子どもが生まれる前の私たちはよくある共働きの夫婦でした。
時にくだらないことでケンカすることがあったとしても、仕事と自分のために時間をたっぷり使うことができ、お互いの好きなことをして、帰ってきて落ち着けるのが夫婦…というようなよくある関係でした。「私たち、家族だよね」ということを意識することもほとんどなく、二人だけの関係に注力すればよかったのです。
そこに、そろそろ子どもが欲しいということになり、無事にめでたく妊娠。新しい家族が一人、二人増えた今は、夫婦だけの時とは違って、やはりカタチとしては「家族」だなと感じます。2人だけの時と比べて、明らかにお互いに思っていることも、感じていることも、距離感も違うのではないかなと思います。
それは子どもが生まれて急に変わったというよりは、毎日の積み重ねで変わってきたものだと感じています。我が家は、まだ子どもが1歳と3歳なので「家族づくり」という意味ではまだまだ途中過程だとは思うのですが、今回はそんな我が家なりのパートナーシップの変化、家族としての変化を振り返ってみようと思います。
子どもが生まれて、物理的に二人だけでいる時間はほぼなくなりました。それまでは常に夫婦二人でしたので、他愛のない話でも共有し、二人で笑い合うこともできていましたが、今はそう簡単にはいきません。
ですから、今は“二人でいる時間をわざわざつくる”ということをしないと、二人きりの時間は取れない。この事が思いのほか、二人の意識の共有化に影響を与えているように思います。
例えば、専業主婦と働くパパ、というカタチをとっている家族(我が家は違いますが)は、意思疎通が特に大変だと思います。
ママは毎日、子どもと向き合っている。
パパは毎日、仕事に向き合っている。
夫婦の役割分担がある意味明確すぎて、意識の共有化をしなくてもそれぞれで毎日が回ってしまうため、コミュニケーションの必然性が減り、なおさら夫婦の意識がずれてきてしまうのではないかなと思います。
我が家の場合は、前回にも書いたように、私が働き始めてからは「お互いに仕事という視点(世界)を持ち、お互い家事と育児に分担して関わっている」という夫婦の前提があるため、目線を揃えて、意識の共有化は比較的できるようになってきました。細かいズレはもちろん今でもありますし、たまに爆発してケンカしたりもしますが、以前に比べると今は修正できる程度かなと思います。
子どもが生まれる前には夫婦の会話の中でそんなに「譲れないポイント」ってなかったのですが、子どもへの接し方についてはそうはいかず、「パパとしてこう接してほしい。こういうパパであってほしい。」という期待値が生まれてきてしまいます。
なんといっても自分自身よりも大切な我が子に関することなので、お互いなかなか譲れず、ここは擦り合わせが難しいところです。これがケンカの種になることも結構あります。
もちろん、パパも子どもがすごくかわいいと思っているし、本当に家族を愛しているということは確かです。ですから、その表現方法が私の期待と違っていても、根本にある愛情を信じることができれば、その言い方は・・とかその態度は・・と思っても、一定のリスペクト(尊敬)をはらうことはできるかなと思っています。(頭では分かっているものの、なかなか実行は難しいところではあるのですが・・・)
では、ぶつかることを避けて、何もしない方がいいかというとそうではない。
「子どもの未来につながること、子どもの人格形成に関わる部分」に関する夫婦の考えのズレが、そのまま家族の中の大きな溝になってしまう可能性は高いと思うので、少しでも違和感を感じたらそのままにせず、二人で時間を取ってきちんと話し合う必要があると思います。
実は、我が家の旦那さまは元々亭主関白っぽいところがある人だったんです。
何かにつけて旦那さまが決めることが多く、「どこにいこう、あそこにいこう」と提案してくれ、私もそれに合わせて「うんうん、いいねー!」と後からついていくような関係でした。
しかし子どもが生まれた後は、その調子では済まないことが多々あります。
ある日、旦那さまが大人のムードが漂う素敵なお蕎麦屋さんにどうしても入りたい、と言いました。私はしぶしぶ承諾して入店。
当然食事が出てくるのはゆっくりで、子どもは待ちきれません。静かな店内で子どもの声が響き、うろうろ歩き始める、走り始める・・・という事態になり、私たちはいたたまれず、注文分のお金だけ払って食事はせずにそそくさとお店を出る、ということに。
その経験から、旦那さまもさすがに子どもに合わせて選択していかないと無理だ、ということを理解してくれたように思います(笑)。