそ、その通りにならないことに悩む。
理想を持つことは、とても尊いことです。
でも、時として、理想と現実はうまく重なってくれません。
理想はあくまで理想として捉え、現実とうまく折り合いをつけていくことが、「子育て」という長距離走を完走するためには、必要なのだろうと思います。
理想を手放せば、ラクになれます。
ただ、子育てにおいては、それがとても難しいのだと思います。
手放すことによって影響を受けるのが、自分ではなく、他ならぬ我が子であるという事実。これが、親たちの心を苦しめています。
自分だけのことなのであれば、そこまで悩む必要もないのでしょう。
理想と現実のバランスを取るのが得意な方であれば、それほど悩まずに済むのかもしれません。
しかし、多くの方はそうではないと思います。
子育てを長く続けていけば、徐々に理想を手放しやすくなっていくと思いますが、それは、何度も課題に直面し、悩み、葛藤を繰り返しながら、なんとか進むべき道を見出していく、そんな過程を踏むからだと思います。
手放すことの難しさ。
それを克服していくことが、子育ての本当の大変さなのかもしれません。
子育てという長丁場ですから、時と場合によっては、「子育てが楽しくない」「子どもが可愛く思えない」と感じることもあるだろうと思います。
このことは、自分の中の「理想の親」像からかけ離れたものとなるため、どうしても、「親失格」という自己嫌悪につながりやすいものです。
ただ、そんな自分の感情を否定してしまうと、かえってつらくなってしまうので、自分はいま「親修行の途中なんだ」と割りきる勇気が必要なのではないかと思います。
そして、気持ちに余裕がなくなっているそういう時こそ、周りを頼ることが必要なのでしょう。
しかし、頼るという行為自体が「理想の親」像に反してしまうことになるため、自分からはなかなか難しいのも事実。
様々な状況の親たちが、必要以上に苦しい気持ちを抱え込んで、負のスパイラルにはまってしまわないよう、個人の努力だけでなく、社会全体で子育てを担う環境をつくることが求められていると感じます。