元々涙もろい私。
感動モノの映画はもちろんのこと、悲しいニュースでも泣けてくるし友人たちと笑い過ぎて涙が出てくることはあった。
泣きやすいという自覚もあった。
しかし息子の出産後、涙腺がおかしな方向にバグってしまった。
30時間を超える出産と入院期間を終えて自宅へ帰ってきた私と生まれたての息子。
ベッドですやすやと眠る息子を見て、かわいいな~ふにゃふにゃだ~と夢心地の気持ちのあと、胸に鋭く突き刺されたような、物理的なそれとは違う痛みが…。
「この子に今なにかあったらどうしよう…」
「失うことなんて考えられない、考えただけでも泣けてくる…」
子を失ってしまったらという恐怖や不安が入り混じり、ただ寝ているだけの息子を見て涙がとめどなく流れていた。
きっとこんなことは他の親御さんでも起こりうることだと思う。
しかし私の涙腺は着々とおかしな方向へ緩んでいった。
それから息子もすくすくと育ち、テレビを観ながら遊ぶことも増えてきた。
子ども中心の生活となり、観る番組はほとんど子ども向け番組。
一緒に観ているうちに番組の人物やキャラクターの知識をどんどん蓄えていった。
あるアニメを観ていたとき。
それは一話たった5分の基本的には笑いがメインの番組だった。
産前にはなんとなく苦手だった絵柄も自然と慣れ、むしろ番組が始まるのを楽しみにしているくらいに変化していた。
なんなら決めポーズも歌もおまかせあれ、息子が頼んでもいないのに踊ってみせたりした。
そのアニメの最中、とあるキャラクターが風にあおられて空に飛んでしまうシーンがあった。
…気付いたら泣いてたよね。
気付いたら泣いてた。
自分でも泣きながらおかしな気持ちだった。
描写も「あ~れ~」くらいのものだし、子ども向け番組なのだから絶対にまずい状況になどならない。
しかし子どもを産んだことで命の尊さや儚さを他人事に感じられなくなった私は、このシーンの危機的状況を涙なしには観られなかった。
「どうか無事でいて…」
(無事でした)
まぁ、キャラクターなら感情移入することがあっても変ではないかも知れない。
そうやって自分を納得させた。
また別の番組でも事件は起きた。
その番組のひとつのコーナーには、ビー玉が様々な仕掛けによって転がり冒険をするといったものがあった。
仕掛けが非常に凝っていて大人が観ても夢中になる。
息子も私も自然とテレビに釘付けになっていた。
ビー玉が転がっていく中にはストーリーが展開されており、そのコーナーも終盤にかかる頃、主人公のビー玉たちが敵の玉に襲われそうになるその瞬間に他の敵が主人公たちの間に入り守ってくれるシーンがあった。
…なんだこの感動短編映画は。
私はお金を払ってとんでもない映画館に入ってしまったのか?
私の涙腺は締まることをやめてしまった。
涙しか出ない。
完敗だ。
ついに無機質なものにまで感情がこもってしまった。
もうどうとでもしてくれ…。
泣き終えてすぐに自分に対するおかしさで笑いが込み上げてきた。
元々の涙もろさが子どもを産み育てていく間に涙腺がこんなおかしな方向に突っ走っていくとは全く想像していなかった。
感情豊かなことは悪いことではないと思うのだけれど、この話を夫にしたら「大丈夫?」とだけ聞かれた。
うん、その質問は正しいと思う。
おわり
(ライター:ゴリラウーママン)