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公開 2019年08月30日  

「大変だね」って言わないで。アレルギー児3人を育てる、心のゆれ動き

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子どもにアレルギーがあることを誰かに話すと、よく「大変だね」と言われます。私はこれがイヤでした…。


アレルギーがあることを「大変」だと思いたくない


私の子どもたちは、数多くの食物アレルギーやハウスダスト、動物アレルギー、花粉症、アトピー、喘息などがあります。

この話をするたびに、周囲に「大変だね」と言われるのがイヤでした。

“労いの気持ち”から言われることには有難く思うのですが、「大変だね。うちの子はなくて良かった~!アレルギーがないと楽だよ」と言われたことがあり、その頃から何となく苦手になっていたのです。



同時に、“子どもにアレルギーがあることを大変だと思いたくない”という気持ちもありました。

私にとっては、自分の子が初めての育児であり、基準。

基準である子にアレルギーがたまたまあっただけで、私にとってアレルギーっ子を育てるのは「普通」のこと。

「大変」といわれても、子どもにアレルギーが無い状態を知りません。

また、自分が子どもの立場なら、「好きでアレルギーになったわけではないのに、親から『大変』なんて思われたくない」と思うでしょう。

子どもに、自分は「大変」な存在だ、と思わせたくありませんでしたし、そうならないためにも強い母でいなければと身構えていました。



大変だと思いたくないけれど


とはいえ、子どもがアレルギー症状を出す度に、ビクビクしていました。

食べ物によって症状は変わりますが、たとえば卵を食べると、顔の皮膚に赤くプツプツの蕁麻疹が出て、かゆがります。

アレルギー薬を服用し、容体が落ち着くまで待ちますが、症状が引くまでは気が気ではありません。

「大丈夫かな?」「これからどうしたらいい?」「病院に行くべき?」とドキドキしっぱなし。

一度症状を起こせば、1週間くらいは私の気持ちが落ち込み、心が弱ります。

普段以上に「この食べ物は本当に卵は入っていないだろうか?」と、神経質にもなります。

1人目の時は入園前に小麦、幼稚園時代に乳製品、小学生で卵を食べられるようになりましたが、その道のりは長いものでした。

様々なアレルギー用食品を試しましたし、外食先も限られ、家では卵を食べないようにしていました。

負荷試験では、3ステップで試して食べる量を増やしていきますが、途中でアレルギー症状を発症し、中断したことは何回もあります。

当時は転勤族だったので、まだ生後間もない2人目を連れて総合病院に向かったことも。

ベッドから動けないので、丸1日病室にいて大変だったことも覚えています。

旅先で発症し、愚図ったり痒がったりしても病院が分からず、やむを得ず救急車を呼んだこともありました。

今でも家にナッツ類は持ち込まないようにしています。



…あれ??やっぱり大変かも?

子どもの健康をいつも注意深く見守ることは、けっこう大変なことかもしれません。

やっぱり、大変だった


今回、3人目にアレルギーがあると分かり、最初はひどく落ち込みました。

また一からのスタート。今度は兄弟がいるので、危険も倍増。

何より小さな子が症状を出す様子を見るのはつらくて、胸が締め付けられる思い……。

3日間落ち込みながら、「やっぱり大変だ!!」と自分を解放することにしたのです。



あれほどイヤだった、「大変」という言葉。

「大変」といわれて癒される人もいれば、余計気が重くなる人もいるので、今でも使わないようにしています。

それでも、大変なのに大変と認めないのは、精神衛生上よくありません。

愚痴も言えず、弱音も吐けなくなるので、マイナス感情が発散できないのです。

日常的にキリキリしたり、落ち込みがちになることもありました…。

やはり、自分は今大変なんだと受け止めてこそ、心配、不安、悲しみといったマイナス感情も発散できるもの。

その都度きちんとリセットした方が、自分も苦しくないし、子どもの前でも笑顔でいられると思いました。


後日談ですが、家族で話題になった時のことです。

「心配性だからアレルギーの心配はするけど、あなた達のことが大事だから苦ではないよ。

アレルギーがあろうがなかろうが、あなた達がいてくれれば何でもいいのよ」と言ったところ、反抗期に入りつつある息子は、悪態をつきながらも照れていました。

何が正解かは分かりませんが、子どもを思いやり大事に育てている気持ちが、アレルギーを介して本人に伝わるのであれば、それもまた幸せのひとつなのかもしれません。



※ この記事は2024年03月20日に再公開された記事です。

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