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公開 2022年06月22日  

一舟のたこ焼きをアツアツのまま食べきる。そんな境界線を超えた日(2ページ目)

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熱々のたこ焼きをひとりで食べたあの日、ひとつの大きな境界線をまたいだ気がしたのでした。



あれは、末っ子が幼稚園に入って間もなくの頃。

子どもたちを幼稚園に送り届けた帰り道、夕飯の食材を買いにスーパーに寄った。

スーパーのエントランスの前に停まっていたのは、たまに訪れる移動販売のたこ焼き屋さんだった。

「今、ここでたこ焼きを買ったら、ひとりで一舟丸ごと食べられるってこと……?」

にわかには信じがたい思いだった。

だって、そんなことしたのっていつのことだったかもう忘れてしまうほど遠い日のことだ。

すっかりお母さんの皮を着こなした私に、いつかそんな日が訪れると想像すらしなかった。

「このたこ焼きを……買う?」

そう思ったらたまらなく高揚した。


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一舟買ってそそくさと帰宅した。

パックの裏に手を当てると当たり前だけれど、手のひらが熱い。

すぐにパックを開けて湯気を浴びる。

私は今からこれを誰にもシェアせず、たった一人で食べるのだ。

想像もしなかった日が、突然目の前に訪れて、ひとりきりの家で思わず

「わたしだけのたこ焼き……」

と声が漏れた。

自分でも、たかだかたこ焼きになぜこんなに興奮しているんだろうと思うと可笑しくなったけれど、それでもこの解放感と喜びが抑えきれなくてスマホを取り出してたこ焼きの写真まで撮ってしまった。

ひとつほおばると、火傷しそうなほど熱い。

ハフハフしながら食べたたこ焼きは熱くて、熱くて、おいしかった。

ほんとうにおいしかった。

あっという間に平らげてしまった。


ああ、これからはいつでもたこ焼きをまるまる一舟食べることができる。

そう思ったとき「私はあっち側へ行ったんだな」と思った。

自分の対岸にある、想像もしなかった世界。

私の周りにはいつだって常に子どもがいて、銀行に行くときも、市役所に行くときも、三度の食事にも、そばには絶対子どもがいるはずだった。

キッチンカウンターの陰に隠れて、口にたったひとつ放り込むチョコレートだけが私の自由だった。

寝ても覚めても、まるで自分の身体の一部分みたいに、子どもはいつもそばにいた。

これからはいつでも自由に、熱いたこ焼きを一舟食べることができる。

そう思うとずいぶん遠いところに来たんだな、という気がした。


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今や、たこ焼きどころか子どもたちが登校、登園したら始業と共に私の自由が訪れる。

週明け、幼稚園の送迎の帰り道にコンビニで週末を乗り越えたご褒美と称して200円くらいのプリンを買って帰ったりする。

もちろんひとつだけ。

紅茶を飲みながらプリンを食べて、パソコンを立ち上げる。

そんなとき、もう、あっち側には戻れないなぁと思う。


私はあの日、大きすぎる解放感と肩透かしを食らうような少しの淋しさと一緒にこちら側へ来てしまったのだ。

あの不自由はもう二度と返ってこない。

もちろん、まだまだ両手に余るほど「不自由」はたくさんあるけれど、あとはただ減り続けるものだと知ってしまった。

絵本の読み聞かせに寝かしつけ。

最後にテレビのチャンネル権が私にあったのっていつだっけ。

深夜に飛んでくる誰かの蹴りと蹴り。

今は連綿と続く日々の中で縦横無尽に散らばっている「不自由」もいつかは全部跡形もなく消えていく。

いつか手放した時にもう二度と戻れない向こう岸を思って泣きたくなるなんてまっぴらごめんだ。

どうせなら手に入れた自由を喜んで、駆け抜けた自分に清々しく「お疲れ様」と言いたいもの。

もう勘弁してよ、と思う日々の先はただ開放的な「あっち側」がいいなと思う。

そんなことを、習い事の送迎に追われる私と、宿題を見ながら夕飯の片づけをしながら折り紙を教えている私と、もうすべてが限界のお布団の中で絵本を読む私に言い聞かせている。


※ この記事は2024年03月25日に再公開された記事です。

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