本との出会いというものは、人との出会いと似ています。
星の数ほどある中から、その本を手にするのですから。そして、大切な人と出会えることが宝物であるように、大切な本に出会えることは、、宝物を手にすることと同じかもしれません。
ある日、私はふらっと本屋さんに入りました。入り口正面にはいくつもの絵本が平積みされていました。その真ん中に、まわりの絵本からひと回り小さな、新書くらいの大きさの絵本が目にとまりました。
昨年2014年2月に104歳で亡くなられた、まど・みちお氏の一冊『まどさんからの手紙 こどもたちへ』という児童書でした。
その絵本は、もともと、まど氏が母校の小学生たちに宛てた手紙です。こどもたちでも読めるように、ひらがなの文字が縦にならんでいました。
絵は、個性的な子どもたがたくさん描かれ、文字も絵も「線」という仲間なのだなぁと感じさせられるようタッチで、のびのびと描かれていました。その絵はささめやゆき氏が描いていました。
「わたしはもう・・・」と語りかける最初のページに描かれたのは、まど氏の似顔絵でした。温もりあるラインで、まるで、まど氏がことばをかけてきてくれるかのように感じられます。
あたたかなことばがならび、素朴なことばに心が洗われ、気づけば、立ち読みしながら、涙が流れてしまい、落ちる涙に本を汚してはいけないと、ときどき顔のそばから本を離しつつ読まなければなりませんでした。
ささめやゆき氏の絵がまた印象的な作風で、どことなく、「画家まど・みちお」の世界に近いものを感じました。この二人の組み合わせで描かれた『くうき』という絵本もあります。これもまた、そんな印象を受けたのでした。
ささめや氏にお会いする機会があり、このことをお尋ねしたのですが、まどさんの絵は敢えて意識しないようにしたとのこと。それでもそう感じたということは、お二人の世界がひとつのところにあり、同じところから生まれでたかもしれないと思いました。
『こどもたちへ』といい、『くうき』といい、ささめや氏の絵は、まど氏の世界観を伝え支える大事な要素になっていると思います。まど氏がご存命であったとき描かれた『くうき』のときには、空気などどうやって書いたらいいものか悩み、何年もほったらかしにしてしまったのだとか。
とうとう「まど・みちお100歳」の区切りも過ぎてしまったそうですが、くじらのページの絵を描いたとき、ああこれだ!描ける!と思い、そこからこの作品が仕上がったのだそうです。「まどワールド」を繋いだのが「くじら」というも素敵です。まど氏101歳のときの出版となりました。
そして、亡くなられてすぐ『こどもたちへ』の依頼があったのだそうです。さすがにこれは大急ぎで仕上げなくてはならなかったそうですが・・・。
まど氏のことばは温もりがあり、素朴で 心が洗われていきます。
せわしない毎日にやさしい言葉に欠けて、シンプルなこどもへの願いも忘れてしまっていた自分に気づかされ、立ち読みというシチュエーションでありながら、自分を振り返る大事な時間になったのでした。
悩みがあると、答えを欲しがり、答えであるかのような言葉があふれている中でもがくけれど、まど氏のことばに触れると、人間のちっぽけさ、人が考えることなどたかがしれてる・・・そんな気になるのでした。ただただ、目の前にある「当たり前」を受け取る大らかさが心に平穏を与え、大事なのだということを思い出させてくれます。
なんだか、考えることをやめて、とてもシンプルなおだやかな気持ちになっていくのでした。そういえば「ぞうさん」の歌も、そのものですよね。お鼻がながい、と問われ、かあさんもながい、と返す。それだけでいい・・・と、まど氏に言われるとそんな気持ちになれるのでした。