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「心が折れるより、骨が折れたほうがマシ」子どもの育ちを促す“危険"と向きあおう

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子どもは好奇心旺盛です。そのため子どもの遊びには危険がつきものです。みなさん自身も子ども時代に一度や二度のヒヤリ・ハット体験をしたことがあるでしょう。もちろん、子どもにとって重篤なケガは避けたいものですが、あまりにも子どもの遊びを制限することももどかしくあります。我々大人がどの様に気にかけてあげることが子どもにとって最善なのでしょうか。

危ない=楽しい?

まず初めに、みなさん自身の子ども時代を思い出してみてください。
きっとどんな人にもドキドキするようなスリルを感じたり、ちょっと危ないかもと思ってもワクワクする様な遊びの思い出があるのではないかと思います。

例えば、私がこれまで講座などの参加者に聞いた遊び体験の中にはこんなものがありました。

「駐輪場の屋根に登って遊んだ」「目を瞑ったまま歩いてみた」「枯れ枝でチャンバラ」「川に跳びこんだ」「自転車の手放し運転」「勢いよくこいだブランコから跳び下りた」「ナイフで鉛筆を削った」「カマキリを素手で捕まえた」
などなど、ここにはあげきれません。
いずれも危なさを伴った遊びで、もし失敗したら、大なり小なりの傷みを感じる可能性はあったことでしょう。

では、
なぜ子どもは危ないことをわざわざするのでしょうか。

答えをすでに分かっている方もいるかと思いますが、それは
「楽しい」からです。

ヒトは遊ぶことで様々な体験をし、感覚や能力、心や身体を成熟させていき、子どもから大人になっていきます。
つまり、未熟に生まれることにも意味があるのです。

発達するための挑戦を「楽しい」と感じるように本能がプログラミングされており、楽しく遊びながら身のこなし、手先の器用さ、知能、コミュニケーション能力、危険回避能力などを発達させて大人になっていくのです。

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「リスク」と「ハザード」という考え方

では、全ての危なさに挑戦していけるよう、大人は見守るだけで良いのでしょうか。
ここが重要なポイントで、見極めの視点は「子どもが危険を認識しながら遊んでいるか否か」にあります。

大人から見ると、どの遊び方も危なっかしく感じるのでしょうが、子どもは思いのほか慎重で、身の丈を越えた挑戦はしないものです。それは子ども自身が「危ない」と認識しながら遊んでいることが必要で、ケガをしないよう子どもなりに細心の注意を払って遊んでいるのです。

このように子ども自身が予測可能で、自らの成長に合わせて挑戦していける危険を『リスク』と呼び、子どもたちの遊び環境には必要不可欠な要素として捉えています。

一方、子ども自身がまったく予測不可能で、命の危険や重大な事故につながってしまう危険は『ハザード』と呼び、遊び場からは取り除くようにしています。
具体的には「木登りをしていて足や手をかけた枝が枯れていた」「じゃぶじゃぶ池にガラス片が落ちていた」『低木の茂みに入ったらハチの巣があって刺された」「滑車ロープの摩耗で落下した」などがあげられます。

また、リスクとハザードというものは常に固定で存在するわけではないことも忘れてはなりません。年齢や天候、その日の子どもの体調によってリスクがハザードになることもあるのです。
(例:普段は幼児や小学生が跳び下りて遊んでいる60㎝ほどの高さの遊具で「高さ」が分からない乳児が遊んでいる。)

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危険とどう向き合うか

ここまででお話した通り、子どもの成長にとってすべての危険を遠ざけてしまうことは、かえって危険を回避する力をつける機会を奪うことにもなり、小さな危険をたくさん体験することは人が育つ上で欠かせません。

つまり、子ども自身が危険と向き合い成長していくことを保障するためには、子どもの持つ力を信じることが大切なのですが、言うほど簡単ではありません。

私自身がプレイワーカーとして、危険な遊び方と向き合い体験した成功例と失敗例の2つの事例を紹介したいと思います。

実感する「危ない!」が真の気づきとなる

開催を始めて間もない地域のプレーパークでの出来事です。

これまでプレーパークがなかったため、普段の生活で火に触れる機会が少なかった子どもたちは、当初は火の扱い方が粗雑で、大人から見ると危なっかしいことが多くありました。

炎があがっている時だけが火がついている状態と思っており、薪に火をうつすに至らず大量の紙に火をつけるだけであがる炎に興奮して、ただそれを楽しんでいました。しかしある日、次第に炎が子ども自身の背丈ほどに燃え上がると、少し様子が変わってきました。

髪の毛が焼けるかと思うほどに額に感じるジリジリとした熱気を実感した子どもたちの中には大きな炎があがることへの恐れが生まれ、「入れ過ぎ!」「危ないから離れろ!」などと声が出るようになってきたのです。この間、約2週間という時間を要しましたが、自然と適切な紙の量へとおさまっていきました。

彼らが感じた炎の熱さという実感は、恐らく一生忘れない、それこそ肌に染みついた感覚として活きることでしょう。本当に危ない一線を越えない様に見守りつつ、子どもたちが真の気づきを得る機会を待てた事例です。

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分かっているけど、あえて危ない方法で

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この記事を書いた人

関戸博樹

フリーランスのプレイワーカー
特定非営利活動法人 日本冒険遊び場づくり協会 理事

大学で福祉を学ぶ中、「全ての人が元気になれる地域をつくる」ことを仕事に...

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