小1の終わり頃。父の転職が決まりました。
当時住んでいた愛知県から大阪府への引っ越し。
このとき、母が私に言ったのは、「引っ越すことになったよ」ではなく、「お父さんが大阪に行くことになったよ」でした。
そして、「お母さんたちはどうしようか」と尋ねたのです。
愛知と大阪。距離感どころか、「おおさか」すらわからなかった当時の私。
キョトンとする私に、母は続けて「お父さんだけ大阪に行ってもらうか、お母さんたちも一緒に引っ越してついていくか、どうする?」と尋ねたのです。
どうやら、私が「行かない!」と言えば、お父さんはひとりで「おおさか」に行かなければならないらしい。
でも、大好きなセーラームーンのアニメは、「おおさか」でもやっているのだろうか。
そして、母に「大阪でも、セーラームーンはやっている?」と尋ねます。
母は少し笑って、「大丈夫、やってるよ」と答えました。
そうか、「おおさか」でもセーラームーンは見られるのか。
考えた結果、私が母に出した答えは、「お父さんがひとりで引っ越すのはかわいそうだから、ついていく」でした。
でもそれは、お父さんについていきたい!という積極的な気持ちではなく、ついていった方が良さそうかも?と家族の温度を感じ取って出した答えだったのを今でも覚えています。
愛知と大阪では方言も、単語ごとのイントネーションも異なるため、転校先の学校で陰口をたたかれるようになりました。
おしゃべりが好きなのに、話すのが怖くなり、学校に行きたくないと毎朝号泣して抵抗。
母に無理やり連れだされて登校する日々を1学期の間過ごしました。
母は、自分達のせいで娘に無理をさせたと悔やむことがあったそうです。
ですが、当時のわたしは誰のせいだとも思っていませんでした。
「自分が決めた」という思いがどこかにあったからなのかもしれません。
当時の私を振り返ってみても、子どもは「無邪気な欲求のみ」で物事を決めるのではないことがわかります。
大好きなお父さんとお母さんを困らせたくはないから。悲しませたくはないから。
そんな思いやりを含んだ上で決断を下すことも大いにあり得ます。
実は想像以上に、子どもは簡単に親の意図を汲み取って「喜ばれる」方の回答をしてしまうのではないでしょうか。
そのつもりがなかったとしても、親の何気ない一言が子どもの本来の意思を曲げてしまうかもしれない。
子どもの意思を尊重させたい私は、このことを頭にしっかりと置いておきたいなと思っています。
ただ、経済的なこともあり、毎回すべての選択肢を子どもに与えられるわけではありません。
そこで、「これとこれ、どちらかから好きなものを選んでいいよ」「〇円までなら、何個でもお菓子を選んでいいよ」などと、その時々でかける言葉を選ぶようにしています。
とある保育士さんから「すべての選択を子どもに委ねるのではなく、ある程度の枠組みのなかから選択する方が安心して選べますよ」と教えていただいた事がきっかけでした。
子どもたちは、わたしを喜ばせようと「働くようになったらママにプレゼント買ってあげるね」とたびたび言います。
その気持ちは嬉しい、ありがとう。
だけど、自分が本当に使いたいものにお金を使っていいんだからね、と伝える日々です。
子どもの気持ち。
親の事情。
尊重と誘導、押し付け。
難しいな…とあらためて思っています。