小学校3年生の長男が学校へ行けなくなった。それに伴い、年中の次男も保育園へ行かない。
我が家は夫婦で働いているので、小3の息子は夏休みに学童へ行く。
最初は、「友達にあだ名でからかわれるのが嫌だ」という。
何日もいやだいやだと言い続ける。
「気にしなくていいよ」と最初は声をかけていたが、本人が気にしているのだから仕方ない。
それ以前にHSCについて啓発しているkokokakuさんと知り合って、わが子はHSC(+HSS)ではないかと思っていたので、傷つきやすく、引きずってしまう気持ちがあるのだろうと想像できた。
※HSC(Highly Sensitive Child)とは、人一倍敏感な特性をもつ子どものこと。HSS(High Sensation Seeking)とは、活動的で刺激を追い求める性質のこと。
家にいる間、ずっと気持ちが落ちている。
うなだれている。
ある日、布団から出られなくなった。
無理やり起こす、リビングへ連れていく。
だけど気力がまるでない。
このままでは、どうなってしまうのだろう。
「行かなくてもいいよ」と言った。
もう、一人で留守番できるし。
「本当?ママ、ありがとう」
驚いた顔。
安心した顔。
救われた顔。
学童の先生に電話をした。
あだ名(名前をもじったもの)でからかわれることを話した。
学童の先生は親身になってくれた。
「名前でからかわれるのは、本当に傷つきます。子どもが自分で片づけられる問題ではありません。私たちがよく言って聞かせますので」
と言ってくれた。
私ははらはらと泣いた。
いったん解決した。
ところが、また、今度は別の友だちと小競り合いをして、行きたくない。
今度は、先生に注意されたことが嫌だ。
休む方が多くなってしまった。
学童だからよかったけど、いずれ学校が始まる。
私は怖かった。
学校に行けなくなったらどうなってしまうのだろう。
学童のように、どんどん休みがちになってしまったら……?
初日、不安な気持ちは的中した。
行くと言っていたのに、行きたくない。
体が動かない。
だらだらと用意をする。
何度言っても、怒鳴っても、全然動けない。
私はもう疲れてしまった。
これ以上、強制していかせることはできない。
だけどトボトボと、結局行った。
前の日まで私は、自殺防止のためのキャンペーンをたくさん目にした。
「逃げていいんだよ」
「行きたくないなら行かなくていい」
そんなメッセージ。
私は息子の背中を見ながら、一番大切にするものは何なのかと考えた。
一番大切なものはこの子の命だった。
強制的に行かせていたら、私はこの子を怒り続けることになる。
「死にたい」と親に言えなくて、遺書にだけ書いて、命を落としてしまった子どもたちのことを考えた。
それだけは絶対に防がなくてはいけない。
翌日もやはり「行きたくない」と言う。
私は前日の朝、彼の背中を見ながら思った最悪の事態を想像した。
「行かなくていいよ」そう言った。
でも本当は行ってほしい。
どうすればいいのだろう。
それから、2学期に行けたのは数日。
学校では、先生の判断で病気ということにしている。
学校の先生と、スクールカウンセラーの先生には、時間をもらって話した。
週に1日は、短時間だけど学校に行くことにした。
コミュニティで相談をした。
「行きたくないって言えるのはすごいよ」
「お母さんを信頼しているってことだよ」
「学校に行かなくたって大丈夫だよ」
そんな言葉をくれる。
とても勇気になった。
コミュニティの中に「自分が不登校だった」という人もいた。
その人はそのあとで自ら勉強をして、県で一番の大学にも通っている。
その存在が、私にとても勇気をくれた。
その後も、「時間がたくさんあるので漫画を読ませたいんだけど、小3だと何がいいかな」とか、たくさん相談した。
「みんなは『学校なんて行かなくていいよ』と言うけど俺はそんな風にすっきり思えないんだ」
って言ってくれた人がいた。
そりゃそうだ。
「自分の子どもだったら」ってちゃんと考えてくれるのはとてもありがたい。
学校に意味があるのはわかってる。
実は子ども本人もわかっている。
長男はママのことが大好きだ。
学校に行けばママが喜ぶことも知っている。
みんなが安心するって知っている。
だけど、行きたくない気持ちをごまかせない。
これってすごく正直なことだ。
ただ、私はどうにもならない気持ちを抱えていた。
仕事もあるのでずっとこの子を見ているわけにはいかない。
一番は勉強の心配だ。
学校に行っている子は1日5時間も6時間も勉強しているのだ。
自宅でそんなに勉強するなんて、できるわけない。
不登校だったという人のお母さんに話を聞くことができた。
今大学生だが、小3~中3まで不登校だったという。
LINEでつながってもらって。
たくさん話を聞いた。
いろいろな気持ちの変化。
子どものために必死で、罪悪感にもさいなまれて……。
だけど、学校へ行くことをあきらめてから、いろいろなことがよくなっていったという。
子どもにも笑顔が戻った。
自分も楽になれた。
そんな気持ちになれるまで、2年かかったのだとか。
「おかしくなっていたと思います」
その人は言った。
わかる。
よくわかる。
「今日は(学校へ)行ってくれるかもしれない」と思い続けて、それが叶わないということを、2年続ける。
そんなこと、心を壊さずにできるだろうか。
それを聞いたときにすごく心が晴れた。
行かない前提で考える。
それが私たちを健康にしていくし、長男のためである。
学校へ行かないのは本人も気にしているのだ。
それ以上罪悪感を植え付けてどうなるというのだ。
罪悪感はいらない。
行けるようになればそれでいいけど、行かなくてもよくなる方法を考えよう。
<後編へ続く>