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夫の育児ギブアップ宣言から変わったキャリア。家族の幸せを見つけるまで

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現在、小1の双子の男の子のママ、佐藤咲さん。産後の職場復帰後に大好きなサービス業の仕事を辞めたきっかけは、夫の育児ギブアップ宣言。でも、そこから未経験の医療業界で、やりがいを取り戻す再出発が始まったのです。

「現代の親」をとりまく社会環境はまさに変革の過渡期。

仕事にもとめることや育児に向き合う姿勢も変化する現代において、親たちは人生の中の大きな存在である「働く」をどのように見つめているのか。

今回は、双子のママでありながらも、現在、看護学校の学生である佐藤咲さん(37歳)にお話を伺います。

出産前は、ブライダル業界にてやりがいを見出し、生き生きと働いていたという佐藤さん。

しかし、現在、小1となる双子を出産後は、大好きだったサービス業を退職。一時は仕事へのやりがいは諦めるなど大きな挫折感を感じていました。それと同時に夫婦間の行き違いも多発。

そんな困難を乗り越え、全く未経験の医療業界に足を踏み入れることを決めた佐藤さん。

現在は、医療の仕事にやりがいを見出し、看護師を目指して奮闘中です。

思った通りのキャリアは歩めなかったけれど、今、充実を感じているという佐藤さん。
これまで、どのように考え、人生の選択をしてきたのかお話を伺いました。


大好きだったブライダルの仕事

―― 出産前にはどのように働かれていたのか、教えてください。

人を喜ばせたり、アイディアを出すことが好きで、音大を卒業した後にブライダルプランナーになりました。人の絆を感じる結婚式の空間がすごく好きで。
夜遅くまで打ち合わせに追われる毎日でしたが、仕事が大好きでしたね。

そんな最中に、出会って3ヶ月の夫と、スピード結婚が決まったんです。

それまでは24時間、脳内は仕事一色でたくさん貴重な経験もしてきましたが、夫との時間をつくるためにも、仕事を少しペースダウンしたいなと思い転職を決めました。

大好きなサービス業は続けたいけど、次の会社では、出産後も長く働き続けたいと考え、産休育休や時短の実績があるブライダルジュエリー会社に転職したのが27歳の時でした。

それまでやってきたブライダルの知識を生かすことができて、仕事はとても充実していて。入社して2年目に店長にもなりました。

子どもはいつか欲しいとは思いつつも、やはり自分に負荷はかかるだろうし、充実した仕事を手放したくないという気持ちもあり、なかなか決心ができませんでしたね。

―― 決心がついたのはいつ頃だったんでしょう。

夫は、結婚当初から、子どもを望んでいたんです。
一方、私は仕事は充実しているけど、年齢はどんどんあがっていくという葛藤を抱えていて、これは流れに任せるしかないかなと、だんだんと思うようになっていきました。

子どもを授かったのは31歳の時です。

妊娠して、双子を授かったのはとても嬉しかったものの、つわりもひどくお腹の大きくなるスピードもとにかく早くて。
上司がお子さんのいるパパだったので、体調不良を理解して気遣ってもらえたのは、助かりました。


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―― 双子の妊娠・出産には不安はありましたか?

ありましたね。

偶然、従姉が双子を産んでいたので、よく相談もしました。

話を聞く中で、これは夫婦だけで子育てするのは厳しいかもしれないと思い、不安解消のために私の地元へ引越しもしました。
出産後も職場に行きやすい場所に住み続けたかったのですが、通勤の便が悪くなるより、双子を育てる不安の方が大きかったんです。

私の場合は、身近に双子育児経験者がいて相談できたり、頼れる実家が近くにあるとか、すごく恵まれていたなって思います。そうでなかったら、私はもっと精神的に孤独を感じて前に進めなくなっていたかもと思うんです。

子ども達が生まれたのは35週でした。
体調の急変があり、緊急の帝王切開はありましたけど、それ以外の妊娠の経過は双子としては幸いにして順調だったと思います。



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復帰して半年、夫からのギブアップ宣言


――その後、元の会社に職場復帰されたんですよね。

はい。
子ども達が1歳1ヶ月の時に、職場復帰しました。サービス業なので、土日・祝日出勤でした。
休日は保育園に子どもを預けられないので、日曜日や大型連休は、夫が1人で双子をつれて街中を歩くというような日常が始まりました。

私は大変ながらも、効率的に仕事をやろうと考えて、案外バランスよく仕事と育児をこなしているつもりでした。

でも、復帰して半年頃に、夫から、「もうこの生活はツラすぎる…」とギブアップが出てしまったんです。

夫は私の地元で友達やパパ友がいるわけでもない。週末に出かけるにしても、周りはみんな家族連れ。

「咲には、実家や友達とか頼れるところがあるけど、俺は頼れるところもないし、全部1人でやらなきゃいけない」
「仕事を頑張ってる咲には申し訳ないけど、世の中はお父さんが赤ちゃんを育てるようにできてないことが多いんだよね…」と当時は、よく言っていました。

例えば、おむつ替えのスペースが男子トイレにない所もあったり。社会システム的なつまずきもあったし、赤ちゃんが2人となると、1人になにかあると、もう1人を抱えてつれていかなきゃいけないとか、色々な大変さがあったと思います。

それを聞いて私は、家族の1人がピンチになってしまった状態を無視して、このままこの生活を続けるわけにいかないと感じて、もうこのやり方は難しいんだなと…。

土日や連休がかき入れ時の会社に勤める以上、これからも仕事への責任と家族との時間を作りたいという気持ちの狭間で揺れるはず。親の休みがバラバラなことで、家族一緒に過ごす時間が少なかったり、子どもの行事に出れる出れないで悩み続けることになるんだなと…。

たくさん考えた結果、仕事は大好きでしたが一旦辞めることを決意しました。


仕事の「やりがい」は諦める


――大好きな仕事を辞めると決めなければいけなかった時の心境は?

当時は、悔しさやジレンマがすごくありましたね。
「なんで、私だけが辞めなきゃいけないの?」って思っていました。

結局、自分だけが、やりたいことの優先順位を変えるという選択をしなきゃならないんだなと思って。

ただ、夫の方が収入が多く、夫が仕事を止めるのは非現実的でしたし、夫婦として子どもが産まれて一緒に家庭を作り上げる中で、自分のやりがいばかりを優先するのは、もうできないんだなという諦めでしょうか…。
その時は、言い聞かせというか自分が飲み込むしかないのかな…とも思っていましたね。

その時に「両立が大変なら仕事を辞める? 俺一人の収入でやりくりしてさ」って夫に言われて。
それに、すごく腹が立ったんです。


「そういう問題じゃないんだよ!」って喧嘩もしました。

腹が立ったのをきっかけに、「私にとって働くって何だろう?」って真剣に考えました。

仕事が大好きで、ブライダルプランナーやジュエリーの仕事をしていた私を、夫はずっと見ていたわけで、「お金を稼ぎたいという理由だけで、仕事をしているわけじゃない」と最終的には納得してくれました。

それで、「働く事が好きだから、仕事は続けたい」と決めて、ただ辞めるのではなく転職をすることにしたんです。



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――そこから転職活動をされたんですね?

そうです。

週末に働く事が、この問題のきっかけになってしまったわけだから、サービス業はあきらめて、土日休みの仕事を探す必要があるなと。
今後来る小1の壁などもみすえて、私達の家族にとって子育てとの両立ができる業界に変えなくては…と思いました。

だけど当時33歳で、1歳半の双子を抱えて、何か資格をもっているわけでもなくて…。

一体どうしたらいいんだろう…と、当時は途方に暮れましたね。

マザーズハローワークに相談に行ってみたところ、そこで入り込めるってなると医療業界だと勧めてもらいました。



その助言をきっかけに、出産時、看護師さんや助産師さんに沢山助けてもらって、こんな仕事いいなぁと思っていたことを思い出して。
思い切って、医療の世界に飛びこむことに決めたんです。

体当たりで決めた就職

――すごい決断です。でも、仕事はそんなにすぐ見つかるものでしょうか?

いやぁ、見つからなかったですね。
子どもがいて未経験となると、けっこう落ちました。

結局、ハローワークの紹介だけでは見つからなくて。
地元のクリニックのホームページで求人を見つけて、応募したんです。

「資格はないですが、でも勉強します!」と伝えると、奇跡的に医療事務として正社員で雇ってもらうことができたんです。就職したのは、中規模な消化器内科クリニックでした。医療事務に加えて、看護助手といって看護師の仕事のサポートもやってもらいたいということで。

「はい!なんでもやります!」と言って。笑

もう雇ってもらえただけで、本当に嬉しかったですね。



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看護助手としてスタートした1年間は暗やみ期

―― 初めての病院勤務は、どうでしたか?

最初はとにかく大変で、やりがいとかなかったですね。

覚えることが多くて、毎日叱られる生活。
1年間は暗やみ期でした。

でもこの業界に飛び込んだのは、もう、やりがいを捨てたからだ!って自分に言い聞かせて。

家庭とのバランスのために、自分で納得して進んだ道だから、この中で頑張ろうよって。

その分、月末月初以外は、ほとんど残業はなく18時にはあがれていましたね。家族と過ごせる時間も、すごく増えました。
子どもの成長を夫と一緒にみる時間が持てるという、得るものも沢山ありました。

だから得るものがあった分、失うものがあっても仕方がないんだという気持ちで働いていました。
毎日、叱られながらも一生懸命に仕事を覚えて、週末に家族と過ごして癒される生活がしばらく続きました。

転機になった出会いで、変わった気持ち


――やりがいを諦めたという気持ちは、その後、変わっていったのでしょうか?

仕事に少し慣れてきたころ、新しく入った看護師さんの働きぶりに感銘をうけたんです。

不安そうな顔をした患者さんがいたら、言われなくても近づいて行く丁寧な仕事ぶりをみて、その方の人間性も大好きになりました。

こういう風に、誰かが病気や怪我でつらい時に心までケアするような仕事って素敵だなぁと思うように。

転職して2年くらいかけて、徐々にやりがいも取り戻していき、看護師の資格を取ることに決めたんです。

夫が後押ししてくれた看護師への道

――すごい決断ですね!

自分でもハイリスクな決断だと思います。

この歳で、子どももこれから大きくなりお金がかかるようになる中で、自分に投資する、かつ収入が止まるっていう。
実は、最初に「看護師を目指したら?」と提案してくれたのは夫だったんです。

暗やみ期の私や、転職してしばらくして楽しそうに働くようになった私をみて、「楽しいんだったら、看護師目指せばいいじゃない?」って夫が言ったんです。
「いやいやいや…ご冗談を。この歳で学生とか無理だよ。」と、最初は思いました。

夫にも、きっと大好きな仕事を諦めた私に対して、申し訳ないなという気持ちがあったのだと思うんです。

母親になってから学生になるのは、さすがに勢いでは決められず、かなり悩みました。

でも、これからずっと看護助手でやっていくのかなと思ったら、チャレンジしたいという気持ちもありました。

看護師という国家資格をとって、夫と2馬力で働ければ、数年間の収入の空白をペイできるほどの安定した職業であることも魅力でした。当時、子ども達は保育園児で、比較的生活も安定していたのもチャレンジしやすい環境だなと。

医療の仕事はきついしハードな仕事ですが、それでもやってこれたという自信もあったし、クリニックの看護師さんや院長先生が、きっとできると思う!と後押ししてくれて。

夫も「絶対やった方がいい。頑張りなよ。」と背中を押してくれて、そこが一番大きかったかな。

すごく嬉しかったし、私の可能性に一緒にかけてくれてありがとう!って心から思いました。


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夫婦関係修復のカギは対話


―― サービス業を諦めた当初は、夫婦間で喧嘩も多かったとのことでしたが、今は夫婦円満ですか?

実は、子どもが産まれて働く中で、育児家事分担について、よく衝突していました。

なんで俺ばっかり!私ばっかり!と、お互いが思っていてギスギスしていたんです。

忙しいので会話も「これとこれやっといたから、明日はよろしく!夕飯つくっといた!」みたいな。
ある時、夫に「夫婦の会話が業務連絡みたいになってる。夫婦としてどうなんだ?」って言われたんです。

そこで、このままの関係ではいけない…、もっと必要事項の連絡だけじゃない夫婦の対話が必要なんだ!と思いました。

「こんな夫婦、家族でありたいね。」というお互いが大事にしたい価値観を共有するために、話し合いの時間を持つことに。
普通に話し合うのが難しい状態だったので「世帯経営ノート」という、テーマに沿って対話を進めていけるツールを使って、思うことを冷静に伝えあう事にしてみました。

話し合ううちに、いかに産後、頭の中が子どもの事ばかりになっていたか、夫を個人として見ることも、どう思っているか考えることもしばらくしていなかったことに気づきました。

夫は、夫婦の関係をとても大事にしたいタイプで、だからこそ、週末に私が仕事でいない時は、寂しさを感じ、-人で育てていると感じていたんだと思うんです。

また、夫は仕事のストレスを家族で過ごすことでリラックスして癒したいタイプ。
そういうことも含めてお互いへの理解が進み、また、よい関係に戻れたのかもしれません。


―― お互いを思いやる姿が、あらためて素敵なご夫婦ですね。
現在は看護学校の学生さん。学生生活はいかがですか?


私は今37歳で、クラスメイトはまだ10代なので、あまりに突き抜けた年齢差です。
でも、クラスの子達とすごく仲がいいんですよ。クラスメイトにも優しく受け入れてもらって、文化祭ではステージに立って、久しぶりに歌も歌いました。笑

試験も課題も多いし学校生活大変ですけれど、出産結婚を経て学ぶって、18歳の時だったらこうは感じなかっただろうなという楽しさがあります。

小児のことや虐待、不妊治療など身近な話題に関することも学んでいて、勉強はとても興味深いです。

自分が望んでこうなるぞ~と築き上げた道ではなかったですが、すべてが今の貴重な経験につながったんだなと思うと、感慨深いですね。

今度は手を差し伸べる側に


―― 育休中に双子サークルも立ち上げて、活動中だとお聞きしました。

育休中に地元のママ友とサークルを立ち上げました。

双子育児は情報も少なく、双子ならではの大変な事が、本当にたくさんあります。

私もサークルで、同じ境遇の方と話をして救われたことが何度もありました。

実は多胎家庭の場合、虐待の発生率が単胎家庭の2.5~4倍高いというデータもあるんです。
なので、お母さんを1人にさせず、ホッとできる場をつくりたいと活動しています。

来年の6月には「つながるフェス」というイベントを地元で開催予定です。

双子家庭同士の交流会や企業と提携し、通常の店頭には置いていない双子用のベビーカーの試乗ができたり、双子のフリーマーケットがあったり。双子はお出かけも大変なので、イベントに一度足を運べば、情報が一気に手に入るように企画しました。

私も、子育てする中でたくさん助けてもらった経験があるので、今度は私が手を差し伸べる側になりたいという気持ちが強いですね。
それは、看護師を目指したいという気持ちともつながっているなって思っています。

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この記事を書いた人
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現代育児リアルボイス『あの日の選択』

決して特別ではない等身大の日々を生きる方々に、子育てする中で人生の分岐点となった出来事を語っていただくコノビーの「インタビュー企画」です。...

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