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公開 2020年06月07日  

妻の気持ちに寄り添う。それも立派な”育児”だと思う<第四回投稿コンテスト NO.65>

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りんごさんは、不妊治療の末、待望の赤ちゃんを授かりました。しかし出産後、想像とは違った子育ての現実に直面。張りつめていた糸が切れたとき、夫がかけてくれた言葉とは…



娘を出産したのは6年前のこと。

その2年後に息子が生まれ、今はすっかり「4人家族」な日々が定着した。

夫婦2人の生活、子どもがいる生活、子どもが2人もいる生活。

それらが訪れる前は全く想像もつかなかったのに、今はそれが『当たり前』になっていることにただただ嬉しさを感じている。

わが家にすっかり定着した「4人家族」としての日々を、時に私が荒れ狂いながらもここまで無事に過ごしてくることが出来たのは、夫のおかげといっても過言ではない。

多忙な日々の限られた時間の中で、夫は夫の出来ることを主体的に行ってきてくれたと思う。


そんな夫が行ってきた育児の中で一番「ありがとう」と伝えたい出来事は何だろう。

1人で幼い子ども達を2人連れ公園や動物園に行ってくれたことであろうか。

晩ご飯を子ども達と一緒に作ってくれたことであろうか。

子ども達のためにおままごとキッチンなどを手作りしてくれたことであろうか。

色々思い当たることはあれど、もっとこの日々の核となるような出来事。

恐らくそれは産後間もない頃、私が初めて育児に行き詰まって泣いた日の出来事ではないかと思う。


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私と夫は結婚後しばらく2人の生活を楽しんでいた。

でも、いざ「子どもが欲しい」と思ってからは決してスムーズにはいかなかった。

少なくとも、私にはこの期間が精神的につらく感じられた。

欲しいと思ったらすぐ授かるものと思い込んでいた私は、世間知らずだったのだと思う。

期待を込めて試す妊娠検査薬が陰性になるたびに不安な気持ちが増していき、早めに調べてみた方がいいのかなと病院に足を運んでみたところ治療がスタート。

その治療も中々思うように進まず、ますます焦りが募る日々であった。

そういう時間を過ごす中で、常に心の中で思っていたことは『私の元に来てくれた赤ちゃんは大事に大事に育てよう』ということである。

子どもとの幸せな日々を想像し、それを糧に治療を乗り越えてきた。


念願叶って赤ちゃんを授かったときには、まるで宝物が来てくれたような気持ちになり、会ったこともない存在でまだ見えるのは自分のお腹だけなのに、愛おしくてたまらなかった。

仕事をしている両親の元へ里帰りをするよりも夫のそばで産みたいと思い、そう決めた。

そして、夫もそれを喜んでくれた。

私のサポートをするため、夫は1ヶ月間の育休を取ることを決意。

自分達の子どもを夫婦2人で育てる。

これから訪れる日々にワクワクした気持ちが止まらなかった。


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そしてその待ち望んでいた命がいざ産まれたわけだが。

私は知らなかった。

産後がこんなに痛いだなんて知らなかった。

一番耐え忍ぶべき痛みは出産そのものだと思っていたのに、産んでからの方が痛くてつらいだなんて知らなかった。

乳首がヒリヒリして授乳の度に激痛になることも、腰が痛くてたまらないことも、会陰切開した股が痛くてくしゃみをするだけで悶絶することも、座ることすら困難なことも、抱っこのしすぎで手首が痛くなることも、トイレに行く度に股が再び裂けるのではないかと怯えることも知らなかった。

授乳がこんなにも頻回でこんなにも眠れない日々となることなんて知らなかった。

母乳は産まれたらシャーシャーと出ると思っていたのに、数日たっても出る気配すらなく、でも生産だけはしっかりと始まって胸がガチガチに張って痛くなるだなんて知らなかった。

産まれてきた命がこんなにか弱く、自分の行いでこの命の灯を消してしまうのではないかという恐怖に苛まれることも知らなかった。

育児書にはそこまでのリアルは書かれていなかった。


産まれたらただただ幸せな日々が待っていると思っていた。

もちろん、幸せだった。

でもそれと同じくらい怖かったし、痛かったし、体力的につらかった。

そんな『幸せ』以外の感情を自分が抱いていることが信じられなかった。


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「治療してまで欲しいと願った命に対しそんな風に思うなんてダメ」

「負の感情を抱いてはいけない」

ネガティブな思いが脳裏に浮かんでは必死に消し、そんな風に思ってはいけないと自分に言い聞かせる日々だった。


でも、産まれてから三週間経った頃。

おむつを替えても、おっぱいをあげても、抱っこをしても、部屋の湿度や温度を調整しても、おくるみで包んでも。

何をしても泣き止まず、延々と悲鳴のようなキンキン声で泣き続ける娘に対し、私の張りつめていた糸がついに切れてしまった。

「何で泣くの!もうなんで泣いてるのかわからないよ!!」

まだ1ヶ月にもなっていない小さな小さな我が子に対し、思わず声を荒げてしまった。

こんなか弱い子に対して大きな声で怒鳴ってしまうだなんて、自分が信じられなかった。

あんなに大事に大事に育てようって決めていたのに…

それを見ていた夫がすかさず抱っこを代わってくれたわけだが、しばらくしてあんなに泣き止まなかった娘が泣き止みウトウトしだした様子を見て、自分の無力さにさらに情けなくなった。


なんで私の抱っこじゃだめだったんだろう。

こんな声を荒げるママよりも優しいパパの方がいいんだろうな。

愛情不足なのかな。

文句も言わず娘の要求に丁寧に応える夫とは対照的に、感情的に怒鳴ってしまう私。

自分のことがとことん情けなくなり、この日、産後初めて自分が情けなくて泣いた。


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その後、娘を無事に寝かしつけ終えた夫は、私に近寄りこう声をかけてくれた。

「イライラしちゃうよね。出産してから1人の時間ほとんどないもんね。明日しーちゃん見ててあげるから気分転換にお散歩しておいでよ」

呆れられると思っていたのに…。

私の気持ちを理解してくれた、そんな夫の優しさに再び泣けてしまった。


責めるわけでも諭すわけでもなく、ただただ気持ちに寄り添ってくれたこの言葉に、6年以上経った今も支えられている。

ちゃんと同じ方向を向いている。

一緒に育児をしている。

何かあったら夫に頼っていいんだ。

勝手に1人で全てを抱え込んだ気持ちになってつらさを感じていた私は、この言葉でふっと気持ちが楽になった。


「1人で気分転換しておいで」

という提案はこの日だけではなく、育児に行き詰まったり、イライラが収まらなかったときなど、夫はその後も時折1人になる時間を作ってくれた。

家で作業をしたいだろうと、子ども達を連れて出かけてくれることも度々ある。

その時間のおかげで気持ちの整理が出来たし、体力の回復も出来た。

何より、私の1人の時間を尊重してくれたことが本当に嬉しかった。


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育児休暇を取って初めての育児を2人で一緒にスタートできたこと。

私のネガティブな感情も理解してくれたこと。

1人になる時間を作ってくれたこと。

それらの全ての基盤となっていることは『私の気持ちに寄り添ってくれたこと』だと思う。


それは、この日のこの出来事というものではなく、子どもが産まれてからの6年以上常に継続されてきた。

『育児』と聞くと対象はあくまで子どもで『パパが子どもに何をしたか』に注目されがちだけど。

ママの気持ちを理解してくれること、話を聞いてくれること、思いに寄り添ってくれること。

私はそれも立派な育児だと思う。

夫婦で一緒に子どもを育てていることを実感出来る、何よりも心強い育児だ。


そんなこれまでの夫の優しさに、感謝の気持ちを込めて『ナイス育児』を伝えたい。

いつもありがとう。

これからもよろしくね。


(ライター:りんご)


※ この記事は2024年03月02日に再公開された記事です。

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