私は、父の最期の瞬間に立ち会えていない。
私の父は、息子が生後4ヶ月の夏に亡くなった。
父の死までの1年間は、私たち家族にとってそれはもう激動の1年だった。
父が健康診断で要精密検査になったそのタイミングで、40歳手前まで放蕩していた末妹と長女である私の妊娠が判明。
父が癌だと診断された頃、私は大出血を起こした。
父が治療で何度目かの入院をする同じ日に、私は切迫早産で緊急入院となり、私が入院をしている間に末妹が出産をし、私が退院し計画分娩で出産する予定が2日かかってしまう。
息子が生後3ヶ月の頃、父がいよいよ寝たきりになり、そして息子が生後4ヶ月の夏、父が亡くなった。
あの頃の私は、父が癌である事よりも、自分が39歳にして子を授かり40歳で母になる事に対する驚きや戸惑いや喜び、そしてまだ見ぬ我が子の命を守る事へのプレッシャーが重くのしかかっていた。
妊娠はトラブル続きで、大出血を起こした中で鼓動を繋げていてくれたその命を守る事で必死だった。
それまで、自分の身体を一切労わったことがなく半ば自暴自棄に生きて来た自分を責めた。
なぜ煙草を吸っていたのだろう。
なぜあんなに毎日飲酒していたのだろう。
なぜあんなにヒールにこだわり、冷える服装をして着飾っていたのだろう。
あの時、そうしていなかったら、もしかしたらお腹の中の子の命が危ぶまれる事などなかったはずだ。
息子の誕生、父との別れ。激動の年に父が残してくれた大切な言葉<第三回投稿コンテスト NO.128>

ご自身のお父さんが体調を崩されたタイミングで、妊娠がわかったこはくさん。お父さんが残してくれたある言葉は、度々こはくさんを助けてくれているそうです。
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