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私の育児を苦しめた、亡き実母の“過干渉”。当時の日記に綴られていた想いに涙…。

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私にとっての「初めての育児」は、決して楽しいものではありませんでした。その理由のひとつが実母の過干渉だったのですが、実は…?

長男出産後、はじめての育児

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昭和16年生まれの母。

平成スタイルの私の子育てはとても危なっかしかったようで、母は見かねてはつい口を出し、私とよく衝突していました。

実の母娘だからこそ、お互い本音が出てしまうため、“シンドさ”を抱えていたように思います。


私は一方的に「母の考え方は古い」と毛嫌いし、同じ子育てママからの情報を頼りにしていました。

瓶詰めの離乳食もそのひとつですし、ママ友仲間とのランチには、みんなと同じようにかわいいベビーカーを押して参加しました。

当時の私にとって、それは「おしゃれで、簡単で、ちょっと楽できる方法」。

自分の身の丈にあわないと気付いていても、便利でいいものを使うことで“自分に余裕ができるフリ”をし、「みんなと同じ」でいることが、安定剤のようなものだったのです。


…しかし、それから数年後、そんな母は病気であっけなく他界してしまいました。

母が残した「気がかりなもの」


亡くなった母は、あるものを残していました。

私はその存在が気になりつつも、なかなか手に取る勇気を持てずにいました。

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母が日記を書いていたことは知っていました。

でも、遺品整理の時にもそれだけは触れてはいけないような気がして、ずっと読むことを躊躇していたのです。


いろいろと考えましたが、他界した母の思いを知るのも、残された者の務めなのかもしれない…。

そう思うようになり、母の13回忌を無事に終えた夜、ついにページを開くことにしました。

厳しかった母の日記。そこに書かれていたのは…


私の知る母はいつも口うるさく、私を褒めたりするような人ではありませんでした。

だからこそ、心のどこかで「母の日記を見たくない」とずっと思っていました。


でも…。


13年の月日を経てついに開いた母の日記には、意外な言葉がつづられていたのです。

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ママ友からの情報やネット記事のレビューばかりを信じ、母の話には一切聞く耳をもたなかった私。

意地っぱりで“完璧”を求め、明らかに肩肘を張り続けていた私の子育ては、全部母に見透かされていました…。

母は母なりに、昔と大きく変わった育児に戸惑いながら、いつまでも母親としての自信が持てない私のことを心配し、悩んでいたのかもしれません。


人の本音を知るというのは、怖いことだと思います。

でもそこにつづられていた母の文字には、私への愛情があふれていました。

こうした気持ちを、私の前で決して口にしない人だったからこそ、そのひとつひとつに計り知れない重みを感じたのです。


母の日記を読むまでに13年の歳月がかかりましたが、今では私の宝物となったことは言うまでもありません。

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この記事を書いた人
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ひらたともみ

栃木県宇都宮市在住のイラストレーター。

20代、30代、40代と出産を経験し、現在、2男1女の母として、終わらない子育てに奮闘中。

著書「これでいい...

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