その日はよくある、「子育てめっちゃ疲れてもう一刻も早く横になりたい、それゆえに子ども達も早く寝てくれDAY」だった。
ちょうどその時は、もうすぐ3歳になる娘にあの手この手でトイレトレーニングを仕掛けていた。
が、まあビックリするほど上手くいかない。
今日もお漏らしに次ぐ、お漏らし、そして洗濯、そしてお漏らし。
そのうち1回は娘のお気に入りのパズルがお漏らしの毒牙にかかりそうだったので、スライディングして阻止。
パズルを守った代わりに私のズボンがビチャビチャに。
洗えば良いと言えども精神的なダメージが大きい。
6歳の兄は兄で、「静かにしてー」と言っても8秒も持たない。
「じゃあコレくらいの声は?」
と小鳥のように言ったと思ったのもつかの間。
「じゃあこれくらいは!?」
と、今度は許容ラインのギリギリを攻めてくる。
私たち、そういう競技に興じておりませんけれども。
そんなこんなでやっと寝る時間!
あー早く寝たい。
でも日課の読み聞かせがある。
ゴールはすぐそこだ。
踏ん張れ、私。
そんな時、兄の方が「おかあさぁん!息子くんのこと好き!?」と(意図してないが結果的に)頭突きしてきた。
痛ったぁ……石頭。
泣きそう、もう、お母さん泣きそうよ。
大人だって、痛いもんは痛いんだよ。
「あ、ごめんね。で、息子くんのこと好き!?」
「かっか、ちゅき!?」(いつの間に妹も参戦)
「大大大好きだよ!
ハイパーラブリー兄妹が偶然にもこんなところにィ!?
今すぐ抱きしめないとォ!」
といつも通り言えば、一番穏便に済むのは分かっているだけれど、今まさに私のおでこはジンジンしている。
もうね、全然ラブリーな気分じゃない。
魂が口から出かけているような気さえする。
―あぁ、そういえば、あの時の母もこんな気持ちだったのかな。
当時私と母は同じ部屋に2つ布団を並べて寝ていた。
さぁ寝る時間となったとき。
私はなんとなく母に甘えたくなって、すでに布団に横になっている母の上をロードローラーのようにゴロゴロしてみた。
そして母に聞いたのだ。
「ねえ、おかあさん、わたしのこと好き?」
それに対し、ハイハイ、とか早く寝なさい、とか言って軽くあしらっていた母。
ところが、どうしても好きだよ!と言って欲しかった私は更にゴロゴロし続け、好き?と畳み掛けたのだ。
すると母が(私からしてみたら)突然、こう言った。
「好きじゃなかったらご飯作ったり、習い事の送り迎えしないでしょ!?
いいからさっさと寝なさい!もう!!」
と、かなり強めに怒ったのだ。
その後の私はと言うと、シクシク泣きながら、寝た。
ただ好きだよ、と言っていつものように抱きしめて欲しかっただけなのに。
それだけで良かったのに。
私の中ではこの出来事は割とよく思い出す悲しい出来事だった。
けれども自分自身が母になってから思い出すのは、初めてだったかもしれない。
改めて、そのときの母の気持ちについて考える。
そうすると、名探偵のジッチャンの名にかけなくても、分かってしまう。
母になったから、分かってしまう。
見た目は子ども、頭脳は大人な名探偵でなくても、真実はいつも一つ。
母は、その日、とても疲れていたんだろうな、と。
自分でも忘れているけど、母の疲労の原因といったらだいたい予想はつく。
私が、習い事に行くのがめんどくさいと言ってグズったとか。
宿題がわからないと母に八つ当たりしたとか。
兄と下らない喧嘩をしたとか、まぁそんなところだろう。
そしてそれらを何とか乗り切り、疲れ切った母はもう一刻も早く寝たかったに違いない。
と言うかもう半分寝てたのに、娘がロードローラーになって襲って来る。
……嫌だったろうなぁ。
同情しかない。
今改めて考えてみると、当時私は母の言ったことがよく分かっていなかった。
ご飯を作ったり、習い事の送迎をやることがなぜ好きに繋がるのか。
2つとも、お母さんが当然やってくれる、多くのことのうちの1つではないか。
当時の私にとっての確実で一番の愛は「好きと抱きしめくれること」だった気がする。
母は毎日のようにやってくれていた。
だから母が私のことを好きじゃないかも?なんて思ったこともなかったはずなのだけれど。
それでも寝る前に好きだよと抱きしめて欲しかった9歳の私。
疲れきっていて、つい子どもに突き放した言い方をしてしまった母。
どっちの気持ちも分かってしまう。
20数年越しで、両者の思いが母となった私にボディブローのように効いて来る。
これが人生というものなのか……!
ジンジンするおでこを我慢しながら、読み聞かせをしつつ、そんなことを考えていた。
息子の本と娘の本と1冊ずつ読んで、ゆっくり口を開いた。
「お母さんがね、2人に本を読むのは、2人のことが可愛いからだよ」
「ふーん」
「あとお母さんがご飯を作るのも2人のことが大事だからだよ」
「うん」
「だから抱っこしようね!おいで、ラブリーボンバー兄妹たち!」
ー「おかあさぁん!!」
ー「かっかぁ!!」
2人合わせるともう30キロを優に超える、ずしりとした重み。
これが幸せの重みなのか。
腰に来るなぁ。
子どものためにご飯を用意するのは「好きだから」。
独身の時の私が、母となった私の頑張りを見たら驚愕するであろう。
疲労困憊の日、自分1人だったらお茶漬けでも掻き込んで、倒れるように寝ているはずだ。
自分の為に頑張れるのは限界がある。
でもその限界を超えられる、否、気付かず超えてしまっている時がある。
自分以外の、誰かの為だ。
自分の子どもの為なら尚更なのである。
親という生き物は。
ちなみにロードローラー事件を、今現在の母に聞いてみたら全く覚えていなかった。
そりゃそうだ。
育児中、イライラしながら眠った夜なんていくらでもあるだろう。
母にとっては何百回、いや、もしかしたら何千回のうちの1つの夜かもしれないのだ。
私の目の前のこの兄妹も、いつか父となり母となり、そんな思いをすることがあるのだろうか。
あ、でもつい先日息子は言っていたんだっけ。
「お父さんになったら家に入って来た虫を退治しないといけないんでしょ。
だから結婚はしない」
息子よ、残念だが、虫は一人暮らしの家でも出るぞ。
君も守りたいものが出来たら、自分の限界を超えるパワーを絞り出す時が来るのかもよ?