心身ともに「強い」からは程遠かった学生時代。
「子どもを産んで、強くならざるを得ない状態に自分をおきたい」と友人に話したことがありました。
自分の後ろに子どもがいれば前進するしかなくなるだろう、といったイメージを浮かべていたのです。
そして、産後。
里帰り出産での帰省中から産後にかけ、祖母から「お母さんになるんだから(なったんだから)強くならなきゃね」と笑顔で声をかけられるように。
「お母さんがドーンと構えておかないと」
「お母さんは太陽のようにニコニコしてなきゃ」
義母や叔母からもこう言われ、実母からは、今でも「お母さんになったんだからがんばらなきゃね」と言われます。
言いたいことはわかるのです。
母が不安定になれば子どもも不安定になる。
子どものためにも、母が倒れるわけにはいかないと。
しかし、「強くあれ」と言ってきた相手には、これから弱音や愚痴を吐けないな…と鎧で身を固めるような気持ちになってしまいました。
私にはふたり子どもがいますが、ふたり目のときには、さらにその傾向が強まったように感じました。
特に産後は、まだひとり目のときの方が気遣ってくれていたように思います。
母は強し。お母さんらしく。お母さんだから。
自分を鼓舞するための言葉であるならばいいのですが、これらの言葉は時に重荷にもなり得ます。
「お母さんらしい母」になりたいわけではなかった。それなのに、お母さんらしくがんばらなきゃという思いがどこかにあるのも事実でした。
強くなりたいとは思っていたけれど、強さが義務になると、途端につらさが際立ちます。
「強くあれ」と言葉をかけていたのは、他人だけではない、自分もだったのです。
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