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「落ちこぼれ」だった坂本龍馬が、時代の寵児になった2つの理由

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明治維新の立役者である坂本龍馬。彼は実は幼少時代は落ちこぼれと言われ続けていたんです。そんな彼が落ちこぼれで終わらず、時代の変革を起こす革新者になった理由とは・・・?

落ちこぼれまっしぐらだった、龍馬の幼少時代

みなさんは坂本龍馬の幼少期をご存知でしょうか?

彼の幼少時代を明確に説明できることは不可能ですので、当然確かなことではないかもしれませんが、いわゆる現在で言う「優等生」とは違う感じの子であったことは、様々な文献を見ても間違いないように思えます。

諸説ありますが、例えば・・・


・集中力に欠け、言葉を覚えるのが遅かった

・寝小便が治らず、皆から「ハナタレ」とバカにされていた

・数の概念が理解できず、算数ができなかった

・学校(楠山庄助塾)に通い始めても全然勉強ができず、ついに教えようがないという理由で退学させられてしまった。
 (一部説では、友人との喧嘩のいざこざという説もあります)


など、周囲から見たら「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてもおかしくないような幼少期でした。

普通であれば、彼はそこで社会に対してネガティブな感情を持ったり、自己肯定感が下がってひきこもるなど、時代を変えるような存在にはなりそうもありません。

そんな彼が何故、時代を変える寵児になったのでしょうか。

多くの人とのコミュニケーションをとることを重視する

幼いころから、大人子ども含め、龍馬は多くの人々との交流があったと言われています。
そうなったのは、「多くの人とふれあってほしい」と願う家族の方針によるものだったそうです。

後に、自分の身分や立場を顧みず、ある意味ズケズケと不躾に大物たちに会いにいけるような性格や、物怖じしない行動をとれたのはこのおかげとも思えます。

幼いころから意識的に多くの大人や子どもに会わせて、
出会いの体験自体のハードルを低くしておくことが重要です。

先生も親の役割。先生と親の役割の線引きをしない

どんなに周囲が評価しなかったとしても、
本人に「落ちこぼれ」と烙印を押さず、向き合う家族の存在。
非常に重要ですよね。

龍馬の場合、それは龍馬の母親が死んだ後に母代わりとなった、姉(乙女)の存在でした。

私塾で龍馬に教えることを拒否した教師に対して龍馬本人をかばい、
自らが龍馬自身の先生となり、1日中龍馬に付き添い文字を教えたり、
剣術の手解きをしたなどと伝えられています。


読み書きそろばんは学校や先生の仕事。
もし親がこう決めつけていたら、そんなことはできないですよね。

剣術を教えるのも、習い事の先生の仕事。
これも親が決めつけていたら、こうはいきません。

こういった、先生や親といった役割を超えて子どもと向き合う姿勢が、
龍馬が自己肯定感高く、何事にも好奇心強く育っていったポイントの1つに思えます。

落ちこぼれ、と諦めないこと

何事も、「うちの子はダメだから」という姿勢になった瞬間、その子の未来がある意味決まってしまうこともあると思います。
もし坂本乙女さんが、そのようなスタンスだったら、今頃日本は違う社会になっていたかもしれません。

あなたの子育ての姿勢1つで、実は数百年後の社会が変わるかもしれません。
そう思えると、未来を信じて子育てをしていくことの視点も変わるのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

ゆきパパ

ゆきパパです。子どもにとって理想の教育や、方法論を妄想するのが好きです。理論と実践!...

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