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息子の誕生、父との別れ。激動の年に父が残してくれた大切な言葉<第三回投稿コンテスト NO.128>

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ご自身のお父さんが体調を崩されたタイミングで、妊娠がわかったこはくさん。お父さんが残してくれたある言葉は、度々こはくさんを助けてくれているそうです。


私は、父の最期の瞬間に立ち会えていない。

私の父は、息子が生後4ヶ月の夏に亡くなった。

父の死までの1年間は、私たち家族にとってそれはもう激動の1年だった。


父が健康診断で要精密検査になったそのタイミングで、40歳手前まで放蕩していた末妹と長女である私の妊娠が判明。

父が癌だと診断された頃、私は大出血を起こした。

父が治療で何度目かの入院をする同じ日に、私は切迫早産で緊急入院となり、私が入院をしている間に末妹が出産をし、私が退院し計画分娩で出産する予定が2日かかってしまう。

息子が生後3ヶ月の頃、父がいよいよ寝たきりになり、そして息子が生後4ヶ月の夏、父が亡くなった。


あの頃の私は、父が癌である事よりも、自分が39歳にして子を授かり40歳で母になる事に対する驚きや戸惑いや喜び、そしてまだ見ぬ我が子の命を守る事へのプレッシャーが重くのしかかっていた。

妊娠はトラブル続きで、大出血を起こした中で鼓動を繋げていてくれたその命を守る事で必死だった。

それまで、自分の身体を一切労わったことがなく半ば自暴自棄に生きて来た自分を責めた。

なぜ煙草を吸っていたのだろう。

なぜあんなに毎日飲酒していたのだろう。

なぜあんなにヒールにこだわり、冷える服装をして着飾っていたのだろう。

あの時、そうしていなかったら、もしかしたらお腹の中の子の命が危ぶまれる事などなかったはずだ。


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正直言って、父の余命があと数ヶ月かも知れないと知っていても、父との別れを考え悲しみがおしよせるような余裕はなかった。


ぱっと見た感じ、丸で癌患者だとは思えない元気な父が、本当にもうすぐ命の終わりを迎えるのだと実感したのは11月だった。

私たち夫婦が購入したマンションの引き渡しを迎え、日曜大工が得意な父に、脱衣所のロールスクリーンの取り付けをお願いした時のこと。

工具を持った父は、脱衣所で立ちすくむだけで結局、取り付けができなかった。

その時の父は、既に脳にがんが転移していたのだ。

あんなに器用だった父が。

むしろ「俺の出番」としゃしゃり出るはずの父が、あんなに簡単な日曜大工すら、もうできなくなっていた。


抗がん剤治療の後、私が出産する病院で孫の誕生を2日間待った父は、息子が生後2ヶ月頃まで我が家に足しげく通い、目を細めて息子をあやした。


息子が生後3ヶ月の夏、いよいよ父が我が家に来ることが難しくなった。

私は高齢出産と切迫早産でいまだ体調が回復していなかったが、夫が休みの週末に息子を実家へ連れて帰った。

父は孫との再会を喜びながらも、「生まれてまだ間もない赤ん坊を、こんな暑い時期に連れまわすもんじゃない」と私を諭した。

いやいやお父さん、お父さんはもうすぐ死んでしまうんだよ?

今会っておかないともう会えないんだよ?


父はこう言った。

「親孝行ならおまえはとうに済ませている。赤ん坊に負担をかけず無事に育てる事だけを考えればいいんだ。」



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父と息子が最後に会ったのは、父が亡くなる10日程前。

管で繋がれ寝たきりの父は、最後の力を振り絞り、生後4か月の息子をあやした。


お盆明けに父が亡くなった時、私は父の最期に立ち会うことが出来なかった。

自宅近くに住む妹一家と末妹一家と母の総勢9名に見守られながら、自宅で息を引き取った。


父の、「親孝行ならおまえはとうに済ませている。赤ん坊に負担をかけず無事に育てる事だけを考えればいいんだ。」という言葉は、その後幾たびと、子育てに迷い悩む私を救ってくれたし、父の最期に立ち会うことが出来なかった私の事も救ってくれることとなった。


そうだ、私も息子も、存在自体が親孝行なのだ。

存在している事が親孝行なのだ。

私が息子を抱いた時に「これ以上の幸せはない」と感じたように。


息子はもう、この春に小学生になる。

息子のランドセル姿は見せることが出来なかったが、父のその考え方は私から息子へ受け継がれ、いずれ息子の子へ、そしてまた次の世代へ、未来までずっと続いていくだろう。

「父の子で良かった」そう私が思ったように、私も息子に「母の子で良かった」いつかそう思ってもらえるよう、生きていきたい。


(ライター:こはく)


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