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イヤイヤ期真っ盛りの娘と初めてのアメリカ生活

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イヤイヤ期真っ盛りの娘とアメリカに渡ったのは、2年前の10月の事。突然の駐在勤務に、当時イヤイヤ期真っ盛りのむすめを抱えていた私・・・一体これから先どうなるの?!アメリカで右往左往するママの育児エッセイです。

子どもを連れてアメリカ移住!いったいどうなるの?

「ノースカロライナ??どこそこ??」



私たちがここアメリカ、ノースカロライナに来たのは秋の光が穏やかで心地の良い、2年半前の10月の事。突然の駐在勤務でした。当時イヤイヤ期真っ盛りのむすめを抱えていた私・・・一体これから先どうなるの?!と不安はつのるばかり。





駐在先として告げられた「ノースカロライナ」という土地の名前。初めて聞くアメリカの州の名前にピンと来なかった私は、早速検索をかけてみました。出てくるワードといったら、「田舎」と「自然」というたった2つのキーワード。自然豊かな南部の田舎町だという事がわかった時点で、私の初アメリカ生活のモチベーションは急降下。アメリカにはニューヨーク・サンフランシスコ・ロス・ハワイを含め魅力的な町が数々あるなかで、なんでよりによってノースカロライナなのか?と。





都会生まれ都会育ちの私にとっては、初めてのアメリカ生活が「何もない田舎」・・・いや、「自然しかない田舎」というハードルの高さに、赴任に対して全く前向きになれずにいました。そして、重たい気持ちのまま、とうとうノースカロライナへ向かう日がやってきました。



当時私には、イヤイヤ期真っ盛りの娘がいました。14時間と気の遠くなる長時間フライトに加え、言うことをなかなか聞いてくれない娘、こんなにも頑張って行く地がなんと田舎!!と、三重苦が揃い、私の心はますます重く沈み込みました。

イヤイヤ期真っ盛りの娘と初めてのアメリカ生活の画像1

買い物に行くのすら…

右も左もわからずに始まったあわただしい私たちのアメリカ生活は、まったく上手く進みませんでした。



まず初めにぶつかった壁は、買い物へ行く手段。基本的な事ですが、アメリカの田舎道に歩道は存在せず、むしろ「歩道??何それ??」と、ない事が当り前のような潔さすら覚えるほど歩道が全くないのです。目の前のお店へ行くにも慣れない左ハンドルの車で行くしかなく。さらに、その制限速度は80キロ。日本でも高速道路に乗った事の無い私が、慣れないアメリカの地で初80キロ走行に挑戦せねばならず…。初めての買い物は「はじめてのおつかい」同様、小さい子どもの様に35歳にもなってワナワナ震え、感涙のエンディングを迎える事もなく「ごわい~(怖い)、もう、いやだー」と、おばさんが雄たけびをあげて終わったのでした。

次にぶつかった壁は文化の違いで、この高い高い壁の前で私は、いくども日本に帰りたいと思いました。病院へ行くにもまずは、予約が必要で「では、手続きが済んだら折り返しお電話しますね」と言わるのですが、すんなりと折り返しがかかって来た事は皆無!むすめの幼稚園の書類に至っては、不備しか見つからないという。文化の違いを見せつけられたものでした。



そんなドタバタを繰り返し、挙句まだ友達も見つからないままの私はアメリカに着いて早々に日本が恋しくなりました。荷物がまだ揃っていないガランとした広い部屋の隅っこで、途方に暮れた私はむすめと二人肩を並べ、「これから、どうする~?」と答えの出ない問いをむすめに投げかけては、ニカッと笑うむすめの笑顔に救われる毎日でした。

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転機となったPlay Group

しかし、ちょうど3カ月が過ぎようとする頃、今まで白黒だった私の世界に少しずつ色が付けられて行きました。友達も徐々に出来始め、今まで会う人会う人が「初めまして」から始まる事に疲れを感じていた私には、特定の仲間が段々と増えて行った事に心地よさを覚えました。



友達を作るきっかけを作ってくれたのは、週に1度近所で行われる「日本人の子ども達を一緒に遊ばせましょう!」という趣旨のPlay Groupでした。当初全く予定の無かった私には、その週に1度の集まりが私に垂らされた神様からの一本の雲の糸のようで、それにすがる様にPlay Groupに毎週参加しました。



誰かを知る事も、誰かに自分を知ってもらう事も同じく大変な作業で、子育てに対する自分の考え方・今まで自分が生きて来た道のり、そんな事を話ながらお互いのことを知りあっていきました。その人がどんな事で怒りどんな事で喜ぶのかを知り、少しでも自分と同じような接点が見つかると嬉しくなりました。



ここに住む多くの日本人は、大体が3年~5年任期の駐在員や研究員ばかり。どんなに仲良くなったとしても、いつかは必ず元いた場所へ帰る事が決められた私達。ここは皆の通過地点の様な場所で、一瞬重なり合った運命の糸の上でいつかは必ず来る別れを意識しながら今この時を愛しむように遊ぶようになりました。



とはいえ、表参道や銀座のようなオシャレで美味しいケーキを揃えたカフェがあるわけでもないノースカロライナ。自分達が作った物が、結局は一番美味しいという結論に辿りつき、お遊びは専ら自宅でのポトラックパーティーがメインです。

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ブルブル震えながら踏み出した一歩から、2年半。飛行機では、着陸まで泣き続けたむすめはもう4歳になりました。



あんなに、抵抗のあったアメリカ南部田舎暮らしもだいぶ板についてきたように思います。日本では走った事のない高速道路ですが、アメリカの120キロ制限速度の高速道路も苦なく走れる様になりました。初めはビクビクだったお買い物も、病院・学校とのやりとりも以前よりもずっとスムーズに出来るようになりました。大袈裟ですが、何も出来ないと思っていた私でも、ささやかであれ進化出来るものだな~としみじみ何処でも生きて行ける自分を誇らしく思い、やらない事とやれない事との大きな違いに気付かされました。



そして、一番気付かされた事、ノースカロライナには自然しかないと思っていた私の愚かな事。緑の葉の清らかな美しさ。

落ち葉舞い散る中での、リス達の軽快なステップ。庭先での野ウサギの子育て。どこかで、キツツキが木を鳴らす音の安らかな事、その音を聞きながらのランチ。カルガモ親子道路横断による渋滞(笑)どこまでも広がる空の濃い青さにくらくらする。



ここには、東京の様なオシャレな物も高価な物も流行りも何もないけれど。でも、ここには全てがある。そんな物全てより勝る事がある。



名前も知らないどこにあるのかもわからない街が、いつからか自分の一番大切な愛しい街になる。駐在経験は私に新しい価値観を与えてくれました。



さぁ、温かいお茶を淹れましょう。席につけば、間もなくリスも野ウサギも小鹿もお庭に集まって私達に挨拶しに来ますよ。

これから皆何処へ行くと知らない私達の、だからこそ余計にこの時が愛しく思える午後が今日も流れていきます。

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この記事を書いた人

ヒカリ

アメリカ・NC生活を終えて2015年3月日本へ本帰国しました。
4歳の娘を息を切らして追いかけまわす日々ですが『私らしさ』を大切に日々過ごしていきたいと思いま...

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