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公開 2020年07月14日  

乳児期はイマイチ活躍しなかった夫が、ナイスパパになって気づくこと。

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生まれた我が子と2人の歩みの中でいつしか私は母になったような気がするけれど、そう言えばウチの夫はいつ父になったのだろう。
結婚12年、親になって11年のウチの夫の変遷をまとめました。
ちょっとひどい。


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『親』にはいつなるのか

「初めての赤ちゃんがおなかにやって来て、おなかの膨らみとともに、あなたもお母さんになります」

この手の文言をひと昔前の妊産婦の業界界隈で目にしたこともあるような気もするけれど、私に限って言うと

あまりそんな事は起こらなかった。

出産という人生の一大事を、自分はちゃんと乗り越えられるのか、そして噂に聞く出産の痛みとはどの程度のものなのか、その他、出産にまつわる各種準備と手続き、そんな事ばかり考えて、私はあまり胎児の事を考えている余裕が無かった。

何といっても、まだ体内にあって会う事も出来ない小さい人間に突然

「ハイ!ひとつ愛情よろしく!」

と言われて『了解、今日から君に命捧げます』と思い至るのは難しい。

私が、我が子への愛情とか母としての使命感みたいなものを感知したのは、出産のずうっと後だったように記憶している。

だから『親になる』そのスタートラインは父も母も同じの筈だと個人的には思っている。

助産師さんに「ハイこれ貴方の子」と我が子を紹介された時がスタート、母も父も基本ハンデ無し。

しかしウチの夫はそもそも最初から父になる事については若干の心配のある人だった。

別に放浪癖があってフラリとどこかに行った挙句1年帰ってこないとかそんなことは無くて、どちらかというと生真面目で働きおしみをしない、至極まともな社会人ではあるのだけれど。

私が1人目の長男の妊娠を確認したその時、陽性の青いラインの出た妊娠検査薬を握りしめたままトイレから飛び出して

「妊娠してる!」

そう伝えたら夫は

「え~?ウソ~?」

手元のゲーム画面から目を離さずに、妻の人生初の妊娠、そして夫には初めての我が子、のはずなのにその事実とそれに付随する歓喜を、軽い懐疑と共にサラリと受け流した。

これは今でも恨んでいる。

『お手柄だよ!ハニー』

両手を広げて妻を抱きしめた上でその位言え。

その発言をスタートに、夫は

「俺にも子どもが出来た。嬉しいな」

という空気は纏っていても

初めての育児に向けて日に日に肩に力が入ってくる妻をよそに、赤ちゃんが我が家にやって来るという事実をちゃんと受け止めているようには、当時の私には全然、見えなかった。

私のお腹がせり出してきていよいよ出産準備を、と育児雑誌をあれやこれやと調べ

短肌着?
長肌着?
ロンパース?
カバーオール?
ツーウェイオール?
ボディスーツ?

出産準備品というのは衣類だけでも謎の呪文が多すぎる、あれは何だ、これは要るのか。

初めての出産準備品の品目と種類の多さに目をまわす妻の私を傍らに

「ねぇ、プラレールって何歳から遊べるのかな?」

にこにこしながら電車の玩具を検索していたりして、流石にこの時は妊娠中、気が立っていた事も手伝って、夫を怒鳴りつけたような気がする。

そして、プラレールの対象年齢は3歳からだ。

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生まれたら父になれるの?

「彼も子どもが生まれたらきっと変わってくれるわ」

そんな希望を出産に託す健気な妻の話は古来脈々と存在するけれど、大体ツライ結果にしかなっていないと思う。

そしてそれはウチの夫も例外ではなかった。

前述の通り、基本真面目な人なので、出産の日に女の子と遊びに行ってしまったとか、その辺で飲んだくれ、帰宅すらしなかったとかそんなことは全然ないのだけれど。

お産のその日、夫が出社してから始まった陣痛、じわじわと間隔が15分10分と狭まり、1人でタクシーを呼んでいざ病院に向かうその最中、夫に電話を入れると

「ホント?頑張って!俺も会社終わったらスグ行くね!」

アホか、今すぐ来い。

妻に電話越しに怒鳴られ、昼過ぎに会社から直接病室に駆け付けた夫は、陣痛の波にふうふう言っていた私のベッドサイドテーブルにあった病院のトレーを見て

「あ、お昼ごはん!おいしそう、食べないの?」

痛みと緊張で手が付けられていなかった人の昼食を、あろうことかもりもり食べた。

これも恨んでいる、勿論、今でも。

そして初産に苦戦し分娩室に運ばれたのはもう明け方4時を過ぎていて、一晩痛みに呻いていた私はこの段階でもう疲労困憊。それなりに寝ていた夫は割と元気だったが、さあ、産みましょう!というその時

退出した。

夫、ログアウト。

その理由は『血が怖いから』。

生まれたての我が子の可愛さと、無事出産をやり遂げた充足感でその時は怒りを感じなかったけれど、思えばちょっとヒドイのでは。

それでも生まれてきた長男を夫は

「かわいいね~!」

とても嬉しそうに抱いた。2890gの我が子を取り落とさないように肩にガチガチに力を入れて。

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で、いつ父になるつもりなのか

自分と瓜ふたつの我が子との感動の対面の後、夫が『父』になったかどうか、それが

実は記憶にない。

というより夫は、その頃、育児の現場にいなかった。

長男が4ヶ月になるかならないかの頃に、長期出張で新幹線の距離の他府県へ行ってしまったからだ。

私とまだ乳飲み子だった長男を置いて。

そんな仕事、なぜ受けた、夫。

それで、長男と毎日を過ごした約7ヶ月間。

私は結構ギリギリだった。

この頃の長男は、赤ん坊の癖に、常に眉間に皺の寄った、気難しくて、過敏で、扱い方が難解な、初心者の母親1年生にはかなりハードルの高い乳児だったし、実家も遠方、ひとりきりの育児なんて哀しいくらい楽しくない。

私は、ひとり遠くにいってしまった夫に呪詛を呟いた。

「アイツ、絶対許さねえ…」

現代の『父』って家庭と何よりも

「我が子に命ささげます」

そんな崇高な決意の元、妻と共に育児に邁進してくれるものなんじゃないの。

何なの、毎日同僚と呑んで語らっているくせに、自宅で夫の帰りを待つ妻と話をする気は無いのか、我が子への成長への興味は何処に置き忘れたのか、いまから探して来い。ジャストナウだ。

思ってたんと全然違う。

やり直しを要求する。

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最終的に夫は父になったのか

いつも微妙にかみ合っていない私と夫は、結婚12年目を迎えた。

2人とも、育児11年生だ。

その11年の紆余曲折は、超絶育てにくい長男から始まり、シャイが行き過ぎる喘息持ちの長女、そして最後に心臓疾患児の次女と来て

『育児が何もかも問題なく順調に行ったら、それは育児ではない』

それが妊娠期間も含めたら約12年育児をして来た私の教訓というか実感だ。

その3人の子を抱えて、母との自覚とか自認とかそんなことを考える間もなく、とにかく食わせて着せて寝かせて、健康を守り、年中行事をこなし、幼稚園を学校をそして金曜日に全員分の上靴を洗って干して、ねえお兄ちゃん給食袋先週も持って帰って来てないけどまさか無くした?

いつも時間一杯全力疾走の中、私という個人と母親であるという心的傾向みたいなものはもう完全に同化していると思っているけれど、夫はどうだろうか。

陣痛中に妻の食事をペロリとたいらげ
いざ出産というその時、分娩室からログアウト
乳児を置いて単身赴任そして連絡不備

数々の逸話を持ってスタートした父としての夫は、今日、例えば

直ぐにモノを無くしそしてそれをつい隠蔽してしまう長男と、学用品を紛失したなら買い直すから早く言えという私との間で小さな親子喧嘩が勃発して、プイと子ども部屋に引っ込んでしまった長男の後ろに付いて行って、ちょっと話をして、なぜか室内でキャッチボールをして気を取り直させたりできるようになった。

というか2人とも室内でボールを投げるなと何度言ったら。

そして土日には朝から8歳と2歳の娘達を連れてのお散歩と公園通い。

平日は朝6時から夜は子ども達が寝静まる迄不在でも、休日の父の存在は結構重要なものになった。

夫がそんな風になったのは、多分長男がプラレールで遊べるようになってから位だと思う。

ふたりで大好きな電車で夢中になって遊び、ねえこれ何処にしまうのと聞きたくなる程のレールを買い込んで、夫がこだわりに凝った路線を組み上げ

そしてその上を走る500系こだまの通過を、うつ伏せになった上に頬をぺたりと床にくっつけて見送って喜ぶ長男を見た時。

夫は思ったそうだ。


この子の0歳と、1歳と、2歳の時のこと全然覚えてないなあ。

惜しい事したなあ。


育児に参加する・しない、そしてその密度と頻度は各家庭個人それぞれ事情があるだろうけれど、乳幼児の育児、その一番大変な時期、かの戦場に足を踏み入れないと、幼くて可愛かったその時の我が子の記憶も全然残らないといんだと、思い立ったかどうかはわからないが

何か、過去に大きな忘れ物をしてしまったような気持ちになったらしい。

そんな夫は今、2歳の次女に

「次女ちゃんは電車が好きだからねえ」

プラレールを購入して一緒に遊ぶことを画策している。

長男の時のものは長女もたくさん使ってすっかりくたびれてしまって、ほとんど処分してしまったからと。

そこで、私は11年ぶりに夫に伝えたい事がある。

プラレールの対象年齢は3歳からだってば。


※ この記事は2024年03月15日に再公開された記事です。

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