「心のどこかでは、もっと若くて、もっと技術があって…。
そんな人がフォトスタジオに採用されるかもしれないと思っていました」
34歳・主婦
でも夫は書類選考に通った!
すごいじゃん!
基本的に優柔不断で、石橋を叩きまくらないと渡れない夫が、遠くの光だけ見つめてその橋を渡ったんだ。
橋の先に道があるかどうかはまだ分からないけど…。
そして私たちは円田家恒例のほうれん草収穫に参加して、一緒に手伝いをした皆さんと共に園芸振興会ほうれん草部・会長の自宅で少し早めのお昼ご飯をいただくことになった。
和室に並んだローテーブルの周りに15人ほどがずらりと座り、皆で「いただきます!」と声を出し、食べ始める。
野菜中心のお料理たちはどれも美味しくて、すべて目分量で味付けするおばさまたちの主婦歴の長さを感じる。
みんなで泥あそびをした子どもたちも気持ちがいいくらいモリモリと食べていて、それぞれが自由に座っているもんだから、もはやどの人がどの子の親なのか分からない。
奏太も私と夫の隣ではなく、少し離れた席にいる義母・真由美の膝に座って食べている。
なんか…いいな、大家族みたい。
10代のころグレていた義兄・ツヨシが、この会にはちゃんと参加していた気持ちが分かる気がする。
「これ、さっきとったほうれんそう?」と急に声をかけられて見ると、いつの間にか奏太が夫の膝に座っている。
満 「そうだよ」
奏太 「へー」
キリコ 「食べてみる?」
奏太 「うん!」
いつもは「やさいきらい」「おいしくない」「にがいからやだ」とか言ってあんまり食べてくれないのに、今日はご機嫌で食べてるし。
やっぱり自分で取ったやつは美味しいですか?
その後、解散して自宅に帰ると円田家の皆さんは当たり前のように昼寝を始めた。
真由美 「キリコちゃんの布団も敷こうか?」
奏太 「ねむくないー! こうえんいきたいー! ママ!」
キリコ 「んー、とっても昼寝したいんですけど…公園に行ってきます」
初めての農作業で興奮しているのか、全然寝る気配のない奏太を連れて私はいつもの公園に向かった。
公園には抱っこひもをしていない圭吾ママと圭吾が砂場で遊んでいた。
あれ? ミナちゃんは?
圭吾 「あ! そーたくんだ!」
キリコ 「こんにちは」
圭吾ママ「こんにちは。あ、あそこにいるの夫です」
圭吾ママが指さす方を見ると、ベンチに男性が寝そべっていてその傍らにベビーカーが置かれている。
ほうほう、ミナちゃんは寝ているのね。
あ、パパもか。
圭吾 「そーたくん、でんしゃの本かりてきたよ」
奏太 「なに? なんのでんしゃ?」
電車、という言葉にピクリと反応した奏太は圭吾の横に座り、圭吾が持っている本を覗き込む。
圭吾ママ「さっき図書館で電車の本を借りてきたんです。『奏太くんと一緒に見る』って言って」
圭吾 「ねぇ、とーざ線ってどれ?」
奏太 「とーざ線?」
圭吾ママ「東西線でしょ」
圭吾 「とーざ線」
奏太 「とうざい線だって言ってるでしょ! かして!」
圭吾から本を奪い取る奏太に、圭吾はまったく怒らない。
なんて心の広い子なんだ…。
子どもは親に似るっていうのがほんとだとしたら、圭吾の両親は穏やかなんだろうか…。
圭吾ママ「ふふ、2人とも真剣な顔。同じ背格好が並んでると可愛いですよね」
キリコ 「そうですね。あの、圭吾くんって何月生まれなんですか?」
圭吾ママ「5月です。5月1日」
キリコ 「あー、じゃあ奏太と近いんだ。奏太は4月27日なんです」
圭吾ママ「4日違いですね。そんなに近い子は今まで周りにいませんでした」
言われてみれば…うちもそうだな。近くても夏生まれの子で…。
…あー、だからか。
だから奏太は圭吾と妙に張り合ったりしてたのかも。
今までは自分が何でも一番に出来る立場だったけど、圭吾は同等な感じだもんな。
小学校前の月齢の差って大きい。
でも年取ると3月が一番若くて最高なんだけど。
そんなことを考えていると、「こっちに引っ越す予定があったりするんですか?」とまだ答えの出ない問題を圭吾ママが突っ込んできた。
人に話すことで見えてくることもあるから、私は現状を丁寧に伝えてみた。
圭吾ママ「あの白いおうちですよね。すてきだなーって見てました」
キリコ 「もしかして買う予定…とか?」
圭吾ママ「いえいえ! 戸建てなんて夢のまた夢だなぁ。うち、パパが単身赴任で東北にいるんです。いつ戻って来るか未定で…。長くなるようなら私たちがパパの方に引っ越すかもしれないし。こうやって週末はできるだけ会いに来てくれるんですけどね」
パパお疲れ様です。
今、少しでもベンチで昼寝してください。
キリコ 「あのー…桜葉幼稚園ってどうなんですか? 評判とか…。まったく分からない状態でプレに参加して撃沈だったもので…」
圭吾ママ「あー、人気みたいですよ。私も張り切って去年、プレの申し込みをしたんですけど、プレが始まった4月は臨月で。しかもお腹が張り気味だったから無理できなかったんです。それで、ミナが5月に生まれて…」
ミナちゃんの泣き声が聞こえ、目線を移すと起きてしまったミナちゃんをパパが抱っこしてゆらゆらしている。
お疲れ様です。
圭吾ママ「なんだかんだバタバタしてやっとプレに初めて行けたのが、夏休みに入る前にたった1回で。夏休み明けからも、下の子がぐずったり、私が体調を崩したりで…。ぜんぜん行けてなかったんです」
キリコ 「あー…そうだったんですね」
今度は子どもたちの笑い声が公園に響いた。
圭吾が指で自分の鼻を上げ、白目をして変な顔をしている。
な、なにしとん。
圭吾 「こんな顔どうですかー」
奏太 「……ぷっ、あははは!」
圭吾 「わははは!」
めっちゃ笑ってるし。
圭吾ママ「あれ、本読んでたはずなのに変顔してますね」
キリコ 「はは、ほんとう」
圭吾ママ「男子のああいうノリって不明ですよね」
ほんとうほんとう。
でも奏太が笑ってて嬉しい。
圭吾 「ねぇ、そーたくん、あさって、さくらば行くの?」
奏太 「え?」
突然の、そして確信を吐く圭吾の質問に私は小さく固まって黒目だけ奏太に向ける。
なんて答える! 奏太!
圭吾 「いっしょにさ、よーいドンしていこうよ!」
奏太 「……」
圭吾ママ「道路でよーいドンしたら危ないから、幼稚園の入り口で待ち合わせて、手つないで教室に行くのはどう?」
圭吾 「いいよ! いこう、いこう! よーいドン! ね?」
圭吾に微笑まれ、奏太は小さくうなずいた。
奏太は本当にプレに行けるのだろうか。
そして夫も道の見えない橋をさらに進んでいく――。
▶︎▶︎ 次回、28話は、5/18(金)20時公開予定!