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「普通」の子に育つって、どういうこと?〜子育ての中の「普通」を疑ってみよう〜

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インクルーシブ教育研究者として、数多くの子どもの指導と、指導員の育成に携わってきた野口あきな先生が、子どもがのびのびと育つ関わり方を伝授!

今回は「普通の子」をテーマにちょっと問題提起をしてみたいと思います。

「普通の育ち」「普通はできること」「普通の子」…頻繁に使われる価値基準としての「普通」

日ごろ、親御さんとお話をしていると、「うちは普通に育ってくれればそれだけで満足です。」という言葉を聞くことがあります。おそらくその言葉の裏には「多くは望まない」「今あるものを受け入れて生きていく」という、ある意味、現実と向き合うスタンスが見受けられます。



しかし、一方で、子どもが何かを失敗してしまった時に「なんであなたは普通のこともできないの!」と叱ってしまうお母さんやお父さんを見かけることもあります。これも、単なる苛立ちというよりは、就学や幼稚園の入園、運動会、保育参観などを前にして、親御さんにも相当なプレッシャーがかかってしまっていることが背景に読み取れます。



様々な文脈で使われているこの「普通」という言葉。明らかに、何かの価値基準になっていますね。

では、その「普通」という言葉は、一体何を指しているのでしょうか?急に聞かれると答えに詰まってしまいそうなこの問いについて、今回は考えてみたいと思います。

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「普通」ってどこからやってくるの?

そもそも「普通」ってどういうことでしょう。その「普通」の基準を他の人と比べてみたことはありますか?



基本的にその人が感じている「普通」というのは、これまで本人の中で「当たり前」として提供されてきたり、「当たり前」として求められたりしてつくられた価値観だと思います。



例えば、ちょっと子育てから離れますが、日本のトイレに入ったとして、お尻を拭いたトイレットペーパーはトイレに流しますよね。これが当たり前。しかしこれは、下水道が整備されている日本だからこそ当たり前に、「普通」に行われていることであり、海外にいけばそうではないということも多くあります。



また同じ日本でも、地域によって異なることも多いですよね。コレができることが普通、ただそれが他県に行くと全然違うということもあります。雪国育ちであれば「少量の雪では転ばないのが普通」「これくらいの雪が降ったら普通はヒールの靴なんてはかない」そんなことを言いながら、「東京で雪!転倒する人が続出!」なんていうニュースを眺めていることがあるかもしれません。



逆に地方の子どもが「電車に一人で乗ったことがない」という話をした際に「そんなこともできないの?そんなの、誰だってできるよ」と言われることもありそうですね。



こうしてそれぞれの価値観のなかでつくられた、“異なる”「普通」の数々。「普通」の子になって欲しいという親の願いも、実は、自身の限定的な経験からくるものかもしれません。



さて、では「普通」になることで、はたしてその子は幸せになるのでしょうか?

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「普通」一辺倒になることの弊害

以前、ある小学校に訪問をした際に「指導力」があると評判の先生の学級を拝見して、ショックを受けたことがありました。



その学級では、先生の一声で全員が即座に整列をし、全員が背筋を伸ばして先生の話を聞いています。そして、先生の問いかけに対しては、教科書通りの答えが返ってきます。そのクラスに、「普通」じゃない子は、一人もいないように見えました。



では、子どもたちの表情はどうでしょうか。先生の顔色を伺い、先生の考える「正しい答え」の空気を読み、先生からの問いかけに対しては「自分の考え」ではなく、「先生が望む一般的な回答」をしているようでした。

つまり、自分の考えを述べるのではなく、相手が望む答えを探して伝えることが目的になっていたのです。



このような子どもたちは、将来どうなるでしょう。

困難さにぶち当たった時、自ら考え解決に向かうことはできるでしょうか。

自分で選択しなければならない場面で、自ら考え選択できるでしょうか。

自分自身の価値観を持つことはできるのでしょうか。



親や先生など、周りの大人がその子に「普通」を求めることによって、周りと違うことは悪いことであるといった価値観が植えつけられてしまいます。そして「普通」を求めるあまり、その子は自分自身で考えることができなくなってしまうのではないでしょうか。



大学や将来の仕事について、「親が喜ぶこと」を選んだ子が、大人になった時に「あれ、本当にやりたいことってこれだった?」と不安になってしまうケースをしばしば聞きます。しかしそこで気づいても、これまでずっと「親の考え」に添って生きてきているので、いきなり自分の気持ちで何かを選択しろと言われても、本人にとってはとても難しいことなのです。



そしてまた、誰かの考えている「自分」を想像し、それに当てはまるように行動をする。けれども、やっぱり自分のやりたいことではないので悩んでしまう。そういうことを繰り返すそうです。



これは、本当に幸せな人生なのでしょうか。

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「普通」の枠にあてはめないことの大切さ

子どもが普通でいてくれることを喜ぶ親は少なくないようです。しかし、その子の将来を考えたなら?親の価値観、学校の価値観でつくられている「普通」の枠には当てはめたくはないですよね。



ただ、ここまでの話がどんなに頭で分かっていたとしても、実際にはそうはいかないということはよくあります。なぜなら、親にとって、これまでの経験の中でつくられてきた「普通」は既にでき上がってしまっており、その枠を外して子育てをするということは、そう簡単なことではないからです。



そこで次回は、自分の考えている「普通」の枠を外すこと、そして子どもの個性が伸びていく環境づくりを前提に、「子どもの個性、お母さんの個性、夫婦の個性を考えてみる」をテーマにお伝えしたいと思います。

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個性と自己肯定感 個性・多様性

この記事を書いた人

野口あきな

インクルーシブ教育・特別支援教育研究者。筑波大学大学院博士課程在学中。株式会社LITALICOの幼児教室・学習塾Leafにて、指導員育成や学校コンサルティング、...

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