流産や死産は延べ人数で約6割の女性が経験すると言われているにも関わらず、タブー視されているがゆえに、なかなか現実が知られていないように思います。今回は私の体験をお伝えしたいと思います。
もちろん、体験談ですので、それぞれ違った見解もあるかと思いますが、一つの体験として知っていただけたらと思います。
私の赤ちゃんは、全身がむくんでしまう胎児水腫という病気でした。
「お子さんはいますか?」という質問には、今でもなんと答えていいのか、戸惑います。
そして、赤ちゃんの病気が告げられたあの日のことは今でも忘れられません。
「エコーを見る先生の表情が険しくなった」死産を迎えた、一人の天使ママの体験談

これまで、自身の看護師の目線からいろいろご紹介させていただきましたが、今回は一人の母親、天使ママとして感じたことをお伝えしたいと思います。
出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=102720051636割が経験する、赤ちゃんの死産・流産
ある日、エコーを見る先生の表情が険しくなった
その時、重症悪阻(重度のつわり)で入院していた私は、毎日のように診察がありました。
ある日、エコーを見ている先生の表情が、クッと険しくなったのです。
「お母さん、赤ちゃんね、全身がむくむ病気のようです。今日、お父さん、病院に来られるかしら。お父さん来られたら、一緒に詳しく説明するからね。」と。
『このパターンは、かなり良くないってことだ。』看護師としての経験上、医師の対応でそのことだけは分かりました。
『でも、まだ、わからない、調べてみないと。でも、旦那が呼ばれたってことは、ただごとじゃないんだ。でも、しっかり動いていたし、どういうことなんだろう。』
部屋に戻り、早速調べて出てきた病名が「胎児水腫」という病気でした。
説明を読んで、どんどん血の気が引いていくのがわかりました。「ほとんどの場合、生きられない」「生きて生まれてくることすらほとんどない」ということが分かったからです。
天国から地獄に落ちる、という経験
たくさんの、病気のお子さんと接してきて、どの子のことも本気でかわいいと思ってきたし、大切に関わってきたのに、我が子が病気を告げられたら、こんなに震えが止まらないものなのかと、涙を止めることができないのかと、私はいままでうわべで看護していたんじゃないかと、いろいろなことが頭の中をぐるぐる巡りました。
今思えば、「親なのに受け入れられない」のではなくて「親だから受け入れられない」のだということが分かりました。
看護師としてどんなに寄り添おうと思っても、医療者はもちろん親ではないし、親のように理解することもできない。ということも改めて痛いほどにわかりました。(だからこそ、できる限り寄り添い一緒に病気を乗り越える姿勢が大切だと思っています。)
そして、旦那も青ざめた顔で病院にきて、説明を受けました。
「母体にも危険が及ぶから、妊娠の継続は諦めたほうがいい」と先生から優しい口調で言われました。
今こうして、赤ちゃんは生きているのに、どうして私の手で命を止めることができるのか。
私には、とてもできそうにありませんでした。
ミラー現象といって、母体にも同じ症状が出ることがありそうなれば母体の命にも関わるので、なるべく早く決断して欲しいとも言われました。
でも、「なんとかして助けたい。なんでもするから。」祈るような気持ちで私の中にはそれしかありませんでした。
誰に何を言われても、今ある命を生かしたかった
看護師としての経験もあるため、そう言われた時は、聞き分けのいい患者でいたい気持ちもありました。
医師の言っていることも、もちろん頭では理解できていたのです。
でも私にはできなかった。命をかけてでも、この子が生きたいと思っているうちは妊娠を継続する。それ以外の選択肢を考えることができませんでした。職場の上司や先輩も説得に来ました。
でも、誰に何を言われても無理でした。
お腹の中の命に対して、「なんでこうなった」「どうしてこの子が」と問うても仕方ないと分かっていても、考えずにはいられない。でも、赤ちゃんはお腹の中で頑張っている、お腹にいるのに私が泣いてばかりもいられない。
私のように、ある程度猶予がある人もいれば、なるべく早く決断しなければならないケースもあります。赤ちゃんの鼓動を自分で決断して止めなければいけないその辛さは、経験した一人ひとりにしか分からないかも知れません。
とにかく、赤ちゃんが命あるうちは、どうやったらこの子が生きられるかを考えようと決めてからは、泣かずに過ごしていました。
ある夜ふと、何故か涙が流れました。
「大丈夫、頑張ろうね。お願い、頑張って。」
と赤ちゃんに声をかけ続けました。
翌朝の診察で、赤ちゃんの心臓が動いていないことを告げられました。
「そらが、空に還っちゃった。」
私の口から出てきた言葉がそれでした。赤ちゃんの名前は「希空(そら)」と名づけていたのです。
涙は出ませんでした。その時はまだよく分からなかったから。
ただただ、信じられませんでした。昨日の夜、心臓の鼓動を確かに聞かせてもらっていた、それなのに。
「上手に生まれてきたね」小さな命のお産
妊娠12周を越えると薬や特殊な道具で子宮口を開き、お産をします。
私のケースでも、同様に子宮口を広げる処置をして、お産をしました。
赤ちゃんにも、旦那にも、旦那の親にも、家族みんなにも、立ち会ってくれるスタッフにも「私のせいで、ごめんなさい。」そんな思いでいっぱいでした。
手のひらサイズの我が子に会えた時、先生は「上手に生まれてきたね」と言ってくれました。彼女はダウン症もありましたが、その顔は眠っている旦那さんにそっくりでとても可愛かったです。「かわいいね、そっくりじゃん。」と声をかけると、旦那は声を上げて泣いていました。
我が子に会えた嬉しさと、すでに空に還ってしまった寂しさと悲しさが入り混じり、その後のことはあまり覚えていません。
棺にたくさんのピンクのお花を添えてもらったこと、そのことだけは憶えています。
