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公開 2015年10月29日  

ドキドキの就学時検診。「普通学級に通えない」と言われたらどうする?

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なんだか他の子と比べて違和感がある我が子、そこへ届いた就学時検診の通知、ドキドキハラハラの就学時検診です。


目次
就学時検診とは?
発達障害とは?
小学校にはどんな種類があるの?
学校選択のポイントは?
適切な配慮がない場合に起きる可能性のあるスパイラル
学校選択の時に考えたい子どもにとって大切なこと
障害があることは不幸なこと?
五体不満足の著者・乙武洋匡さんはなぜ自己肯定感が高いのか?

こんにちは!『1人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者の立石美津子です。


●言葉は喋るけれども会話が噛みあわない
●質問と違うことを答える
●僅かな時間でもじっとしていられない
●集団行動がとれない

など、「他の子と比べてはいけないけれど・・・」「個性を伸ばさないといけないけれど・・・」とは思いつつ、なんだか他の子と比べて違和感がある我が子。

そこへ届いた就学時検診の通知、ドキドキハラハラの就学時検診です。

就学時検診とは?

就学時検診とは身体の発達や知的発達の度合いが検査される健康診断です。

明らかに障害が重い場合は別として、知的に僅かな遅れがある場合は特別支援学級、ない場合でも発達障害の疑いがある場合は普通学級に進級し、通級制度を利用することをすすめられることが多いです。

発達障害とは?

発達障害は大きく以下の3つに分類されます。

1.学習障害(LD)
2.注意欠如/多動性障害(AD/HD)
3.広汎性発達障害(PDD)

広汎性発達障害には、自閉症やアスペルガー症候群、トゥレット症候群も含まれます。

小学校にはどんな種類があるの?

・特別支援学校(旧・養護学校)
 盲・聾・知的障害児のための独立した学校

・特別支援学級(旧・特殊学級)
 通常学校の中に併設

・通級
 普通学級に籍を置きながら特別なクラスに何日か通う形式。全ての学校に併設されていないのでこれがある学校へ週何日か通う

・普通学級
 通常の健常児のクラス

子どもが生まれて6年間、「なんだか育てにくいわ」とは感じていたもの「ごく普通の子ども、個性的が強い子」と思っていただけなのに、この日突然、「発達の偏りがあります。特別支援学級に入学することをおすすめします」と言われたらショックですよね。

「はい、そうですか、わかりました」とすんなり受け入れる人はなかなかいません。中には「うちの子どもを馬鹿者扱いにした!」と行政側を訴える人も実際にいたりするのです。

学校選択のポイントは?

実は、学校選択は保護者の意向が優先されます。親が「うちの子は問題ない」と主張すれば行政側のアドバイスを無視してもよいということなんです。親が子どもの人生に関わる重大な学校選択をしなければならないのにも関わらず、ここに親が間違った判断をしてしまう隙間が出来てしまいます。

例えば、
「とりあえず普通学級に通わせて、もし途中で着いていけなくなったら特別支援学級にかわろう」と、「普通学級では難しい」と言われたとしても、親の意思で普通学級を選択する場合もあります。

でも、小学校入学の最初の段階で「自分だけがどんなに努力してもみんなと同じように出来ない」体験を毎日して1年間過ごしただけで、既に子どもの心の中では「どうせ僕なんかダメな人間なんだ」という自己否定の気持ちが根付いてしまう可能性があります。

途中から特性や能力に合った特別支援学級に変わっても、その自己否定の気持ちを修正することはとても難しいです。

適切な配慮がない場合に起きる可能性のあるスパイラル

小学校6年間はとても大切な期間です。
そのため、日中一番長く時間を過ごす学校が楽しい場所であることが大切です。

授業内容がチンプンカンプン、特別な配慮もされず、叱られてばかりいる、あるいは関心を持たれずお客様状態でほうっておかれたらどうなるでしょう。

その場合、自分に合わないクラスにいることにより、成功体験、達成感を味わうことが出来ません。
子ども同士も、幼児期のように“みんな仲良く”とはならず、異質なものを排除したりいじめが起こる可能性もあります。

脳の仕組みの違いにより、本人の努力ではどうしようもないのに、集団行動がとれない、極端に読み書き計算が出来ないことで孤立します。こんな環境で学習意欲は湧きません。

それどころか次のようなスパイラルになってしまうこともあるのです。

障害があることを親も認めず、担任にも伝えない
 ↓
特別な配慮をされることなく席を立ち何度も叱られる
 ↓
友達が作れない。苛められる
 ↓
楽しくない学校生活 不登校に
 ↓
思春期以降に不登校、鬱、引きこもり、リストカット(自傷)、他害などの二次障害

学校選択の時に考えたい子どもにとって大切なこと

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人生は日々の積み重ねです。
幸福感のない環境にいることが将来に及ぼすダメージは大きいです。

親のプライドや世間体は捨て子どものことを第一に考え一番、最適な環境を選びましょう。

知的に明らかに遅れがある場合、特別支援学校や特別支援学級が準備されています。けれども、限りなくグレーに近い子どもには発達障がい児だけ集めたクラスはありません。普通学級に籍をおきながら、通級指導教室という特別なクラスを利用することもできますし、障害をカミングアウトして個別に配慮してくれるように学校側に伝えることも大切です。

親自身がしっかり子どもの現実を受け止め、幼稚園・保育園の先生にも詳しい申し送りを小学校側にお願いし、普通学級に籍を置いても配慮・支援をしてもらえるように準備しておきましょう。

障害があることは不幸なこと?

親が健常者であれば尚更、「障害があることは不幸なことだ」という固定観念があります。だから、健常児に出来るだけ近づけることを夢見て「幸せになってほしい」と願います。

でも、親が子どものことを認めてあげらなかったり、子どもが幸福感を得られない学校という場所に毎日登校しなくてはならないことは、とても不幸なことです。「自分には価値がある」という人生を切り開いていくための大事な武器“自己肯定感”を築くことができないまま大人になっていきます。

人生は連続です。子育ては今の眼先、1~2年先を見ていてはいけません。幼児期に適切な支援をしなかったしっぺ返しが後になって必ず来ます。そしてその時点で人生を巻き戻そうとしても、幼児期に戻って育て直しは出来ないのです。

障害があることはちょっと不便で支援が必要だけど不幸なことではないんですよ。どんな子だってあなたのかけがえのない我が子です。

五体不満足の著者・乙武洋匡さんはなぜ自己肯定感が高いのか?

五体不満足の著者・乙武洋匡さん、彼は何故、あんなに自尽満々な表情で、自己肯定感があるのでしょう。彼に手足がないなんてこれぽっちも感じさせません。

最後にご本人の許可を受け、乙武さんの著書を抜粋させていただきました。
ぜひ読んでみてください。

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昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。

「オギャー、オギャー」火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。

先天性四肢切断。分かりやすく言えば、あなたには生まれつき手と足がありませんという障害だ・・・・本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。

しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸が激しい」という理由で、母とボクはーヵ月間も会うことが許されなかった。それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。黄疸が激しいという理由だけで、自分の子どもにーヵ月間も会えないなどという話があるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。「あら、そうなの」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味「超人」だと思う。

対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。

結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。

病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。

「かわいい」─母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杷憂に終わった。

自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヵ月間も会えなかったのだ。手足 がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。

この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。

まして、それが「親と子の」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した。

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後書きにはこうも書いてあります。

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これから生まれてくる子どもに対して、親が馳せる想いはさまざまだろうが、最低限の条件として、このような言葉をよく耳にする。

”五体満足でさえ生まれてくれれば・・・”

だが、ボクは、五体不満足な子として生まれた。不満足どころか、五体のうち四体までがない。
そう考えると、ボクは最低条件すら満たすことのできなかった、親不孝な息子ということになる。だが、その見方も正しくはないようだ。

両親は、ボクが障害者として生まれたことで、嘆き悲しむようなこともなかったし、どんな子を育てるにしても苦労はつきものと、意にも介さない様子だった。何より、ボク自身が毎日の生活を楽しんでいる。多くの友人に囲まれ、車椅子とともに飛び歩く今の生活に、何ひとつ不満はない。

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今の乙武さんがあるのは、こうしたご両親の関わりがあってこそなのですね。

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