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寂しいよ……子どもの頃、帰省時に感じたわだかまりが10年を経て溶けて

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幼いころの夏、毎年恒例だった母の実家への帰省。

当時、帰省に大きなストレスを抱えていた私。そのわだかまりが溶けたのは10年以上経ち、母の言葉を聞いた時でした。


ほろ苦い思い出

幼いころの夏の思い出のひとつに、「母の実家への帰省」があります。

私の母の田舎は、実家から車で約8時間かかる山奥。

父の仕事のお盆休み期間中に、母の実家に父と母、私と弟の4人で帰るのが、わが家の恒例行事でした。

渋滞を避けて深夜に出発し、翌朝、目が覚めたら母の実家に着いている……という体験は、子どもにとってはまさに非日常。
帰省を兼ねた遠出と、見慣れない景色にワクワクしたことを覚えています。

ですが、同時に、幼いころの私は「あまり行きたくないな……」という気持ちも抱えていました。


というのも、母の実家は完全に「男子優位」の家だったからです。


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孤独を感じていた幼少期の自分


母の実家は、男性や男子が常に優先される家でした。

男性は家事を一切せず、台所に入ることなどありません。

食事をする場所も、男性が(年齢問わず)上座。
女性は食事が始まってからもしばらく飲み物のリクエストを聞いたり、温かい料理を出すために台所と居間を行き来したりして、ゆっくり食べることもできません。

お風呂の順番も女性の方が後でした。

そんな環境なので、家のお手伝いをするのは子どもたちの中で女子の自分ばかり。

弟は何にもせずTVを見ているのに、自分だけあれこれ言いつけられることも不満でした。

さらに母の姉妹の子ども達、つまり私にとってのいとこ達は全員男の子。
母の実家で待っていたのは、男の子三兄弟でした。

いわゆるその家の跡取りとされる三兄弟と、私の弟は年が近くて仲が良く、帰省のたびに四人一緒に遊んでいました。

そのぶんダイナミックな遊びも多く、女の子である私は混ざれないようなものも。

親戚はおもてなしのために様々な準備をしてくれていましたが、娯楽がほぼゼロの山奥で遊び相手もいない子どもの私は正直、退屈な時間も多かったのです。


そんな風にストレスが溜まっていくと、寂しさや不満からどうしてもすねたような態度をとってしまいがち。

そんな私に対して、親もしょっちゅう注意するため、親子間は余計に険悪な雰囲気に。

家に帰る時には心身ともに疲れてグッタリしていることも多かったです。

そしてそのうち、私や弟が受験生になったり、部活を始めたりなどで、母の実家に帰ることはほとんど無くなっていました。

それでも弟は定期的に母の実家に顔を出していたようですが、私はあえて、わざわざ行くという選択をしませんでした。

幼少期のあまり楽しくないイメージがあったからです。


顔を合わせるのは、結婚式などの冠婚葬祭時に、本当に短時間のみ。

それでも自分は特に不都合や感傷を感じることはありませんでした。



母親から聞いた「まさか」の真実

それから結婚して母親になった後のこと。

母の実父、つまり私にとっての祖父が亡くなりました。

90歳超えの大往生で、祖母や叔父叔母が自宅で最期を看取ったそうです。

まだコロナウィルスが流行する前、お葬式に参列するために子連れで新幹線を利用し、母の実家へ向かいました。

その時点で、約10年ぶりの帰省。
久しぶりに訪れた母の実家は、相変わらず自然豊かで、美しい場所でした。

変わったのは、祖父を亡くした祖母が悲しみと、介護の疲れからすごく老いた印象になっていたこと。

そして、叔父叔母といとこ達が、私を一人の大人として扱ってくれることでした。

男性優位な雰囲気はまだ残っていましたが、久しぶりの母の実家は会話も弾むしとても居心地がよく、あんなに敬遠していたのにもっと頻繁に会いに来ればよかった……などとつい思ってしまうほどでした。

普段からコミュニケーションを取っていないから、落ち込んだ祖母になんと声を書けたらいいのかわからず、歯がゆい思いもしました。

帰省した時の写真を見ていた母が、私と2人の時にふと思い出したように言いました。

「この写真のあなたは表情が暗いね」と。

そこで6歳ごろの自分の写真を見てみましたが「言われてみれば…?」というくらいで自分ではよくわからず不思議に思っていると、母が続けました。

「帰省中はあまりかまってあげられなかったからよね、ごめんね」と。

まさか20年以上経って、その頃のことを謝られるとは思ってなかった私は驚きました。
母親は帰省するたび、私に怒ってばかりだったなあというイメージを持っていたからです。


「この家には女の子がいなかったから、みんなどんなふうにあなたに構ってあげていいのかわからなかったのもあると思う」
「おじさんは今でもあなたのことがすごく可愛いいのよ」
「昔はお父さんも運転は距離があって大変だし、本当はあまり帰りたがらなかったんだけど、義理の息子の義務として連れて帰ってくれていたみたいなのよねぇ」

などなど、知らなかった事実が続々と出てきて戸惑いました。

私は孤独を感じていましたが、実際には家族や親戚に見守られていました。

それに気づかず、写真の中のムスッとむくれたような顔の自分。

子どもの頃の自分は何にも見えてなかったのだなあ……と改めて思い知った出来事でした。



今の私にできること


お盆の時期になると、ふと頭によぎるほろ苦い思い出。

あの頃の自分はさびしく感じていたけど、実は家族は私のことを気遣ってくれていたと、本当は孤独ではなかったと、もっと早く知りたかったです。


改めて、子どもとのコミュニケーションの大切さを感じた出来事でした。

ちょっとした親とのやり取りで、私の中のマイナスイメージをもっと早く払拭できていたら……と思うと、少し残念な気持ちになります。


もし時間が戻せるなら、母の実家への帰省はできる限り同行して、祖父母や叔父叔母たちとたくさん話したり、いろいろなところに行ったりしたかったなあ……

などと、できもしないことを妄想をしてしまう時も。


今の私にできるのは、子どもたちが私が感じたような寂しさを感じなくてすむように、様子をしっかり観察して、声をかけてあげること。

コロナが落ち着いたら、自分の実家にも子どもをたくさん連れて帰ってあげようと思っています。


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この記事を書いた人
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あめの

3歳息子と2歳娘の母、あめのです。

年子育児に奮闘しつつ自分と向き合う日々は
慌ただしいですが宝物です。...

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