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できる限りの楽しいことを繋いだパッチワークを、一緒に作ろうと決めた

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コノビーライター・きなこさんの著作『まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。』(KADOKAWA)より一部ご紹介します。



中学生の長男、小学生の長女、幼稚園生で心疾患闘病中の次女、3児の母のきなこさん。

家族との日々について細やかな筆致でエッセイをつづられ、コノビーでも連載中です。

予測不可なカオスばかりが発生しても、どうにかこうにか対応可。

温かく、ユーモアあふれるエッセイ集『まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。』(KADOKAWA)より、一部をご紹介いたします。


世界パッチワーク


さて、今日みたいな空気の透明に澄んだ秋の日、3歳の末娘を幼稚園に送り届けてそのままとって返して自宅に戻り、そのたかだか3時間が今の私には本当に貴重で稀少なものです。

静かであるというのは、「ねえおかあさん!」のひとことで仕事とか家事の集中が途切れないということであり、なんとありがたいことかと思うのです。

しかしですよ、せっかくその3時間を家事とか子ども以外の事柄で埋めようとしても、まず気になるのは結局夕飯のこまごまとしたお菜のこととか、ベランダの洗濯物とか真ん中の娘がなぜだかやたらと可愛がっているサボテンのこととか、そうやお兄ちゃんの制服の裾がおそろしく短くなっていたけど一体どうしたらええんや、あの子はなんであんなに食べへんのに背丈ばっかり伸びるのやろとかそういうことばかり。

そんなことをしていると私のさして多くはない脳の容量はすぐに飽和するというのに、この上さらに気になるのは、今日、まるで羽根が生えたのかと思うほどうきうきとふわふわとした足取りで人生初の遠足に出かけた末娘のことや、この子とおんなじ病名を持ってICUにいるお友達のこと。

末娘は、すでに書いたようにふるまいだけ見ていると「この子のどこが病気なん?」と突っ込み必須の頑健な心臓疾患児で、その上この病態の子にしてはめずらしく、体の中に欠くことなくもしくは多すぎることなく存在する心臓以外の各種臓器が、主治医がその色々の数値を見てあきれるほどの正常数値。

とにかく私の世界に概念として存在していた『先天性疾患の子ども』を一変させた子であるので、今年の2月の末にあった結構大がかりな心臓の手術も、それは説明を聞くと驚きの大手術ではあるのだけれど、そして心配は心配だったけれど、この子に関してはサクッと10時間ほどで終わって、そのあとは数日でシレッとICUから病棟にお戻りなんちゃうかなあと思っていた。

しかしそんなことは一切なくて、命の瀬戸際にある人体を何とかするための3種の神器であるECMO(体外式膜型人工肺)、人工呼吸器、人工透析器、そういうものをフル稼働させて何なら透析器の回路を1日で3個つぶし、当然ペースメーカーも強心剤もじゃんじゃん使い、生存のための本気のドーピングをかまして、いよいよ危ない命をなんとか此岸に引き戻し、麻酔も鎮静剤も量を減らしていざ覚醒となったその時、何故なのか目線は虚空を泳ぎ、口はぱかんと開いて表情はぼんやりと何も喋らへんし、好きな絵本を読んでも一切反応せえへんし、当然のように何も食べへんしという謎のぼんやり期がやって来て、これはまさか脳に何かあったかもしらんという診断が飛び出したのでした。

実際、心臓手術の多くは人工心肺を使って心臓を一旦止めて行う、人体にとってはこの上ない無茶振りをするわけで、その状態で心臓とその周辺を切ったり縫ったりするということが負担となって不整脈を起こしたりすることもある。

そうなると体の隅々に酸素を送り出す機能が相当にぶってしまうわけで、結果人体の司令塔である脳に大きな問題を生じさせることがあるらしい。

あの時は気の毒にも、いつもこの3歳の入院時に主治医として付き添ってくれる小児循環器医の先生が、本来は循環器の専門医であるにもかかわらず脳のあらゆるデータを取りまくってこのぼんやりの原因を究明する羽目になった。

私はこの時先生が、

「ほしたらお母さん、CT撮って、MRI撮って、そんで脳シンチを明日。そんな感じで検査するから」

と言ったのを、承知しました分かりました脳シンチですねと相当に生真面目な顔で聞いていたけれど、実際の私は脳シンチが何なのか皆目わからなかったのです。

そしてその直後にこそこそとスマホで調べたところ、脳シンチというのは脳シンチグラフィー検査、核医学検査のひとつとのことだった。

(核? 核ってあのプルトニウムとかそういうやつ?)

というくらい知識のなかった私には、その検査で使用するラジオアイソトープやらいう放射性医薬品(というものがこの世に存在しているのも当然、知らなかった)のこともよくわからなかった。

しかしとにかく先生がやりますと言わはるし、この状態がこの先ずっと続くものではない一時的なものであるという確証が私自身も欲しかったし、どんなにふだんの自宅では私がこの子の命を守り育てているんやでとは思っていても、病院では医師免許その他医療関係のお免状を持たない素人の私は役立たずのでくの坊で、大きな柵つきのベッドごとがらんごろんと1階の核医学検査室に運ばれていく3歳を見送るしかない。

私はこの子をこのようにして世界に生み出した張本人だというのに、ぼんやりと空虚な表情で、術後のきっと絶対そこにあるはずの痛みに耐えている子の「つらい」「いたい」「かえりたい」をどれも聞き取ることもできなければ叶えることも緩和することすらできない、そこでは本気で何もできない人でした。



この子が生きてこの先の将来を手に入れて、それで例えば、学校で隣の席にいるお友達と比べるとかなり扱いの難しい、文字通り大変に生きづらい己の身体を呪うような日がやって来たら、いや『呪う』まで思わなくとも、この子は少しモノがわかる年齢になれば自分の存在それ自体を一度は疑問視してしまうかもしれない。

思えば私はこの時にようやく初めて、その可能性のうんと高い人間なのだということを、この子の出生3年3ヵ月後の長期生存を懸けた最後の術後のこの時、誰がどう否定しようとそれがある側面では純然たる事実なのであるとひそやかに悟ったのでした。

人間が生まれて生きて、それは果たして幸福なことであるのか否か、それがあまりにも神様の匙加減ひとつにかかっているという現実に、そういうことをいずれ人よりも深く多く考えることになるのだろう子が、この世界に生まれ出ることの原因であり、おおもとであるのが自分であるという事実に、この頃もともとかなり悲観的な私はよくため息をついていたものでした。

でもそれと同時に、がらんごろんと核医学検査室に連れていかれた子が何とかして無事に回復してくれないものか、それを主治医の先生かもしくは神様が叶えてくれるのなら、それで退院が叶った暁には、この子が楽しいなあ、とても幸せだなあと思えることをたくさんたくさん用意してやらなければ、とも思っていたのでした。

生きている意味とか出生それ自体の幸とか不幸とかそんなことを考えるヒマと隙ないほどたくさん、お母さんが探して見つけて来たるからなと思っていました。

今日もICUに病棟に、手術後の回復が思わしくないだとか、意識がひとつも回復しないとか、あんまりに体がしんどくてひとつも笑ってくれへんなとかそういうことを親御さんが心配している、3歳と同じような身体に生まれた子どもがいます。

実際にこの時、娘と全く同じ病名を持った男の子が、娘と全く同じ名前の手術を受けて、そして娘と全く同じ道順をたどり、術後の回復が遅れ、ついでに術後感染の可能性まで発生してまさかの再手術なんていう、長い長い迷路の中にあったのです。

その子のお父さんとお母さんも私のように、

「一体この子は幸せなんやろか」

「こうして生かして、この先この子を幸福にしてやれるのやろか」

なんてことを考えて、その子の病床の隣になすすべなくぼんやりしているのかなと思うと、私には今、彼らを励ますための良い言葉を見つけてそれに赤いリボンなどかけて贈ることはできないけれど、あの子も生まれてきて今まで、きっと大変なことがたくさんあっただろうし、何で自分の身体は運命はこんなおもろいことになってんねんとかこの先思うことは色々あるのだろうけれど、いつか退院してお家に帰る日がきたら、楽しいことを全部紡いで、これまでの痛かったこと辛かったこと哀しくていられなかったこと、この先の未来の不安なこと、そういうものを全部きれいに覆いつくすくらいの大きなパッチワークキルトのようなものが、その子の世界にやってきたらいいなと願っているのです。



今日、あの当時はもう瀕死ですわという顔をして核医学検査室に運ばれていった3歳は、生まれて初めて親の、私の帯同なしで幼稚園の普通のバスより一回り小さなマイクロバスというのかな、小型のバスに乗って遠足に出かけてそれは楽しく半日を過ごしています。

午後1時半頃、なにせ他の子たちに比べて格段に体力がないもので本来の降園時間より少し早い時間に迎えに行くと、ちょうど遠足のバスから降りてそれぞれにこの日のために用意したリュックサックがとりどりに可愛らしく走り回る園庭の中から、ひとりの赤いリュックサックが飛び出し、そして私に飛びついて、

ばすにのったの
こうえんにいったのよ
おともだちとおにぎりたべてん
どんぐりひろってん
ほんでおかしたべたの

というこの5つの文言を無限にループしました。

夕方の5時の時点で、私は3歳の娘のクラス全員の名前を名簿の端から端まで言わされているのですが、これは一体何なのでしょうか。

どうもこの3歳児は、自分の人生史上もっとも輝かしく楽しい日であったこの遠足を反芻して何度も楽しむのやと、母の私に同じクラスのメンバーをひたすら呼ばせている模様。

私は、この子を退院してからただの2ヵ月で普通の幼稚園に放り込んだものの、体力が他の園児に比べて格段にない、毎日持参する酸素ボンベも不要になる見通しが立たないような状態で、はたしてこの入園は正解やったのかと、実のところ夏から今まで密かに悩んでいたのだけれど、今日その感情をかなり払拭するに至るのでした。

だってさすがに年少児ひとクラス20数名、全学年約80名をかき集めて楽しく遠足に行きましょうというのは、保育園とか幼稚園にしかできない芸当だもの。

これでよかったのだ。

今日うんと楽しい思い出をたくさん作ったこの3歳は、今のところは、

「お母さんは、なんでうちのことをこんな風に生んだん」

と思ったりはしていない、多分。

今日が秋晴れの空のきれいなお天気で本当に良かった、楽しいこと、うつくしいもの、心躍る思い出、そういうのをこれからたくさんたくさん、集めよう。


できる限りの楽しいことを繋いだパッチワークを、一緒に作ろうと決めたの画像1
できる限りの楽しいことを繋いだパッチワークを、一緒に作ろうと決めたの画像2


5つの文言の無限ループ、あまりの愛らしさに胸がギュッとなりますね。


書籍には他にも、幼稚園の入園面接のエピソードなど、心が温かくなるエピソードが収録されています。

ぜひ手に取ってご覧ください。


(編集:コノビー編集部 岡田)


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