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長女に生まれたこと、がつらかった母。変わるきっかけをくれたのは…<第三回投稿コンテスト NO.63>

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三姉妹の長女として「しっかりしなくては…」と、長女であることを負担に感じて生きてきたという、まぼさん。そんなまぼさんに、変わるきっかけをくれたのは他でもない“もうすぐ姉になろうとしている”わが子でした。


子育てをしている皆様は、子どもの成長を感じる場面に出会うことが多く、ベストを決めかねるくらいたくさんのエモストーリーにあふれていることと思います。

私も、その一人です。

2歳9ヶ月の娘の母、二人目妊娠中のまぼと申します。

溢れるストーリーの中でも、この度、私が皆様にぜひ語りたいテーマは「私は“お姉ちゃん”であると娘から伝えられた瞬間」です。

これを最大のエモストーリーとして扱うのは、私自身が「姉」という立場にある種呪い的なものを感じていたからです。



少し長くなりますが、私自身のことをお話しさせてください。

私は、三人兄弟の長女として育ちました。

両親ともに長女である私には厳しく、弟、妹には甘い家庭でした。

当時は親から言われたことは絶対で、何一つ疑うことなく従ってきました。

「弟、妹には優しく」「お姉ちゃんはしっかりしなくてはならない」「あなたは一人でも大丈夫な子」…。

母は弟と手をつなぎ、父は妹を抱きかかえ、私は一人その後ろをついていく。幼少期こそ何の疑いもなく「お姉ちゃん」として頑張ってきましたが、中学、高校と歳を重ねるごとに呪縛を感じるようになりました。


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私という個人は一体どこにあるのだろう?

そんな思いに駆られることもあり、早く家を出たくて仕方なかったです。

そんな私が結婚したのは、今から約8年前。

子作りを開始するも子宮内膜症が発覚。

約5年間の不妊治療(外科的治療や人工授精)を経て、ようやく待望の第一子を授かりました。

授かるまでも時間がかかり、その上妊娠7ヶ月から切迫早産で入院。さらに辺縁前置胎盤で帝王切開と、波乱万丈なマタニティライフを送ることとなります。



二人目を考え始めたのは、娘が1歳を迎えた頃。

仕事に復帰し、娘も保育園に通い出していました。

幸い時間の融通も利き、理解のある職場でしたので不妊治療を再開は難しくない環境です。

しかし、すぐに再開の決断はできませんでした。

それは、先にお話しした「お姉ちゃんの呪縛」と波乱万丈マタニティライフが脳裏をよぎるからです。

「お姉ちゃんを押し付けてしまわないだろうか」「切迫早産から長期入院となり、さみしい思いをさせるのではないか」「甘えたい時期に我慢させるのではないか」…。



結局、娘がもう少し大きくなってから考えよう、と結論を後回しにしていたのですが、状況は一転。

仕事復帰からまもなく、子宮内膜症の経過観察のため訪れた産婦人科で言われた言葉は「軽度再発」でした。

子宮内膜症の治療は、低用量ピルを内服し生理を止めてしまうか、はたまた真逆で妊娠するか。

一人目の妊娠に約5年…二人目を授かるまでにまた5年かかったら?と思った時、不妊治療を再開する他、選択肢はありませんでした。


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二人目妊娠がわかったのは、それから約1年後。妊娠の陽性反応にあまりに驚き、その場にいた娘に向かっていの一番に報告してしまいました。

「娘ちゃん、ママ、赤ちゃんできたみたい。」

「え?赤ちゃん?お腹に赤ちゃんいるの〜?」

そう言って娘は私のお腹をじーっと見つめていました。

嬉しがったり嫌がったり、感情の動く様子はなく、ただ不思議そうに眺めていたように思います。



まだ2歳2ヶ月だった娘。「お姉ちゃんになるんだ」と自ら考えることはなかったでしょう。

私自身も、絶対に「お姉ちゃん」という単語を使ってやるものかと意固地になっており、家族が増えるということだけを強調して伝えました。

そのためでしょうか、その後も娘から「お姉ちゃん」という言葉が出てくることはありませんでした。

とはいえ赤ちゃんへの関心は高く、「赤ちゃんおはよ〜」「元気ですかー?」とよく娘の方からお腹へ話しかけ、優しく撫でてくれていました。



お腹の赤ちゃんも大切ですが、できる限り娘との時間を第一にと過ごしてきましたが、それもつかの間。

妊娠5ヶ月で切迫流産。

自宅での絶対安静を余儀なくされました。

あぁ、私が健康な妊婦でないばっかりに。

娘に我慢をさせてしまう。

まだまだ小さなこの子に、これからたくさんさみしい思いをさせてしまう。

自宅安静を言い渡された当日は、かなりへこんで帰ってきたことを覚えています。

しかし、へこんでばかりもいられません。

へこんでようがなんだろうが、これまでと同じような生活は送れないことを娘に説明しなくては。


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「あのね、娘ちゃん。ママね、病院の先生から“体が痛い痛いだから、抱っこもおんぶもやめてね”って言われちゃったんだ。ママちょっと体がしんどいみたいなの。

これからしばらくの間、立っちしての抱っこ、おんぶはできないけど、座って抱っこならできるから、ちょっとだけ我慢してもらえるかな?」

最初は私の目を見て話を聞いてくれていた娘ですが、少しずつ視線が下に。

口を尖らせ、うーん、んー、とハッキリ言葉にはしないものの、理解したけど不満だわ〜といった表情が見て取れました。



それでも「いやだ」と文句は言わなかった娘。

「抱っこしてよ、おんぶしてよ!」と絶対駄々をこねると覚悟していましたが、拍子抜けでした。

と、同時に、私の中の申し訳なさはグンと上昇。母の言葉を受け止めさせ、無理をさせたのだと、勝手ながら罪悪感に苛まれました。

転機はその数日後です。

その日も私は一人ベッドで横になり、主人に家事を任せ、自宅安静を続けていました。

すると、パタパタとリビングからこちらに駆け寄る足音が。



パパは家事で忙しくしているものね、構ってもらえずさみしくなったかな?と、体を起き上がらせようとしたところ「ママ!寝とって!痛い痛いだからね!」と飛んできた娘にベッドへ戻されてしまいました。

まぁ、なんて優しいのかしら…と感動していると、次に浴びせられた言葉は…。

「あのね、娘ちゃんね、お姉ちゃんだからねぇ、抱っこもおんぶも我慢できるんだよぉ〜!」

衝撃的な言葉に、母は目を丸くしてしまいました。

自ら「お姉ちゃん」発言?!

満更でもないドヤ顔で?!

この子は、お姉ちゃんという言葉が、いやではない…???


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「ち、ちょっといい?娘ちゃんは、お姉ちゃん…なの?」

「そうだよ〜。お姉ちゃんなの!だから、一人でトイレも行けるし〜、お着替えもできるんだよー!」

動揺する母、娘は笑顔。

その瞬間、私の中で「お姉ちゃんの呪縛」が少しずつ解け始めました。

娘にとっては、お姉ちゃんは呪いではなかったんですね。

むしろ、成長の証で、誇るべきことでもあるようです。

娘から「私は、お姉ちゃんである」と伝えられたことで、私の凝り固まった考えは、少し変わり始めました。



それからは、娘から「お姉ちゃんだからね!」や「お姉ちゃんって言って〜」と言われた時には「さすがお姉ちゃん!」「お姉ちゃんカッコいい!こっち見て〜!」なんてやり取りができるように。

とはいえまだまだ2歳。

出産準備のため久々に掘り出してきた哺乳瓶を見つけ、「ばぶー!」と言い咥えて遊んだりもしています。

可愛い可愛い赤ちゃんでもあり、頼もしいお姉ちゃんでもある。

チャーミングな娘です。

これから先、娘は自ら望んでお姉ちゃんの立場でいられる時もあれば、過去の私のようにお姉ちゃんを強要される時も出てくると思います。

が、もし、今後「お姉ちゃん」という部分で娘が悩む時が来たとしても、前向きに、ポジティブに解決していける、そんな気がします。

以上、これが「私史上最大の子育てエモストーリー」でした。


(ライター:まぼ)


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