1. 総合トップ
  2. >
  3. 子育て
  4. >
  5. 末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。

末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。

末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。のタイトル画像

拙さを閉じ込めておける箱があったら、いつかのためにぎゅうぎゅうに詰め込んでおくのに。


子どもが三人いて、もちろんどの子も最高にかわいいのは、大前提としてあるのだけれど、やはりどうにも末っ子というのは、かわいいのだ。


上に大きい子たちがいることで、小ささが際立つのだろうか、間もなく三歳になろうというのに依然、末っ子は「ちいさい」のだ。

長女が三歳のときなんて、下に一歳の息子がいたものだから、すっかり「おねえさん」に見えてしまっていて「ちいさい」なんて、みじんも思わなかった。

息子に関しては、そもそものつくりが全体的に大きく、新生児の頃から「ちいさい」からは程遠かった。


こと末っ子に関しては、体の華奢さや、三番目という立ち位置から、ついつい、いつまでも赤ちゃん扱いしてしまう。



ところが、末っ子がもうすぐ三歳というところに来て、はたと気がついた。

よく見るとここのところ、まぁまぁ、おねえさん感、が出てきている。

相変わらず、スペシャルかわいいのはデフォなのだけど、そこはかとなく全体の「かわいい」の分量の割合に、「おねえさん」が増している。

例えば、食事時に、私がなかなか進まないおかずを指して、「ほら、お肉も食べてね」と声をかける。


二歳初頭の頃ならば、「やだ!」が定型文。イヤイヤ期ですからね。

少し前、二歳十ヶ月頃は、「はーい」とちょっぴりいい子ぶった声。イヤイヤに少し飽きてきた様子。

さて、ここ数日はどうだろう。


「分かってるってば!今食べてるでちょ!もう言わないで!」


倍になって返ってくる。なんかこっちがひるんでしまう。


こうなるともう、赤ちゃんからは程遠い。


「ちいさい」がかすむ瞬間。


ごっこ遊びをしていても、ついこの前まで彼女は、お母さん役や先生役を率先してやっていたのに、ここ数日はどうだろう。

赤ちゃん役ばかりを、やりたがっている。

赤ちゃん役をやりたがるようになったら、もう赤ちゃんではない。

赤ちゃんは、赤ちゃん役をやったりはしない。

赤ちゃん役をやる、それすなわち、おねえさんの階段を登っていることになる。おおお。


「ちいさい」が、またほんのりとかすんでゆく。



おねえさんになるのは、彼女が生まれてから決まりきっていることだから、いっこいうにかまわないのだけど、こうなると毎日のように、生まれたあの日から、今日までの回想が止まらない。

ああ、こんなに小さかったのに、とおもむろに手を、洗面器くらいに広げてみたりする。

おっぱいを飲んで見上げた顔が、いつも悶絶するほど可愛かったな、と思ったりする。

そうそう、ズリバイの頃、紙ばっかり口に入れていたんだっけ、と捨てるはずのチラシを片手に、立ち止まったりする。


振り返るほどに、どれもこれも眩しくて仕方ない。


中でも、私がずっと忘れられないシーンがある。

あれは、一年前の春。

言葉をずいぶんと覚えた末っ子が、まだうまくまわらない舌を持て余して、話していた頃。

庭で、てんとう虫を見つけた末っ子が「おんもんもん!」と言ったのだ。

何を言っているのか、最初は分からなかったのだけど、何度も聞くうちに、彼女の指す先にあるてんとう虫が「おんもんもん」そのものであるらしいことに気がついた。


ああ!おんもんもん!そうだね、おんもんもん!おんもんもんだね!!


私が歓喜した。

「ん」しかかすっていない「おんもんもん」というワードの妙さ。

それでもなお、伝えたかった末っ子のいじらしさ。

そして、それを解読できた喜び。

すべてがごちゃ混ぜになって、なんだろう、たまらなくうれしかった。うれしくてかわいかった。


以降、末っ子は自信満々で「おんもんもん!」と発声するようになり、長女、息子、もちろん夫にも「おんもんもん」は浸透していった。


おんもんもんは、我が家できちんと共通言語となり、みんな、てんとう虫を見れば「おんもんもん!」と言っていた。

もういっそ、残りの人生において、この赤くて丸い虫は「おんもんもん」でかまわない、と本気で思った。



てんとう虫が言えなかった末っ子は、同時に「よ」の発声が、まだできなかった。

なので、例えば兄に向かって「てんとう虫がいたよ!」と伝えたいとき、「にーに!おんもんもん、あったじゅ!!」と言っていた。


「おんもんもんあったじゅ!!」である。


かわいいがすぎる。


つい先日、このフレーズがどうしても、もう一度聴きたくなって、カメラロールを血眼になって探したのだけれど、残念なことに、とうとう見つからなかった。

なぜ、あの日の私は、あの最高にかわいいフレーズを録音していなかったのか。今となっては理解ができない。


今日現在、末っ子ははっきりと「てんとう虫」と発声することができ、もちろん「よ」の音だって澱みない。


「おんもんもんって言ってみて〜」と、こちらがつまらない催促をすれば「てんとうむし」とクールに返されてしまう。

寂しさに負けて、ひとり口の中で「おんもんもん」を転がしてみても、当たり前だけれど、かわいさもなにもあったものではない。

ただ、虚しい。虚しくて恋しい。


いつだったか、末っ子のむり目の要求に対して「もう少し大きくなったらね」と、その場しのぎのごまかしをしたら、「てんとうむしって言えるようになったもん!」と泣かれたことがあった。

彼女にとっても、「てんとう虫」はひとつの大きな分岐点だったのかもしれない。



成長はこれ以上ない喜びだし、今日も元気で、ありがたいことこの上ない。

このまま、どうかすくすく大きくなってね、といつだって思っている。

思ってはいるんだけど、あの、もう二度と聞けない「おんもんもんあったじゅ!!」を思うとき、やっぱり少しさみしくもある。


一年前のあの春を取り戻せるなら、何度でも動画を撮って、未来の私にプレゼントするのに。


いつかお返事のほとんどが「はぁ?」になる日が来るかもしれない。

その日を迎えるまでに、あらんかぎりの拙さを寄せ集めておこう。

「おんもんもん」はもう届かないけれど、寝起きの「あちゃだよ(朝だよ)」はまだ間に合う。

何度でも動画に記録して、いつかの私に感謝されよう。


きっと、未来の私はそれをアラームにして、毎日朝を迎えてるから。


当社は、この記事の情報、及びこの情報を用いて行う利用者の行動や判断につきまして、正確性、完全性、有益性、適合性、その他一切について責任を負うものではありません。この記事の情報を用いて行うすべての行動やその他に関する判断・決定は、利用者ご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。また、表示価格は、時期やサイトによって異なる場合があります。商品詳細は必ずリンク先のサイトにてご確認ください。

この記事を書いた人
ハネ サエ.の画像
ハネ サエ.

成分のほとんどは3児のおかあさん。
おかあさん以外のときは取材をしたりエッセイを書いたりしています。

...

  1. 総合トップ
  2. >
  3. 子育て
  4. >
  5. 末っ子の言い間違えが、可愛すぎる。この拙さを、未来の自分にプレゼントしたい。