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公開 2021年06月23日  

ぐちゃぐちゃな心にスッと届いた。祖母がくれた「もう大丈夫」のパスケース

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浮足立った気持ちと、予期せぬショックと、その後の嬉しい出来事と。パスケースと一緒に、ずっと心に残ってる。

<コノビー×ネスレ日本 エッセイコンテスト見本記事です>

私は三姉妹の真ん中で、子どもの頃、いつも姉や妹を出し抜きたいと思っていた。


小さい頃の姉はとても病弱で、しょっちゅう入退院を繰り返していた。
母は病院の付き添いに忙しく、家族みんなが姉の体調に心を砕いていたのを覚えている。

姉がすこし丈夫になったころ妹が産まれた。

その妹もまた、病弱だった。
同級生の子と比べてうんと小さくて、青白くて、いつも咳をしていた。

やっぱり家族は彼女に心を砕いていた。

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あの日、どうして私だけがおばあちゃんといたのか覚えていない。

私はたぶん5歳くらいで、あの場には姉も妹もいなかった。

場所は家の近所にあった、ジョイフルという建物。
ジョイフルは今でいうショッピングモールみたいな場所で、本屋さんとか服屋さんとか、ペットショップとか、とにかくなんでもかんでも入っていた。

当時の私たちにとって、ジョイフルへ行くということは、当然、胸が高鳴るすてきなお出かけだったのだ。


そのジョイフルに、あの日、私はおばあちゃんとふたりでいた。
完全に出し抜いている。

妹はたぶん1歳くらいだったはずなので、母と留守番していたんだろう。
姉はどうしていなかったんだろう。
また体調を崩していたのかもしれない。

その日、ジョイフルでは戦隊もののショーをやっていた。

おばあちゃんとふたりきりのおでかけが嬉しくて、嬉しすぎて、私はすっかり自分を過信していたらしい。
おばあちゃんに「見るから待ってて!」と言って、子どもたちの群れの一番前を陣取ったのだった。

催事スペースでもなんでもない、広めの通路みたいな場所でショーは行われていて、今思うと、それも臨場感を煽りすぎていたんだと思う。

つまり、ものすごく怖かった。

とてつもなく、怖かった。


すぐ目の前で、黒々した怪人然とした生き物が猟奇的に暴れている。
雄叫びみたいな奇声をあげて、あげく、司会のお姉さんを捕えてしまった。

いつもの楽しいジョイフルが台無しだ。

せっかく私だけがジョイフルに、それも大好きなおばあちゃんとふたりきりで来られたのに、ほんとうなら全部が楽しいはずなのに、怪人の臨場感が元気よくそれらを踏みつぶしていく。

もちろん、ヒーローらしきキャラクターが颯爽と司会のお姉さんを助けてくれたのだけど、もはやそんなこと心底どうでもよかった。

なんならいっそ、そのヒーローさえ、近くで見ると怪人と同じくらい不気味で怖かった。

勇んで一番前に座ったのに、びしょびしょに泣いてしまった。

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おばあちゃんは私たちの家から車で10分くらいのところで暮らしていて、そのジョイフルは私たちの家から歩いて5分くらいの場所にあった。

だから私としては、ジョイフルという私たちの最高の島で、先頭に立っておばあちゃんをアテンドする、くらいの気持ちだったのだ。

一緒に観ていた子どもたちがみんないなくなった後も、私はしつこく泣いていた。

いつまでもあのどす黒い沼みたいな残像が消えなくて、私たちのジョイフルが返ってこない。

ぜんぶが悲しくてエスカレーターの真横でずぶずぶと泣き続けた。


おばあちゃんは泣き止みなさいな、とやさしい言葉をかけたり背中をさすったりしてくれたんだけれど、泣けば泣くほどなにもかもが悲しくてしょうがない。

怪人は底抜けに怖かったし、びしょ濡れに泣いている自分もみっともなくて情けない。

こんなはずじゃなかったのに、という思いが頭の中でぐるぐると壮大なとぐろを巻いていた。


だんだんおばあちゃんが途方に暮れているのが背中越しに分かる。
分かるんだけど泣き止むことができない。


泣きすぎていよいよ疲れた頃、おばあちゃんが、おもむろに通路の角にあるおもちゃ屋さんへ私の手を引いた。

私がしつこく泣くものだから、なにか気分を変えさせようと思ったのかもしれない。

どれがいいと指された先にはなぜだかいろんなキャラクターのパスケースがあって、私は訳も分からず、キティちゃんの赤いパスケースを選んだ。

なにに使うものかもわからなかったのだけど、キティちゃんはかわいかったし、赤い色も好きだった。


会計を済ませたおばあちゃんがパスケースの入った包みを渡してくれた頃、ようやく涙は引っ込んだ。

私だけがおばあちゃんとジョイフルに来ただけじゃなく、私だけがおばあちゃんにかわいいパスケースまで買ってもらったのだ。

もうそこは完璧に、いつもの最高の島だった。

さっきまでのあの黒い残像は跡形もない。


おばあちゃんがくれたキティちゃんのパスケースひとつで、私たちのジョイフルは見事に元通り。
まばゆい世界はちゃんと帰ってきた。

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そのパスケースは、私がほんとうにパスケースを必要とする高校生になるまでなくならず、ちゃんとあった。
しかもきれいなまま。

と言っても、これといった執着をしていたわけではなく、なんとなく、なくならずに10数年、ただあったという感じ。


そして、さらに言うと、そのパスケースは今も手元にある。

それもやっぱり、なにかエモーショナルな気持ちで持ち続けていたのかと言われたら全然そうじゃない。

なぜかなくならずそこにある、という感じ。

4歳の次女が今、そのパスケースを「わたしのおさいふ」だと言って、その辺の小銭を何枚か詰め込んで楽しそうに持ち歩いている。


ジョイフルは市内に大型スーパーができてあっけなくなくなってしまったし、おばあちゃんも7年前に死んでしまった。

私はすっかり大人になったらしく、もう姉妹を出し抜きたいなんてこざかしいことも思わないし、もちろんもう戦隊もののショーで泣いたりもしない。

だけれど、末っ子が握りしめるそのパスケースのうしろに、今もずっと全部ある。

きらきらしたジョイフルも、浮足立った気持ちも、ほんのひとときジョイフルに絶望した気持ちも、呆れたおばあちゃんのやさしい声も、全部あの頃と同じ重さで、ちゃんとある。

そしてなにより、あの日、おばあちゃんが私を泣き止ませるために、ファンシーなパスケースをくれたというあのまっすぐな甘やかしと、あの指の先まで満たされるみたいな心地よさ。


いくら大人になったって、たぶん永遠にずっと、ある。


文:ハネ サエ.

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