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告げられた新生児仮死。分娩を終えたばかりの頭で考えたこと。<投稿コンテストNo.109>

告げられた新生児仮死。分娩を終えたばかりの頭で考えたこと。<投稿コンテストNo.109>のタイトル画像

赤ちゃんが産声を上げなかった我が子。緊張の走る分娩室。
「ちゃんと生んであげられなかった」と自分を責めていた、はるかさん。
夫婦で前を向くまでの、出産ストーリーです。

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10131062410


私が思い描いていた出産は、分娩台の上で陣痛に苦しむ私の手を夫が握りしめ、ヒッヒッフーと頑張ること5~6時間、無事赤ちゃんが誕生。

先生が取り上げると赤ちゃんは「オギャー」と元気な産声を上げ、私たち夫婦は感動の涙を流して喜び合う。

入院中は友人達に「子供が産まれました!母子共に元気です!」とメッセージを送ったり、夫婦で沐浴を教わったりして、赤ちゃんと3人笑顔で退院の日を迎える、というものでした。


けれど、現実は全然違いました。


出産予定日を一週間過ぎた日の深夜2時頃。

「これは!」と思うお腹の痛みが定期的にやって来るようになりました。

11時に定期診察の予約を入れていたので産院へ行くも、まだまだ時間がかかりそうとのことで一旦帰宅しました。

私は里帰り出産だった為、実家でゆっくり過ごしていましたが、夕方には「もう我慢できない!」という痛みと間隔になり、両親に産院へ連れて行ってもらいました。

LDR室に通され、その日のうちに産まれるものだと思っていた私と両親ですが、子宮口は一向に開いてくれず、翌日も仕事だった父が先に、21時過ぎには母も帰宅することになりました。

朝までは時々助産師さんが来てくれるものの、一人で痛みに耐えて過ごす時間はとてつもなく寂しくて異常に長く感じました。

それでも「この痛みで子宮口がだんだん開いてるんだ!朝には赤ちゃんと会えるはず!」と前向きに考えて過ごしました。


しかし朝になり子宮口をチェックするも全開までまだまだで、陣痛促進剤を投与することになりました。

その時点で30時間陣痛に耐えて体力を消耗していた私は、今以上の痛みに耐えられるか不安になり、「できることなら自分の手で子宮口を開けたい!」そんな気分でした。

投与後、痛さはますます強くなり、「陣痛=生理痛の○倍」みたいに思っていた私ですが、お腹の中からお尻に向けてぐいぐい押されるいきみたい衝動は予想外の感覚で、練習していた呼吸法もできませんでした。

看護師さんから「目を開けてー!」「おへそを見て息を吐いてー!」と言われても「できませんー!!」と心の中で叫び泣いていました。

友人はあまりの痛さに、病院中に響き渡る声で叫んでいたそうですが、私は声を出すこともできず、ただひたすら無言で痛みと衝動に耐えていました。

そんな中、昼頃に夜勤明けの夫が駆けつけてくれました。私は痛くて会話をすることもできませんでしたが、傍にいてくれるだけで不思議と気持ちが落ち着きました。

そして、ようやくいきんでよし!のGOサインが出たので、そこからは早く赤ちゃんに会いたい一心で必死にいきみました。

陣痛が始まってから約39時間後の17時36分にようやく赤ちゃんが誕生しました。産まれてすぐ胸の上に置いてもらうとずっしり重くて、それがまるで命の重みのように感じられました。


私は赤ちゃんが産声を上げるのを待っていたのですが、K先生がさすったり叩いたりしても一向に泣きません。
「え……死んじゃったの……?」

想像すらしなかった恐怖に、私は夫の手をぎゅっと握りしめて、先生と赤ちゃんの様子を必死で見つめていました。

K先生が赤ちゃんの口にチューブを入れて何かを吸い出し続けると、弱々しくですが呼吸を始め、泣こうと頑張っているのですが泣くことはできません。私は理由が分からなくて「どうして……どうして……」と青ざめていました。

泣くことができない原因は羊水混濁でした。お腹の中で赤ちゃんが胎便を飲んでしまい、気管や肺に詰まってしまったのだそうです。

「赤ちゃんはどうなるの?助けて!!!」と願っていると、産院が提携している総合病院から、小児科のM先生と看護師さんが救急車で駆けつけてくれました。

赤ちゃんを診察した後、私達に「酸素が脳に届かない時間があった為、これから総合病院の方で脳や全身の検査をします」といった説明がありました。

M先生が「お母さん、どうぞ」と保育器に載せた赤ちゃんを私の近くに連れてきてくれたので、我が子の小さな手を握り「またね。頑張ってね」と声を掛け、M先生に「どうぞよろしくお願いします!」と必死でお願いしました。


待合室では両親や義理の両親が孫の誕生を楽しみに待ってくれていましたが、産まれて間もない孫が救急車に乗せられ運ばれて行くのを目の当たりにし、それはそれは不安で仕方がなかったと思います。

夫も我が子のことが心配で気が気ではなかったと思いますが、絶対に休めない夜勤があった為に県外の家に帰っていき、両親達も疲れただろうと思い、帰宅してもらうことにしました。

その後、私は癒着胎盤で自然と出るはずの胎盤が出なかったので、麻酔で眠らされ処置をされました。


どれくらい寝たか分かりませんが、目を覚ますと助産師さんが来ました。

「病院から赤ちゃんが思ったより重症で治療が必要なのだけど、その治療は生後6時間以内に始めなければならず、親御さんの同意書へのサインが必要だからすぐ来て欲しいと連絡があった」ことが伝えられました。

「重症」という言葉にショックを受けながらも、K先生と一緒に総合病院へ行くことになりました。

幸いにも友達から痛いと聞いていた会陰切開をしなかった私は、タクシーにも普通に座ることができました。

2日間陣痛でろくに寝ず食べずで過ごしたにも関わらず、移動できたのは産後ハイだったからかなぁ?と今では思っています。


総合病院に到着し、NICUの個室に入ってM先生から治療の説明を受けました。

これから72時間低体温療法を行うこと。それは脳が受けたダメージをそれ以上進行させないようにする治療であり、将来脳性麻痺等の後遺症が生じる可能性があること等の説明を受け、同意書にサインをしました。

他の書類には「新生児仮死」という言葉が病名として書かれてあり、更にショックを受けました。


翌日から、産院から総合病院へ我が子に会いに行く日々が続きました。

可愛い我が子と面会している間は幸せな気分でいられるのですが、産院に帰って個室でひとり過ごしていると、他の部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。

無事に産んであげられなかった自分を責めたり、保育器の中で頑張っている息子に申し訳なくて涙が溢れました。

辛くて夫に弱音を吐くメッセージを送ったこともありました。その時に返ってきた言葉は「過去を引きずるのは良くないよ、考えるなら自分たちに何が出来るか考えてこ」でした。

夫は子供に障害が残ってもそれを受け入れて、子供の為にできることを考えてくれる人なのだと知り、私も気持ちを強く立て直すことができました。



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