「女の子が好き」
「同性愛 中学生」
理解するためには、ちゃんと知らないといけない。そう自分に言い聞かせ、ネットでの検索を繰り返す。
思いついた言葉を次々と入力し、目に入る情報を片っ端から読んでいく。当事者の悩み、専門家の解説、同性愛に関するニュース……。
私が今まで気にしていなかっただけで、ネットにはたくさんの情報があふれている。
どこかの議員が同性愛者に心ない発言をしたという記事を読んで、「ひどい」と感じる。
渋谷区には同性でもパートナーシップを証明できる条例があると知って、「素晴らしいことだな」と思う。
「LGBT 娘」
目に入ったのは、我が子が同性愛者だという母親の記事。
私より少し歳上らしいその人は、娘から「女の子が好き」だと言われた時のことを話していた。
「ただ、『そうなんだね』と言いました。」
彼女は、そう語っていた。
「心の中では、ビックリして、すごく動揺していたんですけど、でも口に出たのはその言葉でした。『そうなんだね、わかったよ。教えてくれてありがとう』って」
すごいなあ、と思う。
なんてできた母親なんだろう。
ちゃんと受け止めて、その上お礼まで言えるなんて。私とは大違いだ。
私は、ビックリして、動揺して、そのままベラベラと思いつくままにしゃべってしまったというのに。
バスルームの方から物音がする。
私はスマホの画面を消して、テーブルの上に置く。同時にリビングのドアが開き、濡れた髪をタオルで拭きながら、唯が入ってきた。
「ボディソープ、まだあった?」
「うん、大丈夫」
「アイス。あるんだけど、一緒に食べない?」
「あー、いいや、宿題あるし」
そう言って、自分の部屋へと入ってしまう。
ここ最近、ずっとこんな調子だ。アイスで釣ってもダメなんて、もうどうしようもない。
悪いのは私だ。わかってる。ありのままの唯を受け入れるって思ってたのに、全然できていなかったんだから。
そして、私は、再びスマホを手に取り、検索をはじめる。
もっと、唯のことをわかりたい。
「お疲れですか?」
中村さんに聞かれて、思わず手を頬に当てる。
このところの悩みが、しっかり顔に出ちゃってるらしい。
「ちょっとねー、子育てに行き詰まってるというか……」
「そうかあ」と呟いて、中村さんは私がいれたお茶を飲む。帳簿のチェックは終わったのか、テーブルに広げられていた資料は、一つの山に重ねられている。
中村さんは、店の経理関係を見てくれている会計士だ。月に一、二度、こうして店のバックヤードで資料やデータを確認してもらっている。
夫が生きている時からだから、もうずいぶん長いつきあいになる。
事務処理だけでなく、経営のことも含めて相談にのってもらっているし、それだけでなく、家庭のことなんかも。話しやすいのだ。
山口さんが言っていたように、まあ、そこそこのイケメンかもしれないけれど、残念ながら、色っぽい雰囲気になったことは一度もない。
「唯のことは何でもわかってるつもりだったんだけどねー」
中村さんに、というより自分自身に向かってつぶやく。
そう、わかりたいのに、やっぱりわからない。いくら検索してみても、ネットの情報を読みあさっても、肝心の唯がなにを考えているのかはさっぱりわからない。
親子なのに。
唯の親は、私しかいないのに。
「そろそろ母の日で忙しくなるし、悩むのもほどほどにしないとね。一度、正直に話し合うのが一番かな」
中村さんは何度か頷きながら、「そっか、母の日か。じゃあ、今日はカーネーションをいただいていこうかな」と、お茶を飲みほした。
「いつもありがとうございます」
いえいえ、と言って、中村さんは片づけをはじめる。
私もテーブルの上の書類をしまおうと、手を伸ばす。
「そういえば、唯ちゃんの宝箱ってありましたね」
思いついたように中村さんが言った。
え、と私が手を止めると、面白そうな顔で続ける。
「ほら、小さい頃、唯ちゃんが隠していた箱。大事なものをたくさん入れてた」
「ああ、あったあった。なんか、ガラクタばかり入ってたヤツでしょう?」
「リボンの切れ端とか、ペットボトルのフタとか。死んじゃったダンゴムシも入ってて、ビックリしたなあ、あれ」
突然なんだろうと思いつつ、私も笑う。
「あの時、庸子さん、『何これ』って言って、全部また箱に入れて、元どおりに隠したんですよね。『よくわかんないけど』って言いながらも、なんか楽しそうに」
中村さんは、しみじみと思い返すようにそう言った後、首をかしげる私に向かって、「カーネーション、何色にしようかな」と、にっこり笑ってみせた。
いくら検索したところで、唯のことがわかるわけじゃない。
そう気づいた私は、やたらにネットを見ることをやめにした。似たような記事ばかりで、ちょっと疲れてきたのもある。
唯と早く話し合わなければいけないという気持ちも、保留にすることにした。
無理に話しかけたところで、イヤな顔をされるだけだし。
そう思うようになってから、どことなく唯の態度もやわらかくなった気がする。
私の気持ちの変化が伝わっているのかもしれない。
きっと、そうだ。また元のような親子に戻れるのも、そう遠くはないはず。
その予感が勘違いじゃないと実感したのは、ある朝のこと。
いつものように、朝起きてリビングに入ると、すでに唯がキッチンに立っていた。
鼻歌まじりにガスコンロでトーストを焼いている。ずいぶん機嫌がいい。
「おはよう」と声をかけると、すぐに「おはよう」と返事があった。
少し戸惑いながら、冷蔵庫に手をかけると、今度は唯の方から口を開いた。
「焼く?」
驚いて顔を見ると、唯は、何でもないことのように「どうせだから」なんて言っている。
私は、軽く咳払いをして、涙ぐみそうになるのをごましてから、「じゃあ、お願い」と、返事をした。
次回、「久しぶりの唯のトースト。平穏な朝食がしばらく続いたある日、庸子の気持ちを揺さぶる出来事が…」