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公開 2021年06月23日   更新 2022年06月14日

キャラにハマり続ける長男。それでも訪れる「心変わり」

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真ん中っ子長男は、とにかくひとつのことに、とことんハマるタイプです。

そのハマりようったら、いっそ清々しいくらい。

いい加減にしなさいと、夢中になれていいねが、いつも混在してる。


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長男(7歳)は、なにかひとつのことにハマると、とことんハマり続けるタイプ。


スタートは、かの有名な顔がついた機関車だった。

彼が2歳になるかならないかの頃、こちらとしては積極的に見せた記憶もないのに突然、モブキャラ機関車の名前を口走った。

ようやく二語文を話し始めた頃だったから、日常的に話すのはパパとか、ママとか、ねんねとか、擬音語もろもろ、という感じだったのに、いきなりのモブキャラ発声に驚いた。

しかもあろうことか、私はそのキャラクターの顔を主人公(主車公?)と、見分けがつかないでいたし、名前すら知らなかったのだ。

なので、彼がいったい何を口走っているのかさえ分からず、それがモブの名前だと分かるまでに、時間がかかってしまった。

彼は、いったいどこで覚えたのか、いまだに謎のまま。



数えきれないほどのキャラクターがいる、その機関車アニメに、息子はすっかりお熱になり、絵本もあそびもテレビも、なにもかもが顔がついた機関車ばかりになった。

絵本をひらけば「これは?」と、キャラクター達の名前を訊かれるので、その都度、書いてある片仮名を読んで「○○だよ」と答えていたら、あっという間に、ほとんどすべての機関車を覚えてしまった。

そしてそのうち、顔部だけ見てもだれか分かる、後ろから見てもだれか分かる、どんなに小さくてもだれか分かる、という人知を超えてるのでは、と思うような力を見せつけた。


家で遊ぶときは、もちろんその、顔がついた青い機関車だし、お出かけをするときも、片手には一番好きな青い機関車。

家にいてもずっと機関車を転がしているので、どれ子育て支援センターにでも連れて行ってあげようと連れ出しても、支援センターでもまた、青い機関車でひたすら遊んでいる、そんな状態だった。

絵本もテレビも、寝る前に持つ人形も、全部が顔つきの機関車。

とにもかくにも、彼の一日は機関車で塗りつぶされていた。



そうなってくると、いよいよこちらも機関車たちが気になってくる。

一体全体、なにがそんなに彼の興味を引くんだろうだろうと、知りたくなった。

青い色の機関車だけでも、主人公とよく似たのが3人(3台)もいた。

それだけでもじゅうぶんこちらとしては混乱に値するし、そもそも機関車なんて、どれも同じように見えるのに、彼には「これが好き」という機関車があった。

いったい何が、どう違うの、とお話を見たり、お顔の違いを眺めてみれば、なるほどと思うことがあったりする。

そんなふうにお話をよくよく見ていると、性格の穏やかなのや、気が強いの、真面目なのや、歌が好きなの、いろんなのがいる。

こいつは嫌いだな、と思うのがやがて出てきて、この子は好きだな、と思うのも現れる。

みんな同じように見えていた機関車たちが、それぞれ個性あふれる機関車たちに見えてきて、ただの青い機関車だと思っていた主人公の機関車のボディも、いっそう鮮やかな青に見えてくるから不思議。

最初は機関車に顔がついているというのが、なんだか少々気味悪く感じていたんだけれど、長男がハマったことにより、みんな各々愛嬌のある顔に見えるようになってしまった。

新しいキャラクターが登場すれば、あたりまえみたいに、彼と一緒に胸が高鳴った。



長女は、なにかひとつのキャラクターに執心したことが一度もなかったので、長男のこの機関車への大熱狂は、単純にみていて面白かった。

それに、なにかにハマる人を間近で見るのは、私にとって初めての経験だったので、興味深くもあった。

かくして、私もすっかりその顔あり機関車たちに親しみを感じるようになってしまったので、ここからが厄介。

青い機関車を見れば、つい買ってしまうのだ。

おもちゃこそ高価なので歯止めが聞くのだけど、ちょっとしたもの、例えばスーパーのカプセルトイとか、ポケットティッシュやシールやぬりえについ、小銭を落としてしまう。


そして挙句、私は彼の3歳のお誕生日に、青い機関車のアイシングクッキーを自作してプレゼントしようと思い立ち、まだゼロ歳の末っ子をおぶってアイシングクッキー教室のドアをたたいた。

今思うと、心の底から信じられない。

でも当時は、あの青い機関車にとんでもない価値を見出すようになっていて、青い機関車のためなら多少のことは厭わない不思議な洗脳状態みたいだったのだ。



けれど、当然ブームはいつか終わりを告げる。

彼は年中さんになると、モンスターを集める有名なアニメに夢中になり、こんどはそちらの図鑑ばかりを読むようになった。

あんなに愛した機関車たちの図鑑も、いつの間にかひらくことはなくなってしまった。

寝ても覚めてもモンスターの話ばかりになり、明けても暮れてもモンスターばかりを眺めていた。

私がいくら機関車たちに慕情を引きずっても、彼にはもう機関車は過去の思い出でしかないのだった。

そして、ようやく私がモンスターたちの全貌を理解し始めた頃、彼はあるゲームのキャラクターに心変わりをし、2年間どこへ行くにも大切に持ち歩いていたモンスター図鑑は、本棚の隅に押し込められた。

ハマった時間の長さと、彼の情熱の深さの分だけ、どの図鑑を見ても、彼の小さい頃の残像が浮かんでかわいいけれど、ちょっぴりさみしい。

彼らはどんどん更新される、いつだって新しい生き物なのに、大人っていうのは過ぎていくものにさえ、しがみついてしまうから厄介だ。

今ハマっているゲームキャラクターも、いつかは過ぎ去っていくと知りながら、そろそろ「かわいいのでは」と、思い始めてしまうから親ってほんと、厄介で女々しいものだな、と思う。



更新され続ける彼らの視線の先には、いつだって、彼らにとって眩しいなにかがあるっていうのは、なんだかとても希望的でいい。

「観すぎ!」、「おしまいだよ!」、「また明日!」、と口うるさいことをいうのが常だけれど、あの機関車もモンスターもゲームのキャラクターも、いつか彼が大人になって再会した日には、たまらなく胸が高まったあのどきどきを呼び戻してくれるのだと思うと、末永く仲良くしてやってね、という気持ちになったりもする。

そういうものは多ければ多いほどいいんだから、存分に夢中になったらいいよ、とも思うし、「ごはんだよ!」が聞こえないくらいならほどほどにしてくんないかな、ともやはり当然思う。そういうもの。



※ この記事は2024年02月12日に再公開された記事です。

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