末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。のタイトル画像
公開 2020年03月11日   更新 2020年03月13日

末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。

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拙さを閉じ込めておける箱があったら、いつかのためにぎゅうぎゅうに詰め込んでおくのに。


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子どもが三人いて、もちろんどの子も最高にかわいいのは、大前提としてあるのだけれど、やはりどうにも末っ子というのは、かわいいのだ。


上に大きい子たちがいることで、小ささが際立つのだろうか、間もなく三歳になろうというのに依然、末っ子は「ちいさい」のだ。

長女が三歳のときなんて、下に一歳の息子がいたものだから、すっかり「おねえさん」に見えてしまっていて「ちいさい」なんて、みじんも思わなかった。

息子に関しては、そもそものつくりが全体的に大きく、新生児の頃から「ちいさい」からは程遠かった。


こと末っ子に関しては、体の華奢さや、三番目という立ち位置から、ついつい、いつまでも赤ちゃん扱いしてしまう。



ところが、末っ子がもうすぐ三歳というところに来て、はたと気がついた。

よく見るとここのところ、まぁまぁ、おねえさん感、が出てきている。

相変わらず、スペシャルかわいいのはデフォなのだけど、そこはかとなく全体の「かわいい」の分量の割合に、「おねえさん」が増している。

例えば、食事時に、私がなかなか進まないおかずを指して、「ほら、お肉も食べてね」と声をかける。


二歳初頭の頃ならば、「やだ!」が定型文。イヤイヤ期ですからね。

少し前、二歳十ヶ月頃は、「はーい」とちょっぴりいい子ぶった声。イヤイヤに少し飽きてきた様子。

さて、ここ数日はどうだろう。


「分かってるってば!今食べてるでちょ!もう言わないで!」


倍になって返ってくる。なんかこっちがひるんでしまう。


こうなるともう、赤ちゃんからは程遠い。


「ちいさい」がかすむ瞬間。


ごっこ遊びをしていても、ついこの前まで彼女は、お母さん役や先生役を率先してやっていたのに、ここ数日はどうだろう。

赤ちゃん役ばかりを、やりたがっている。

赤ちゃん役をやりたがるようになったら、もう赤ちゃんではない。

赤ちゃんは、赤ちゃん役をやったりはしない。

赤ちゃん役をやる、それすなわち、おねえさんの階段を登っていることになる。おおお。


「ちいさい」が、またほんのりとかすんでゆく。



おねえさんになるのは、彼女が生まれてから決まりきっていることだから、いっこいうにかまわないのだけど、こうなると毎日のように、生まれたあの日から、今日までの回想が止まらない。

ああ、こんなに小さかったのに、とおもむろに手を、洗面器くらいに広げてみたりする。

おっぱいを飲んで見上げた顔が、いつも悶絶するほど可愛かったな、と思ったりする。

そうそう、ズリバイの頃、紙ばっかり口に入れていたんだっけ、と捨てるはずのチラシを片手に、立ち止まったりする。


振り返るほどに、どれもこれも眩しくて仕方ない。


中でも、私がずっと忘れられないシーンがある。

あれは、一年前の春。

言葉をずいぶんと覚えた末っ子が、まだうまくまわらない舌を持て余して、話していた頃。

庭で、てんとう虫を見つけた末っ子が「おんもんもん!」と言ったのだ。

何を言っているのか、最初は分からなかったのだけど、何度も聞くうちに、彼女の指す先にあるてんとう虫が「おんもんもん」そのものであるらしいことに気がついた。


ああ!おんもんもん!そうだね、おんもんもん!おんもんもんだね!!


私が歓喜した。

「ん」しかかすっていない「おんもんもん」というワードの妙さ。

それでもなお、伝えたかった末っ子のいじらしさ。

そして、それを解読できた喜び。

すべてがごちゃ混ぜになって、なんだろう、たまらなくうれしかった。うれしくてかわいかった。


以降、末っ子は自信満々で「おんもんもん!」と発声するようになり、長女、息子、もちろん夫にも「おんもんもん」は浸透していった。


おんもんもんは、我が家できちんと共通言語となり、みんな、てんとう虫を見れば「おんもんもん!」と言っていた。

もういっそ、残りの人生において、この赤くて丸い虫は「おんもんもん」でかまわない、と本気で思った。



てんとう虫が言えなかった末っ子は、同時に「よ」の発声が、まだできなかった。

なので、例えば兄に向かって「てんとう虫がいたよ!」と伝えたいとき、「にーに!おんもんもん、あったじゅ!!」と言っていた。


「おんもんもんあったじゅ!!」である。


かわいいがすぎる。


つい先日、このフレーズがどうしても、もう一度聴きたくなって、カメラロールを血眼になって探したのだけれど、残念なことに、とうとう見つからなかった。

なぜ、あの日の私は、あの最高にかわいいフレーズを録音していなかったのか。今となっては理解ができない。


今日現在、末っ子ははっきりと「てんとう虫」と発声することができ、もちろん「よ」の音だって澱みない。


「おんもんもんって言ってみて〜」と、こちらがつまらない催促をすれば「てんとうむし」とクールに返されてしまう。

寂しさに負けて、ひとり口の中で「おんもんもん」を転がしてみても、当たり前だけれど、かわいさもなにもあったものではない。

ただ、虚しい。虚しくて恋しい。


いつだったか、末っ子のむり目の要求に対して「もう少し大きくなったらね」と、その場しのぎのごまかしをしたら、「てんとうむしって言えるようになったもん!」と泣かれたことがあった。

彼女にとっても、「てんとう虫」はひとつの大きな分岐点だったのかもしれない。



成長はこれ以上ない喜びだし、今日も元気で、ありがたいことこの上ない。

このまま、どうかすくすく大きくなってね、といつだって思っている。

思ってはいるんだけど、あの、もう二度と聞けない「おんもんもんあったじゅ!!」を思うとき、やっぱり少しさみしくもある。


一年前のあの春を取り戻せるなら、何度でも動画を撮って、未来の私にプレゼントするのに。


いつかお返事のほとんどが「はぁ?」になる日が来るかもしれない。

その日を迎えるまでに、あらんかぎりの拙さを寄せ集めておこう。

「おんもんもん」はもう届かないけれど、寝起きの「あちゃだよ(朝だよ)」はまだ間に合う。

何度でも動画に記録して、いつかの私に感謝されよう。


きっと、未来の私はそれをアラームにして、毎日朝を迎えてるから。


※ この記事は2024年04月18日に再公開された記事です。

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