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公開 2023年04月12日  

末っ子がもう小学生。3回目の新一年生の春に、私の心は曇りまくっていた

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末っ子がいよいよ小学生になりました。


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末っ子がついに小学生になった。

つい先日お腹から出てきたのに、あっという間に小学生になってしまった。

本当にあっという間過ぎて、信じられない。


我が家の長女と、真ん中長男は身長差が1㎜程しかなく、初めてお会いする人には良く「双子?」と聞かれる。

なんなら体格で言えば真ん中のほうが立派なので、真ん中が長子だと思われることも多い。

そんなふうだから、末っ子は標準身長だけれど一人、サイズが二回りほどと小さくて、我が家ではどうしても彼女は幼いのだ。

そんな我々の気持ちをよそに、驚くほど末っ子はしっかり者に育ってしまったんだけれど、それでもやっぱり、つい「ああ小さい」と愛でてしまう。


そんな末っ子が1年生になったのだ。

大変なことだ。

大変にかわいい。

かわいくて毎日新鮮にびっくりしている。


あの、あの、赤ちゃんが……ランドセルを背負っている……。

自分で選んだお気に入りのランドセルを……背負って……歩いている!

こんなに小さいのに、そんなことってあるかしら。

毎朝送り出すとき、帰宅した時、その立派な姿がただかわいくて感情が忙しい。


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かつて長女が1年生になったとき、それはもっと胸がぎゅっとなるものだった。

初めて親の手を離れて歩いて登校することが、長い旅路に就かせるような、果てしない航海の始まりのような、壮大でセンチメンタルな感情が渦巻いた。

毎日、背中に向かって「どうか楽しんで帰ってきてね」と願っていた。


長男の時は、幾分気が楽だった。

なんと言ってもサイズ感では長女と同じだ。

並んで歩く姿もあまりに自然で彼には申し訳ないのだけど「そりゃあ小学生にもなるだろう」という気持ちだった。

体が大きいのでランドセルもちっとも大きく見なかったし、体力もあったため、長女のように帰宅後にぐったりする、ということも一度もなかった。

なんとも頼もしい1年生だった。

彼はとにかく元気がよいのが取り柄なので、勢いのまま頑張ればよいと思っていた。

ただ、すぐに走り出してしまうので交通事故に遭う心配だけは切実だった。


そして今、末っ子。

感想は「かわいい」だ。

語彙が死んでしまったのかもしれない。

ただかわいいのだ。

心配事のほとんどは上のふたりで消化してしまった。

杞憂で終わったいくらかのことにもう心を砕くことはないし、予想外の出来事にもある程度耐性ができてしまった。

学校の雰囲気も分かっているし、もうあれこれ気を揉む要素が底をついたらしい。

そして、そこへ、我が家で一番小さな彼女がランドセルを背負った姿で登場したらもう、かわいい以外の感想がない。

隅々まで健やかにかわいい。


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そんな底抜けにただ可愛い小学校1年生だけれど、それでも入学式を終えた日の夜、なんだか少し落ち着かない気持ちがあった。

明日からいよいよ末っ子が小学校へ通う、そのことにうまく気持ちが追い付かない。

具体的な心配事や不安がないからなおさら、いったいなにに動揺しているのか自分でもはなはだ疑問だった。

頭が冴えて眠れそうになかったので、野菜を切った。

淡々と野菜を切って、心を整えて眠った。


その翌日も同じだった。

そわそわして落ち着かなくて、やっぱり野菜を切った。

野菜を切ると落ち着くのだ。

淡々と手を動かして、野菜をたくさん切った。

ボウルいっぱいの野菜にラップをかけて冷蔵庫に仕舞ってから寝た。


一体あれはなんだったんだろう、と数日経って考えた。


しっかり者の末っ子が小学校に慣れるのはそう時間はかからないだろう。

社交的だからお友達もすぐにできるに違いない。

注意深い性格だからそんなに危ないこともしないだろう。

では、末っ子でないなら、もしかして私だろうか。

そうか私だ。

そうに違いない。

私はまさかの私が心配なのだ。

いよいよ、幼児のお母さんではなくなった自分に動揺している、と仮定したらしっくり来た。


先月まではまだ片足を「幼稚園児のお母さん」に突っ込んでいた私はいよいよ完全に「小学生のお母さん」になったのだ。

それって、なんだかものすごく大人でドキドキする。

今度こそ本気でちゃんとした大人にならないといけないような気がする。

小学生のお母さんって、なんだか落ち着いていて、肝っ玉母さんで、あの記憶にしっかり残っている、ゆっちゃんのお母さんとか、みっちゃんのお母さんとか、あーちゃんのお母さんと、肩を並べてしまったのだ。

あの「お母さん」たちと私が、いよいよ同じ世界の住人とは。

ずいぶん遠くまで来てしまった。

濡れおかきを独り占めして食べているような人間が、一年中、昼間の眠気を低気圧のせいにしているような人間が、あの立派なお母さんたちと同じ世界にいるだなんて。

そんなことあるだろうか。


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あのお母さんたちも、眠くてなにもしたくないと泣きごとを言ったり、隠れておかきを抱え込んだりしていたんだろうか。

かれこれ10年ほどろくな成長をしていないんだけれど、それでも小学生のお母さん然としていていいんだろうか。

加速する子どもたちの食欲を追いかけて、ごはんをたくさん作ることだけは長けてきたけれど、私はずっと全体的にいろいろと足りないし、それってつまり未熟だ。

こちらはまったくもって未熟だけれど、子どもたちはこの10年ほど後戻りすることなく成長しているんだから、動揺もするはずだ。仕事もできないのに昇給してすみません、の気持ち。

そりゃ野菜をたくさん切るしかない。


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とは言え、ざわざわと夜中に野菜を切ったのはほんの2日間のことで、そのあとはまた図々しく暮らしている。

人は簡単に慣れるのだ。

昨夜、息子に濡れおかきをずるいと言われて、「だってアイス食べてたじゃんと」言い返しておかきを抱え込んだのでやっぱり成長する兆しもない。

引き続き私はたくさんごはんを作るスキルだけを着々と磨くことにする。

大きな鉄板がほしいと思っている。


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